第6話:文触れ合うも他生の縁⑥


 巨大な槌で思い切り叩くような音がしたのは、明璃たちが頭を寄せ合ってどうにか上の句を作り終えたのと、ほぼ同時だった。

 「わっ」

 「……門の方からだな。火急の伝令でも来たか?」

 即座に動いたのは青年の方だった。さっと立ち上がって簀子に出て行き、音がした方角を確かめる。一応の推理はしつつも、様子がおかしいのには気づいているのだろう。眇めた目元に剣呑なものがにじんでいる。

 「なんだ、どうした!?」

 「地震か……?」

 他のお客人たちも気付いたと見えて、母屋から不安そうに顔を出したり、庭の大池に浮かべた船を急いで岸に付けたりしている。その間にもまばらな間隔を空けて、どんどんと叩く鈍い音が続いていた。……なんだろう、すごく嫌な予感がする。

 明璃が水干の懐に手を突っ込んで、持ってきたものを引っ張り出したときだ。先ほどから見ていた邸の門から、ほうほうのていで走ってくる人影がある。頑丈そうな鎧と具足を身に着け、長巻ながまきを携えた武士だ。

 しかし顔は真っ青、鎧は泥まみれであちこち破れていて、手にした得物も半ばで折れてしまっていた。寝殿の方に行きかけるも、足がもつれて倒れ込む。ちょうど目の前だった青年が、簀子から飛び降りて助け起こした。

 「おい、しっかりしろ! 邸の警護の者だな、表で何があった!?」

 「か、かたじけない……いや、それがしにもはっきりとは。松明の光が届かぬところから、突然飛び掛かられて――」


 どがぁん!!!!


 凄まじい轟音が上がった。ほぼ同時に複数の悲鳴が重なって、ちょうど明璃たちの正面に会った築地塀が砕け散る。上がる土煙の向こうから、巨大な影がぬうっと現れた。

 《……ふごっ》

 「熊、違った、猪か? ……いや、でも」

 厳しい顔つきで困惑している青年に、驚きつつ目いっぱいうなずく明璃だ。わかる、わかるぞお兄さん。

 分厚い土壁を突き破るという、乱暴にもほどがある登場をした相手は、真っ黒の毛並みを持つ猪だった。が、明らかに大きすぎる。小山のようとまではいかなくとも、四つん這いの背中が簀子に立った明璃の目線と同じくらいの高さなのだ。なるほど、こんなのが死角から突っ込んできたら、武器を持っていたってひとたまりもなかろう。

 (この子、あやかしだ。人の多いところに出てくるなんて珍しい)

 いわゆる人ならぬもの、というやつだ。もののけや怨霊と似た意味あいだが、あれは元人間だったり、人間の妄念から生まれたものだったりするから、そう呼び分けている。そして多くの場合、只人には見えない。こういった人外を視る力のことを見鬼けんきといい、明璃や卯京のような役目を担う者には必須の能力だ。が、普通に暮らしたい人にとっては重荷になることもある。

 「……お兄さん、この子たちが視えるんですね。何か困ってませんか、もしあればうちの師匠が話聞きますよ」

 「ん? ああうん、まあな。長い付き合いだからそれなりに慣れてるが……、あ゛」

 さして怖がっていない明璃に驚いたのか、言い訳みたいな口調で返していた相手の声が引きつった。

 すでに散々暴れているはずだが、猪のあやかしはまだまだ満足していなかったらしい。ご機嫌斜めです、と言わんばかりに鼻を鳴らすと、土ぼこりを蹴立てて突っ込んでくる。怪我人を介抱している青年に向かって!

 「ちょっ、ちょっと待て――っ!!」

 「お兄さん危ない!!」

 武士を放り出すわけにもいかず、とっさに抱えたまま横に倒れ込んで進路から退く。跳ね起きようとした視界に、澄んだ声と共に飛んで来た萩の枝が映った。先程恋文を結んで渡されたあれだ。真ん中に、細長く折り畳んだ別の紙が結んである――

 そこまで見て取った時だった。突っ込んだ猪の顔に当たった萩が、ぱっと鮮やかな光を発したのは。

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