第10話:触らぬ森に祟りなし③


 いがから出した栗の実は固い。だからまず水に漬けおきして、鬼皮をふやかすところから始める。それでも素直にむけてくれるものとそうでないものがあって、下ごしらえだけでも結構大変だ。

 幸い、今回拾ってきた栗たちは扱いやすい方だった。刀子とうすの付け根を引っかけて、一筋ずつむいていく。終わったものは竹で編んだざるに入れておいて、全部済んだら今度は渋皮を取る。水洗いして研いだ米と一緒に炊けば出来上がりだ。

 無心で皮むきに取り組んでいる背後では、真藍が朝餉あさげの支度を進めていた。いつもなら明璃が担当するのだが、並行するのは重労働だからと申し出てくれたのだ。ありがたい。

 「市で聞いたのですけれど、今年は果物全般が生り年なのですって。明璃さんのお好きな柑子こうじが出回るのももうすぐでしょう、見かけたら買ってまいりましょうね」

 「わあ、本当? 楽しみだなぁ。……、あれ」

 嬉しい知らせに瞳を輝かせて、そこでふと疑問が浮かんだ。いったん刀子を置いて、取った皮を広げたむしろに移動させる。これは染料になるので、あとで外に出して乾燥させるのだ。その作業をしながら考える。

 昨夜の宴で出くわした、黒い猪のあやかし。とっさに掛けた術がちゃんと発動したおかげで、無事眠らせることに成功した。放っておくわけにもいかないので、邸の主人に許可を得て連れ帰ってきたのが、夜も大分更けた頃のことだった。

 (生り年なら、山に食べ物はたくさんあるよね? わざわざ人里に下りてくるかな)

 例外はあるが、動物に似たあやかしは姿に沿った習性を持ちやすい。猪は夜に動き回ることが多いから、エサを求めて移動するの自体はおかしくない。てっきり腹を空かせて気が立っていたのだろうと思ったのだが、こうなると話が変わってくる。

 (他に何か、山にいられない理由でもあったのかな? ……もうちょっとで玄妙さんまで吹っ飛ばすところだったし)

 昨夜知り合った顔を思い浮かべて、改めてほっとする。あの後、卯京が怪我をした者たちをざっと診てくれたし、その上で重傷の者はいないとのことだったので、揃って胸をなで下ろしたのは記憶に新しい。

 (猪さんを移動させなきゃいけなかったから、あとの事任せて出て来ちゃったんだけど、良かったのかなあ……いや、ああいうとこにお呼ばれしてるんだから、そこそこ身分のある人だろうし。今時珍しい生真面目な人みたいだし、大丈夫)

 宴の席で歌を作って人にあげるなんて、貴族の子弟からしたら日常茶飯事だ。得手不得手は当然あるにしても、あそこまで真剣に返歌で悩む人はめずらしい。昨日初めて会った相手だというのに、ついつい心配と気遣いを向けてしまうのは、ひとえに玄妙の人柄の良さによるものだと思う。

 (途中になっちゃったけど、ちゃんとお返事できたかなぁ。あんな状況だったし、遅くなっても文句は言われないだろうから、ゆっくり考えたら良いよね。

 ああいう真面目で優しい人なら、お付き合いしてて楽しいよなぁ……)

 あれこれ思う内弟子は、すっかり手が止まっている。集中して考えている時はいつもこうだが、今日はちょっと様子が違うようだ。現に眉間のしわがいつしか消えていて、代わりにご機嫌な笑みが浮かんでいるので。

 微笑ましい様子をあらあら、とそっと見守っていた真藍が、しばしの後に軽く手を打った。その音でようやく我に返った明璃に、相変わらずにこにこして声をかける。

 「はい、そこまで。お仕事熱心なのは良いことですけど、今日は午の刻にお客様がいらっしゃるご予定です。ご主人様と昼餉をご一緒されるそうなので」

 「えっそうなの!? もーっ、師匠の予定って急に決まるんだから! お米どのくらい炊こう、何人来るかわかります!?」

 「お二人だそうですよ。両方とも殿方ということなので、少し多めに用意いたしましょうか」

 「はーい!」

 じゃあ先に研いで水も入れて、と、釜を抱えて米を計りに行く明璃。朝からくるくると動き回る姿を、元気でよろしいことだとほのぼの見守る真藍だった。

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