第3話:文触れ合うも他生の縁③


 こうした貴族の邸は、多くが寝殿造りと呼ばれるものだ。通路である簀子から母屋まで、扉や壁を設けず一続きになっている。その間を御簾みす几帳きちょうで隔てて、各々の住まう空間として設えるのだ。基本的に奥に行くほど格が高く、邸の主人やその身内が住まう。表に近い側には、彼らに直接仕える女房たちが控える形となる。

 その、いちばん通路側にある一角。俗にひさしと呼ばれるところで、ぽつんと置かれた文机に向かい、うんうん唸っている人物がいた。

 「どうしたもんか……」

 灯明の光に照らされて、ずいぶんと難しい顔つきで呻吟しているのは、まだ若い男性だ。烏帽子えぼし直衣のうし指貫さしぬきという公達きんだち姿だから、今宵の宴に招待されたか、はたまた邸の家人なのか。中性的でたおやかなのを良し、とする貴族の子弟にしては、線のくっきりとした凛々しい横顔をしている。明璃あかりの主観を言っていいなら、なかなかの男前だ。

 (……ふみ? を、読んでるのか。急ぎの要件かな)

 さすがに内容までは読み取れないが、文机に広げられた料紙が見える。具合が悪いわけではなさそうでほっとしていると、ふいに巨大なため息が聞こえた。吐いたのはもちろん、くだんの青年だ。

 「どうすんだ俺、早々に手札が尽きたぞ……遅い上に下手って最悪だろ……くっそうこれだから雅やかなのはダメだとあれほど……!」

 がっくりと肩を落として、ついでにぐんにゃりと猫背になって脱力しつつ、漏れ聞こえてきたのは実に情けない声だった。先程までは話しかけるのもためらわれるほど険しい表情だっただけに、その落差が大変おかしい。というか、実際に思わず吹き出してしまった。

 突然聞こえた声に、青年が勢いよく振り返った。彼が目を丸くしているのを見て、再び笑いの発作が起きそうになるがぐっとこらえる。面と向かってやるのはさすがに失礼だ。たとえそれが微笑ましいとか、この人真面目だなぁという好ましい気持ちから出たものであっても。

 「……ごほん。すみません、失礼しました。唸り声が聞こえたので、ご気分が優れないのかと思いまして」

 「え、そんなに大きかったか!? こちらこそ驚かせて申し訳ない! その、こちらの邸に仕える方だろうか」

 「いえ、とんでもない。わたしもお呼ばれしている身です。もっと正確に言うと、その付き添いなんですけど」

 良かった、どうやら気に障ってはいないらしい。逆に気遣って謝ってくる辺りに人柄の良さを感じて、明璃はさらに笑みを深くした。そうだ、と思いついて通路を取って返し、置いてあった高坏たかつきを持って戻ってくる。風通しのために半分ほど巻き上げてある御簾を潜って、青年の横にちょこんと座った。

 「はい、これどうぞ。お酒飲むとのどが乾きますよね」

 「良いのか? 君がもらったものだろう」

 「さすがに全部は食べきれませんから。どうしようかなって思ってたので、手伝っていただけると嬉しいです」

 「……じゃあ、遠慮なく」

 重ねて勧めると、ようやく持っていた筆を置いてくれた。山盛りの梨を口にして『ん、美味い』と目を細めているので、やっぱり水が入り用だったのだろう。果実なら糖分も同時に摂れるから、悩んで考え疲れしたときにはちょうどいい。

 ほっとして見守る明璃の前、灯明が照らす文机の上には、相変わらず広げられた紙がある。特に読もうという気はなかったが、そこだけ光が灯っているのでどうしても目が行ってしまう。

 書かれているのはどうやら、文章ではなく歌。ついでに、その内容は――

 「……、あの、お兄さん。これもしかして恋文? とか」

 ついつい言及してしまった明璃の言葉に、青年が思いっきりむせ返った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る