第12話:触らぬ森に祟りなし⑤




 「……はあ」

 手綱を繰りながらため息が出た。その直後、ここが往来であると思い出し、すぐさま姿勢を正す。いかんいかん、気を抜き過ぎだ。

 時は巳の刻、場所は都の北東。内裏からは東側にある大路でのことだ。役目を賜って出向している最中なのだが、全くと言っていいほど集中できなかった。真面目が過ぎると評される玄妙には珍しい。

 原因は……まあ、言うまでもないのだが。

 「――みなとの少将しょうしょう、どうした? 何かあったか」

 「い、いえ! 申し訳ござらん、大臣おとど!!」

 「はは、そう畏まらずとも良い。宴の翌朝に連れ出して済まなかったな」

 馬上で飛び上がった玄妙に、すぐそばを移動する牛車の中から朗らかな声がかかる。わざわざ物見の窓を開けて笑いかけているのは、昨晩の宴の主催者だった。年の頃は四十路になるかならないか、きりりと整いつつも品のある良い顔つきだ。穏やかながら良く通って頼もしい声も合わせて、政を取り仕切るという重責に磨かれてきた、人としての品格を窺わせる。

 今日の宮中において、帝の信任も篤い一の人。現関白左大臣、藤実ふじみの幸雅ゆきまさ卿である。国内でも一二を争う権力者であり、大貴族の氏長者うじちょうじゃでもあるこの人こそ、玄妙を今の地位に引き立てた張本人だった。

 「その口調も懐かしいな。君が近衛府このえふに入って三月と少しか、こうして話すのも随分久しぶりだ。どうだ、役目には慣れたか?」

 「畏れ入ります。はい、先達の皆様が良く導いて下さり、何とかやっております」

 本当は下馬して畏まりたいところだ。が、実行したら移動の足を止めさせることになる。仕方なく失礼して、鞍の上から出来るだけ頭を下げて応える玄妙だ。

 (……いや、本当に。いきなり抜擢されたから、何かしらの軋轢は絶対あると思ってたんだが)

 玄妙はあずまの出身で、官位も何も持たない平民だった。早くに二親を亡くして身よりもなく、一年ほど前に生業を求めて都へ上り、最初は検非違使けびいしの捕吏として盗賊などの捕縛を担当した。そうした功績が認められて、宮中で警護を担当する滝口の陣へと抜擢され、そこでこの左大臣と知り合った、もとい、目に留まったのである。

 そこからいろいろあって、何故か貴族としての位まで頂いてしまい。今勤めている近衛府――本来なら高位貴族の子弟たちが配属される、帝のごく近辺の警護担当の武官となったわけで。当然、やっかみから周囲に攻撃を食らうだろうと覚悟していた。のだが、

 「今の近衛、特に君のいる右近衛府うこんのえふは、私の声掛かりで入った者が多いからね。卯京ともよくよく話し合った上でのことだったが、上手くやっているようで良かった」

 「はい、本当に。有り難いことです」

 実際、日頃親しくしている同僚からもそう聞いた。出自を問わず能力を買ってくれる幸雅卿は、人を見る目があるともっぱらの評判だ。恩人が良い評価を受けているのを耳にするのは、玄妙にとっても嬉しいことだった。自然と顔がほころんで、

 「さてと、話は変わるんだが。気にかかるお方でも出来たのかな?」


 ごほっ!!


 突然振られた話題に、うっかり思い切りむせ返ってしまった。何故分かった!?

 「なんっ、げほっ、どうしてそれを……!?」 

 「いやぁ、珍しくぼんやりしていたようだったからね。これでも身元引受人として心配しているんだぞ? 君、持ち掛けた縁談は片端から断ってしまうし」

 「それは大変ありがたいと思っております! ですがいずれも宮筋だとか、藤実の縁戚だとか、とにかく高貴な姫君ばかりではありませんか!! このような朴念仁では相手方に恥をかかせてしまいますゆえ……!!」

 「歌が苦手なのは知っているけれど、それだけで嫌がるとは限らないよ。――ああ、そういえば宴でももらっていたな? さてはそちらか」

 「いや、その……!!」

 すっかり世話好きな伯父のごとき調子で、いろいろ聞きたそうにしている幸雅である。場所が場所だけに逃げ出すわけにもいかず、必死で言葉を選ぶ玄妙だった。どう説明すればいいのやら。

 (昨晩のごたごたにかこつけて、まだ返事もしていない、なんて絶対言えない……というか、返歌づくりに困って卯京殿のお身内に手助けしていただいた時点で、貴族として大分まずいだろう!!)

 卯京とは何気に、入京してすぐの頃から顔見知りだ。うっかり『体質』のことがバレて以降、何かと相談に乗ってもらっている。都でお世話になっている御仁のひとりだが、弟子がいるという話は聞いたことがなかった。まあ、理由は何となくわかるが。

 (だって、わざわざ男装してまで弟子入りしてるんだぞ!? 卯京殿のことだから全て分かった上で受け入れて下さってるんだろうが、どこで誰が聞いているかもわからんし! あの子が不利益を被るような事態は断じて防がねば……!!)

 別れ際にしれっと、超弩級の秘密を暴露していったあの子。明璃あかりという名にふさわしい、玻璃はりの鈴を振るような澄んだ声をしていた。苦労しているような素振りはなかったが、あれだけしっかりしていてちゃんと術まで扱えるのだ。それ相応に厳しい修業を付けてもらっているはず――


 ……どっ、どっどどどどど……!!!


 「ひゃあああああ……!!」 

 《ぷきゅーっっ》

 「、えっ」 

 内心頭を抱えていたところ、少し先の通りを高速で駆け抜けていったもの、いや、ものたちがいた。

 どういった経緯なのか。それが立派な角を備えた大鹿と、その背中に乗った見習い陰陽師と、同じ鹿の尾にしがみ付いた小さな黒猪だ、と見て取った瞬間、うっかり本音が転がり出た。

 「明璃殿!? 何ゆえそうなった――!?!」

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