第16話:去る神は日日に疎し①




 (――もう、いいかな)

 うとうとしながらそう思う。

 周りを流れるのは、塩や泥などが混じらないきれいな真水だった。自分が身を浸しているのが申し訳なくなるほど、清らかに澄んでいる。

 元居た場所にいられなくなり、海を渡って逃げ込んだ南の地。うわさに聞いたことしかなく、どんなところか全くわからないままにやって来た。けれど見知らぬ異郷の地は、手負いの身に思いのほかやさしかった。

 (だってもう秋なのに、全然寒くない。きれいな水がこんなにたくさんある。……同族に、睨まれることもない)

 そもそも、あまり思い残すことがないのだ。護りたかったものはちゃんと護れたし、信頼できる仲間に後を託してこれた。元々厳しい自然の中、助け合って生き抜いてきた人々だ。自分がいなくたって、きっと命を繋いでいける。あの地で生きていける。

 けれど、自分は。

 (……もっと、怒って良かったのに。たくさん心配させたんだから)

 慕ってくれた皆、頼ってくれた皆、そして信じてくれた皆。本当にうれしかった。ありがたかった。大好きだった。

 だから、もう平気だ。幕を降ろしても良い。

 水の音が激しくなった。どうどうと轟く響きが伝わってきて、ほとんど動かない身体に力を込める。……そうだ、これが最後なら、この口で語るのはあれがいい。

 『昔々の、また昔。草も木も、みな言問うた、遠い遠い日々のお話――』

 いつも子どもらに聞かせていた、いにしえの物語ユカラ。泡沫と共に流れた言の葉が、水煙に呑まれていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る