第13話:触らぬ森に祟りなし⑥
時は少しばかり遡る。
「……あら? ちょっと薪が足りませんねぇ」
「じゃあわたしが行ってきます。
料理、特に米を炊くときには火加減が命だ。その大切な火力を保つための薪が、若干足りていなかった。急な来客で分量が増えたせいだろう。その場を女房に任せて、明璃は率先して外の薪小屋に取りに行った。
特に最後の一つに関しては、明璃は勝手に開けることはできない。大抵のことには対処できるよう仕込まれているが、それでも不測の事態がないとは限らないからだ。多い時には日に数回、何者かが呼びかける声がしていたとしても、ひとりで対応することは絶対にない。
……だからこそ、うっかりしたのだと思う。
「――もし。どなたか」
小屋から薪を取って出てきた時、来たのとは反対方向から声がした。ふと顔を上げると、来客に備えて開けてある表門の外に、佇んでいる人影がある。烏帽子を被って、秋らしい色合いの直衣と指貫をまとった男性二人だ。それでつい、
「はあい! ようこそお出でくだ、さ……っ!?」
《ぷきゅー!!》
「……はっ!? ごめん、ぼーっとしてた! ありがとうっ」
《ぷうっ》
張り上げられた鳴き声に、つい回想に耽っていた明璃が現実に引き戻される。すぐに礼を言うと、懐に納まっている黒猪は誇らしげに鼻を鳴らして見せた。こんな時になんだが、大変可愛らしくて癒される。
――返事をした直後、男性二人の姿がかき消えた。と思った次の瞬間、同じ場所に見上げるような大鹿が佇んでいて。明璃の襟首を咥えて無造作に背に載せると、そのままわき目も振らずに走りだしたのである。それはもう、わざわざ確認する必要もないほど全力で。
敷地を出る直前、背後でどこかの妻戸が開く音と、小さなものが駆け寄ってくる気配がした。と思ったら、鹿の尻尾に見覚えのある仔猪がしがみ付いていた。振り落されないうちに慌てて回収して水干の懐に入れてやって、今に至る。
それにしても、だ。今日客人があることは、さっき真藍に聞くまで知らなかった。ということは急に決まったか、表沙汰に出来ない類の相談事だということ。当事者以外で知っているものはいないはずだ。
(てことはこのひと、明らかにわたしの記憶というか、思考を読んで化けてたよね? 見た目もずいぶん立派だし、そこらのアヤカシじゃなさそう)
何せ、普通の牡鹿の三倍は体高がある。頭に備えた角は幾つにも枝分かれしていて、まるで兜か宝冠のようだ。ふさふさと身体を覆う長い被毛は、冬の空に浮かぶ波雲のような青灰色。もしも森の中で静かに佇んでいるのに出逢ったら、古の神かと思ってしまいそうだ。
いや、実際にその可能性は高い。出くわして攫われて、ここまで走ってくるまでの間、明璃に対する敵意や悪意のようなものを一切感じなかった。ひどく慌てているような、心配事があって取り乱しているような、そんな気配だけが伝わってくる。
「――あのう、何かお困り事ですか?」
なるべく刺激しないように、そっと呼び掛けた声が届いたのか。青灰色の耳がぴくっ、と動いた。驚いたように半分だけ顧みた大鹿の瞳は、美しい金色だ。ああ、昨夜の月にそっくりだなぁと思いながら続ける。
「わたしはまだ半人前なので、全部解決できるかどうかは分かりません。けど、出来る限りのことはやってみますね。もしだめでも大丈夫です、うちの師匠はわりと話が分かる人なので」
《………て、くれ》
「あ、はい! 何でしょう」
ややあって、駆け続けている足音に紛れて聞こえたものがあった。身体の下から響く、
《救ってくれ。助けてやってくれ、あれを――吾が妻を》
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