第2話:文触れ合うも他生の縁②


 日凪国くさなぎのくに碧珠海へきじゅかいに浮かぶ大小の島々を領土とする、極東の小国である。

 規模こそ控えめだが温暖な気候で、国土の多くが山林という豊かな自然に恵まれている。また海という天然の防壁のおかげで、危うい時はあったものの、永きにわたって独立を保ってきた幸運な国でもあった。

 さて、神代にまで遡る建国から遥かな時を隔てて、現在の都は最も大きな島の中ほどに位置している。今上帝の庇護の元で大いに栄え、文物問わず様々なものが行き交うここを、人呼んで黎安京れいあんきょう。皇家の始祖神である日輪、その光の下で安らげく栄えるようにとの願いが込められた。

 だがいかに繁栄していようとも、光があれば闇もあるのが人の世だ。華やかさの裏側で、政には常に謀略が付きまとい、怒りも憎しみも絶えることがない。色恋の類においてすら、叶わなかったものの悲哀が渦を巻く。人だけならばまだ良いが、そうした心の隙間に忍び入ろうとするモノもまた、常に存在している。

 それらの禍つものから都を、ひいては日凪の民を守るのが、陰陽師。数多の術と法に通ずる、占術と退魔の専門家であった。





 (……なーんて。主に持てはやされるのって、やっぱり都で活躍する官僚の皆さんなんだけどね。師匠とか)

 脳内でしれっと思いつつ、明璃は目の前の高坏たかつきに盛られた梨をかじっていた。井戸水に晒してあったのだろう、程よく冷えて瑞々しい甘みが際立っている。うん、おいしい。

 ――猛威を振るった暑さと日差しもどうにか通り過ぎ、今年の秋はひとまず平穏な幕開けとなった。

 気候が穏やかな春と秋は、桜や紅葉といった自然の移ろいが美しく、貴族たちが好む季節だ。ことに見事な満月が拝める中秋の頃は、観月の宴があちこちで開かれる。本日出席しているのも、そうした催しのひとつだった。

 といっても、明璃が直接招かれたわけではない。邸に置いてくれている卯京が呼ばれており、半ば無理やり連行されてきたのである。そもそも自分は一介の平民であるので、こういう雅やかな場は落ち着かない。留守の間に邸の雑用を片付けておこうと、あれこれ算段していたというのに。

 「ていうか師匠、そんなに心配なら留守番させてくれたらいいのに」

 口に出しても問題なさそうな辺りをぶつぶつやって、次の一切れにかぶりつく。顔つなぎをしておけという言い分も分かるが、こっちは罪悪感とかいつバレるかという緊張感でそれどころじゃないのである。

 言わずもがなだが、明璃が着ている水干、および括り袴は男性の装束だ。卯京の自宅・古瀬こせ邸では大抵この格好で、その際は特に男装のつもりはなく『動きやすいから』という理由で身に着けている。本来ならこういう時、あこめうちきを重ねて長袴を穿く女装束にすべきなのだが、

 (いくら貴族が暇を持て余してたとしても、山出しの子猿みたいなのに興味持つ人はいないと思うんだけどなぁ)

 妙なのに目を付けられたら大変だからと、いつも通りの格好で目くらましの呪符まで作って出席させた卯京なのだ。心配性というか過保護というか……

 「……、ん?」

 ふと、何かが耳を掠めた気がして、視線を巡らせる。

 明璃が待機していたのは、寝殿を囲む簀子縁の端だ。参加者たちと雑談する卯京が視界に入る位置にちょこん、と座り、旬の水菓子果物にありついていた。そのすぐそばで、唸り声らしきものがする。男性のようだ。

 「気分が悪い人でもいるのかな……」

 豪勢なもので、今宵の宴では上つ方のみならず、その供人ともびとたちにまで酒がふるまわれていた。大体は楽しそうなほろ酔い状態だが、体質や体調によっては悪酔いすることもある。心配になって席を立ち、こちらかなと思う方へ歩いていくこと、しばし。

 「――……うぅ、参ったな、これは」

 角を曲がったところで、突然声が明瞭になる。とっさに立ち止まった明璃の視界に、渡殿から少し入った室内に座る人影が飛び込んできた。


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