第8話:触らぬ森に祟りなし①


 ――ここはどこだろう。今は、いつだろう。

 ひたすらに歩みを進めながら、そう思う。返ってくる答えがないと知りながら、ずっと繰り返している言の葉だ。

 木々の葉はまだ青い。が、見上げた空が随分と高く澄んでいた。春ならば靄がかっているし、冬ならもっと淡い色をしている。辺りに満ちた静謐な空気も、浮かんで流れる雲の形も、夏の盛りのそれではない。

 ということは、秋なのだ。まだ成りかけの、さほど深まってはいないけれど、実りの季節。生きものがつがいを得て、仔を成す季節。

 (……ああ、この木。よく見かけた)

 元いた地にもあった、秋の半ばに多くの実を付ける大樹だ。今目の前にそびえるものは、覚えているよりも幾分か若い。すでに結実が始まっていて、青く艶やかな木の実が葉の間から顔を出している。恐る恐るこちらを窺っているようで、愛らしい。

 そう思ってほおが緩んで、しかしすぐに立ち消えた。――前ならばこんなとき、すぐに微笑んでうなずいてくれるひとがあった。それなのに。

 (どこにいるの……)

 瞳から溢れるものが、頬を伝って転がり落ちる。いっそ池が出来るまで零して、それが堰を切って流れだしたら、見つけてくれるだろうか。いつだって、待っているのはこちらだったから。

 でも、きっと難しいだろう。自分にはもう、あまり時間がない。己を保っていられる間に、行かねばならない。

 頭を振って雫を振り払う。ようよう踏み出した脚の下で、先の年の落葉がかさりと鳴った。柔らかな感触が、疲れに痛む身体をいたわってくれる。

 (待っていて、あなた)

 深閑とした木々の狭間に、笛のような高い音がひとつ、尾を引いて消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る