第18話:去る神は日日に疎し③
「しかしあっちも化けていたとはいえ、うっかり返事したのは減点だぞ。いつも言っておるだろう、こちらから招き入れたら結界を張っている意味がない」
「う、申し訳ありません、しっかり反省します……」
「ぜひそうしてくれ。――とはいえ、東の
「そういう名前なのですか、あの大鹿は」
「真名ではないがね、こちらから付けた呼称のひとつだ。さっきも言ったが、ああいう存在は矜持が高いんだ」
名とはすなわち、その者の根幹となる言葉の連なりだ。名付けた側の『こう在ってほしい』という願いから始まって、生きていく中で徐々に人格として形を成していく。それほど大切なものだ、赤の他人に教えるのであれば、よほど相手を信頼していなくては難しい。ことに人以外の、扱う言霊の力が何倍にもなって働くような存在にとっては。
「ま、教えられたとして、それを我々が正確に発音できるとは限らん。人語ですらないかもしれんしな」
「ああ、鹿は互いの鳴き声を覚えていて、
「うん。大方うちの弟子も、今回はそれを術の核にしたんだろう。紅葉で鹿ときたらまずアレだ」
「お察しの通りです……」
見事に読まれてしまって、下座で心持ち小さくなる明璃だ。なにせ突発事態だったので、思い付きをそのまま実行したのだが、ちょっとばかり安直だったかもしれない。
昔編まれた和歌集、その秋の歌を集めた巻に、『奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき』という一首がある。貴族の子弟は必ず暗記するという必須の教養で、和歌を習い始めたばかりの子どもでも知っているほど有名だ。当然卯京も幸雅も、ついでに内弟子として貴族からの依頼に関わる明璃だって履修済み……なのだが、
(……いかん、何も思い出せん……!)
急な出世による弊害で、こういう教養が付け焼刃状態の玄妙は、内心冷や汗が止まらなかった。宮中であれば絶対にバレるわけにはいかないが、ごく内輪の集まりなのだから、この際恥を忍んで教えてもらった方がいいのだとは思う。彼らの人柄は知っているし、誰も怒ったり馬鹿にしたりはすまい。
だがしかし。よりにもよって、昨日から世話になりまくっている明璃の前で、全くわかりませんという顔をするのは……何というか、非常に気まずかった。なので、
「その、明璃殿は場に応じて術を使い分ける、のか? 凄いな」
「えっ? いや、そんなことないですよ!? わたしのやり方ってかなり効率悪いんです、師匠にもよく言われますし」
「……そうなのですか?」
「そうさな、一節で済む真言や
――が、逆に強みでもある。我々の普段のやり方が通用しない、なおかつ迅速な対応を求められる事態においては。そいつの時だとか、な」
《ぷきゅ》
一旦肯定した卯京は、しかし後半でちゃんと良い所を認めてみせた。最後に大人しくしているおもちを指し示したところ、ややしょげ気味だった明璃がぱっと顔を明るくする。昨夜はよくやった、と褒めてくれているのだ。
「まあそんなわけだ、腐らず精進しなさい。……あー、だが無茶だけはするなよ? お前さんに何かあったら、私がそっちのばあ様にどやされる」
「はあい! 頑張ります!」
「うん、よろしい。――さてと、幸雅卿も含めた皆に聞いてほしいことがある。おもちについてだ」
元気よく返事した弟子にうなずいて、ぽんと扇で手のひらを打った卯京が話題を変えた。先ほどとは違う、やや真剣な声と表情で。
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