第4章 ESCA―白黒


     1


 オズ君の新しい部下がオズ君の新しいセフレというのは。

 いったい。

 呑み込むまでに冬になっていた。

 11月。

 いや、呑み込めてはいない。認めたくないが認めないとオズ君に嫌われる。

「パパ、ママパパとケンカした?」湯上りの赤火が言う。

 21時。

 オズ君は青水を塾に迎えに行って、戻って来るや否やまた出かけてしまった。

 セフレのところへ。

「ケンカじゃないから安心しなさい」

「せっかくパパ帰って来てるのに一緒にいないから」赤火は年齢の割に鋭い。

「気にしなくていいから今日はもう寝なさい」

「困ったことあったら言ってね?」赤火はそう言って自分の部屋に戻った。

 冷蔵庫からアルコールを出して一気にあおる。

 飲みたかったわけじゃないが、飲まなかったら正気でいられなかった。

「よかったら付き合いましょうか?」白光が横に立っていた。

「無理しなくていい」

「年齢的には問題ないでしょう? いいですよ、聞きますよ」白光がアルコールの缶を持ってダイニングテーブルに置いた。

荒種アレクサさん、おやすみなさい」青水が挨拶に来てくれた。「白兄もおやすみ」

「おやすみ~、青君。今日も勉強お疲れ~」

「ありがと」青水が照れたような顔で言う。

「毎日よく頑張ってるな。おやすみ」

「うん、おやすみ」

 青水が部屋に戻ってから、白光がアルコールの缶を開ける。「青君、こないだの模試の結果かなりよかったの、荒種さん知ってますか?」

「ああ、らしいな」

「青君マジで頑張ってるから褒めてくれてありがとうございます」

 2本目を開けた。

「で、本題ですけど、胡子栗エビスリさん、夜中にどこ行ってるか知ってるんですよね?」

「知ってるさ。知ってて止めないのはなんでかって言いたいんだろ?」

 白光の顔が赤くなってきたので飲酒を止めた。

 缶を没収する。

「ある程度は好きにさせないと、そうゆうのがないとオズ君は壊れてしまうんだ。私と結婚してくれたのは私があまりにしつこかったからだよ。特定のパートナを作るのは、実はオズ君には向いていない」

「それでも好きだったらそうゆうのやめてほしいでしょうに」

「そう簡単にも行かないんだよ。それこそ君たちが口を出すべき内容じゃないんだ」

「放っておけって? 前にも言いましたけど、俺ら結構そうゆうとこ敏感なんで、気にするなっての結構きっついんですよ。赤火だって、青君だって、あんなに気にしてくれてる。俺らの気持ちを無下にしないでください」

 確かにそうかもしれない。

 こうやって家族ごっこをしている以上は。

「悪かった。君たちに心配されないようにやることにするよ」

「いや、だからそういうんじゃなくてですね」

「これは私とオズ君の問題なんだ。言い方を変えようか。君たちに入ってきてほしくない」

「ああ、すみません。こっちこそ余計なことでしたね」白光はちょっと嫌味ぽく言ったが、わかってくれたようだった。「そろそろ寝ます。眠くなってきた」

「おやすみ。一緒に飲んでくれてありがとう」

「こんなことくらいならまたどうぞ?」白光が部屋に戻った。

 缶を片付けて私も部屋に入る。

 オズ君のいない部屋は結構広い。

 眠れるかわからないが眼を瞑る。

 翌朝。

 堂々と朝帰りしたオズ君(女装じゃない姿)に言った。

「子どもに悪影響だからもっとこっそり帰ってきてくれないか」

「はいはい」

 もしかして。

「止めてほしいのか」

 子どもたちが銘々学校に出掛けた。

 私たちも出勤の時間だ。

「止めてほしいのか、て。止まらないでしょ、俺は」オズ君が自嘲しながら言う。

「どうしたんだ?」

 なにか。

 様子がおかしい。

「嫌なことがあったんだろう?」

「嫌なことって。嫌なことだらけですよ。俺はヘマするし、対策課は潰されそうになるしで」

 わかった。

 セフレの件は、オズ君の自傷行為だ。

「すまない。気づかなかった。もうそんなことしなくていい」

 抱き締めた身体は冷え切っていた。

 もう冬だ。

「対策課は私が守るよ。君のことだって私が命をかけて守る」

「そう簡単に命とか言わないで下さい」オズ君は泣きそうだった。

 自傷行為は図星か。

「俺を置いていかないで下さい」

「わかってるよ。それだけはしない。約束したよ」

 オズ君が力を込めて抱きついてくれる。

 私も潰さないように力を加減して抱き締め返した。

「あのパートだかアルバイトのことだが」

「見込みはあると思います」オズ君が言う。

 好きにさせろということだ。

「彼でないといけないのかね」

「いけないんです。これは俺の直感です」

 仕方がないのはわかっているが。

 せめて。

「セフレは何とかならんのか」

「嫉妬してるんですか」

「するよ。するに決まってる。君から知らない男の匂いがするのが耐えられない」

「シャワー浴びてきます」

「そうしてくれ」

 出勤には間に合いそうだ。














     2


 瀬勿関セナセキ先生に相談した。

「セフレはやっぱりいかんな。私からも言おう」

 先生はすぐに電話に応じてくれた。毎日忙しいだろうに、ちょくちょく本部にも顔を出してくれる。

 先生の本業は警察の協力じゃない。

 国立更生研究所。

 先生はそこで性犯罪者の更生の研究をしている。

相久アイク霧由むゆう、ああ、あいつの新しい部下とやらだが、あれに余罪があればこっちで面倒を見ることもできる」

 でもそれをするとオズ君がいい顔をしないだろう。

「無理矢理じゃないんだ。事実に基づいて行動すればいい」

 それをするにはオズ君のいないところで新しい部下と一対一サシで話す機会を設ける必要がある。

 12時。

 対策課本部。

「なんですか」オズ君が明らかに嫌そうな顔をした。

 私が何か企んでいるのが手に取るようにわかったのだろう。

「相久君、ちょっと一緒に昼食でもどうだろうか」

「これってパワハラですかね」相久がオズ君に確認する。

「パワハラだから行かなくていいよ」

「言い直そう。君と二人きりで話したいことがあるから来なさい」

「命令ですか」相久が言う。

「命令だ」

 オズ君がとびきり嫌そうな顔をしたが、相久を本部長室に連れて行った。

「え、これ愛妻弁当すか」相久が私のデスクにある弁当箱を目ざとく見つけた。

「オズ君――胡子栗エビスリトールは、私の妻だ」

「妻っていうか、え?あれ? 同性パートナじゃないんですか」

「そこらへんは深く考えてくれなくていい」

「そうすか」

 ソファに向かい合って座る。

 前髪が少し長め。身なりや雰囲気が落ち着いた印象の若者だ。

 殉職した、オズ君の以前の部下にちょっと面影が似ていた。

 そう思いたかっただけかもしれない。

「あの、連夜、奥さん?をお借りしてることについてでしょうか」

「自覚があるなら自重してくれ」

「でも向こうが来るんですよ。せっかく来てくれたのにそのまま返すにも酷でしょうに」

「そのまま帰してくれたほうが私にとってはありがたいがね」

 相久が脚を組む。「失礼ですが、うまく行ってないんじゃないんですか?」

「そう思ってくれなくていい」

「どんな返しすか」相久が大げさに笑う。「僕としては、あなた方の関係を壊そうという意志はないわけです。ただ単に身体の関係だけなわけで」

「あれはオズ君の自傷行為なんだ」

「自分の体を痛めつけてるだけ、ってことすか」

「だから君との逢瀬を愉しんでいるわけではないんだ」

 相久が初めて不快そうな表情になった。

「何か不満かね」

「不満どころか、けっこう楽しんでくれてると思ってたんですけどね。ちょっとショックです」

「だから君のところに言ってもそれとなく追い返してくれ」

「精神的苦痛を感じてるわけですね? わかりました。努力はします。でも流れってのもあるので」

「そのときは私に連絡をくれればいい。迎えに行くから」

 連絡先を交換した。

 これでとりあえず想いと事情は伝えられた。

 相久霧由を解放して、オズ君が作ってくれた弁当を食べる。

 このまま事態が収拾するとは正直思っていない。












     3


 中高校生が家出をし、家族が捜索願を出した。

 その子は、知り合いと称する男性のところで暮らしている。

 そんな事件が後を絶たない。

 家出した少女と男性に身体の関係がある場合。

 対策課の出番となる。

 金銭目的ならまだいいが、たいていは家庭に居場所がなかったり機能不全家族。

 この手の事件は輪湖兄弟のことを思い出す。

 あの子たちも、次々相手を変える母親に捨てられた。

 生きていくために、身体を売るしかなかった。

 白光君の傷はまだ癒えていない。

 赤火ちゃんも家庭内のストレスから、同年代の女子を募って中年男性をターゲットに売春をしていた。

 機能不全家族に戻すわけにはいかない。

 施設とは別の選択肢。

 私立文葦ぶんい学園。全寮制の女子の学校。

 そこで同じ境遇の少女が集まって、瀬勿関先生のケアプログラムを受ける。

 買っていた側の男は、瀬勿関先生の研究所で更生プログラムを受ける。

 12月。

 クリスマスが近いからか、人恋しい季節なのか、この手の少年少女が増える。

 赤火ちゃんの学校からも、青水君の高校からも、この手の少年少女が補導された。

 青水君は受験に専念しているので関心がないようだったけど、赤火ちゃんが気にしている。

 9月に同級生が亡くなったばかりだからというのもあるし、自分が昔していたことを思い出したのだろう。

「大丈夫だってゆったらウソになるけど、やっぱり怖くなる」赤火ちゃんが言う。

 18時。

 夕飯を作る前にちょっとお話しした。

「みんなおんなじことしてるんだって安心してる自分もいて。最低だってわかってるんだけど」

 赤火ちゃんを改心させたのは、俺じゃない。

 俺のご主人の妹。

 祝多出張サービス三代目店主。

「あんなこともうしないよ。したくない。だから信じて?」

「信じてるよ。大丈夫」赤火ちゃんの小さい手を握った。「じゃあ、ご飯作ろう?」

 今日は久しぶりに黒土君も家に来てくれた。

 夕食代を払うと言ったので首を振った。

「でも」

「俺に奢らせてよ。来てくれるだけでみんなうれしいんだよ」

 青水君が塾でいないのが残念だけど、みんなで囲む食事は一段と美味しかった。

 食事が終わってから、みんなが部屋に戻るのを待って、黒土君が口を開いた。

「相談があるんです」

 黒土君が付き合ってる彼女が、一昨日から連絡が取れない。

「夜にバイトを入れてるので一日くらい返答がないのは変じゃないんですが」

「それって黒兄がフラれただけってことない?」白光君がリビングのソファにいた。

「白。お前に聞かせたくないから部屋に戻ってくれないか」

「嫌だよ。黒兄がフラれた話聞きたい」

「今日お前いじわるだな。胡子栗さん、外出てくれませんか」

 相談者の黒土君がそう言うなら。

「車の中で話すといい」本部長がキーを渡してくれた。「ドライブはするかどうか任せるし、青水の迎えは私が行こう」

「ありがとうございます」

 たまには気が利く。

 20時。

「家にも行ってみたんですけど、ポストがそのままになってて」黒土君が言う。

 事件になってないだろうか。

 誘拐。

 彼女の名前と住所を聞いてメモした。

「無事だといいね」

「危ないことに巻き込まれてないといいんすけど」

 翌日。

 データベースで調べてみたけど捜索願は出ていないようだった。

 連絡が取れなくなってから三日。

 俺も彼女――梅井珠実ウメイじゅみのアパートに行ってみた。

 確かにここ数日、集合ポストを開けた形跡がない。

 様子を聞くために、アパートから誰か出てくるのを待った。下の階のドアが開いたので急いで階段を下りて呼び止めた。ちょうど真下の部屋の住人だった。

「上の階? 知らないっすね」

「物音とかしてなかったですか」

「いや~、いつもでっかい音で音楽聴いてるんで。もういっすか。電車の時間で」

「ああ、すみません。ありがとうございました」

 真下の住人はギターケースを背負っていた。

 大家を呼んで部屋を開けてもらった。間取りは1K。あまり片付けが上手でない子のようで、玄関に靴やらサンダルやらが散乱していた。

 キッチンも皿が洗わないままシンクに置いてあったり、浴槽も湯が張ったまま。ベッドに脱ぎっぱなしのパジャマ。ベッド脇のテーブルに化粧品が出しっぱなし。

「なんかあったんですか」大家が聞く。

「三日くらい連絡が付いてないんですよ。家賃は払ってますか」

「ええ、引き落としなんですが、特に滞納した記憶はないですね」

 23歳。親元を出て働いているので、親に聞いても直近の情報が得られるかどうか。

 職場は黒土君と同じ介護施設。管理栄養士として働いている。

 職場にも行ってみた。

 施設長のところに連絡はなく、無断で欠勤しているようだ。

「捜索願を出すべきなんでしょうか」施設長が言う。

「そうですね。さすがに三日となれば」

「わかりました。これから警察署に行きます」

 それから一週間。

 クリスマス直前。

「あの、思い出したことがあるんですが」黒土君が連絡をくれた。「誰かと頻繁に連絡を取っていたような」

 誰か。

 また売春か。

 クリスマスの翌日。

 梅井珠実が変わり果てた姿となって発見された。

 場所はラブホテルの一室。

 行為の後があり、指紋や体液からすぐに容疑者は特定された。

 ニュースにもなったので黒土君の耳にも届いた。

「これ、クリスマスに渡そうと思ってたんですけど」黒土君が俺に見せてくれた。「珠実さん、ぬいぐるみが好きで」

 彼女の部屋にはぬいぐるみは特に見当たらなかったように思うが、黙っていた。

「よかったらもらってくれませんか」

「いいよ。ありがとう」

 黒猫が座っている。手のひらサイズのぬいぐるみ。

「やーい、黒兄フラれてやんの」白光君が言う。

「白。さすがに聞き捨てならない」黒土君が険しい表情になった。

 20時。

 夕食を終えて、赤火ちゃんがお風呂に入っている。

「白光君。言いすぎだよ」俺も窘めようとした。

「遊ばれてたんだよ、黒兄。だって遊んでなかったらラブホなんかで殺されない」

「白」

「ざまあみろ」

「白。お前」

 ケンカになるかもしれない。

 そう覚悟したが。

「いい加減にしなさい」本部長が間に入ってくれた。「白光。今回はお前が悪い」

「そうやって黒兄の味方ばっかりするんすよね。はいはい。俺が悪うございました」

「白光」本部長は殴りこそしなかったが、叱り方に困っているようだった。

「白光君、ちょっと俺と出ようか」

 車でドライブ。

 泣きそうな黒土君は本部長に任せた。

「お馴染みの説教タイムですね」助手席の白光君が言う。

「さすがに言い過ぎだよ。黒土君に彼女ができたの、一番よく思ってなかったのはわかるけど」

 梅井珠実は殺された。

「死者を悪く言うなって? 黒兄、純粋すぎるんだよ。あの女、遊んでるのわかってたじゃん。だって俺のとこにもモーション掛けてたわけでさ」

「そうだったの?」

「だいぶ前だけどね。黒兄が付き合ったばっかのとき、俺に真っ先に紹介してくれたんだけど、あの女、黒兄がいる前で俺に連絡先交換しようとか言ってきて。交換したことにしてあと無視したから知らないけど」

 そうだったのか。

 俺は何にも知らなかった。

「なんで教えなかったって? 黒兄が幸せそうだったから。壊したくなかった、てのが建前で。別に俺が黙ってれば、ていういつもの白君の自己犠牲です」

 しばらく車を走らせてから帰った。黒土君は本部長と一緒に待っていてくれた。

「黒兄、ごめん。俺が悪かった」白光君が言う。

「別に。お前が黙っててくれたの知ってるし」黒土君が言う。

 仲直り?

 黒土君が帰るときに、白光君が黒土君の耳元で何かを囁いていたのが気になった。

 それを聞いた黒土君が吃驚したように眼を見開いていた。

「冗談だよ」と白光君は締めくくっていたが。

「さっきなんて言ったの? 黒土君に」

「え、前みたいに俺で発散してよ、て。言っただけすよ」と、薄気味悪く嗤った白光君は。

 ふらふらと家を出て行った。

 朝には戻るだろうと高をくくっていたのが間違いだった。

 行きそうなところを探した。

 黒土君のところにもいない。

 沢山いる(手放しつつある)彼女のところだといいが。

 電話にもメールにも応答しない。

 自主的にどこかへ行ってしまった。

 大晦日。

 そばを作って待っていたけど帰って来たのは写真一枚。

 男の背中が映っている。

 大きな刺青の入った男の。













     4


 普通は警察は家族がらみの事件の捜査には関われない。

 対策課はそうではない。

 赤火ちゃんと青水君には早く寝るように言って出掛けた。

「ホントに僕でいいんすか?」相久が眠そうに大あくびをする。

 21時。

 本部長は指揮を取るので現場には行けない。

 刺青から本人特定はできなかったが、屯してそうな場所ならわかった。

 事務所。

 関連会社。

 関連施設。

 関連企業。

 多すぎる。

 これをしらみつぶしか。

「無謀すぎやしませんか」相久がリストをチラ見して音を上げる。

「でも捜さないと」

 防犯カメラ。

 聞き込み。

「僕だったら心配させたいだけだからほとぼりが冷めた頃に自分で家に帰るかな」

 日付が変わるまで捜して家に戻った。

 新年。

 玄関前に白光君が座っていた。

「白光君!!」

 見たところ怪我はしていなさそうだった。

「心配したんだよ。さ、中入ろう」

「あの人、昔に俺を買ってくれてた人です」

 写真の刺青の男か。

「むちゃくちゃに抱いてほしくて。そう言ったらそうしてくれました。売るのも犯罪なんすよね。俺を連れてって下さい」そう言って白光君が両手を突き出した。

 その手を包むように握る。

「ごめんね。わかってあげられなくて」

「胡子栗さんのせいじゃないです」

「ごめん。ほんと、ごめん」

 悪いのは俺だ。

 なんで。

 なんでみんなこんな傷つかないといけない。

 白光君がいま初めて相久の存在に気づいた。「この人は?」

「え、どうしよう。試用期間中の俺の部下」

「相久です。どうも~」

「未成年誘拐とかしそうな顔してますけど、大丈夫すか?」

「え、ひっどい」

 白光君の居場所をさくっと当てた才能は特筆に値する。

 さすが。

 犯罪者の心理は犯罪者に頼るに限る。

「これで晴れて試用パートは卒業すかね」相久が言う。

 白光君を部屋に送ってから外に出た。車で相久を家まで送ることにした。

 25時。

「あ、新年明けまして?」相久が言う。

「おめでたくないよ、全然。全然めでたくない」

「無傷で戻ってきたからめでたいじゃないですか。あはっぴーにゅーいやー!」

「身体は無傷かもしれないけど、心はそうじゃなかった」

「ああ、確かに?」

 白光君は明日にでも先生に診せよう。素人がどうにかできる範疇を超えている。

 気づくのがいつも遅い。

 彼の傷は修復可能なんだろうか。

 俺の傷だって治ってないのに。

 誰か他の人の傷をどうにかしようだなんて、考えるほうが愚かだった。

「はい、こんなときに提案があります」相久が言う。

「家には寄らないよ」

「ええ~、一発やれば気分爽快でしょうに」

「そんな気分じゃない。はい、降りて」

「時間外手当って出ます?」

「年始休暇は三日までね。そのあとに考えるよ」

「ないんですね? はいはい。ブラック」

 26時。

 本部長がダイニングで酒を飲みながら待っていた。

「早かったな」

「皮肉ですか。こんな日にやりませんよ。それにセフレはもうやめました」

「じゃあ私とするか」

「そんな気分でもないですって。家族が無事だってわかったのに。充分です」

 白光君はシャワーを浴びてから眠ったらしい。

 生きていてくれて本当に良かった。

 安心したら泣けてきた。

「大丈夫か」本部長がビックリした顔で近付いてきた。

「大丈夫じゃないってゆったら何してくれるんですか」

「こうするしかないな」と言って、本部長は優しく抱き締めてくれた。「泣きやんだら言ってくれ」

「泣きやんだらって、そこはそっちで確認してくださいよ」

「わかった。顔を見ることになるがいいね」

「どうぞ」

 本当にこの人は。

 気が利くと思ったら急に利かなくなる。

「ああ、あけましておめでとう」本部長が言う。耳の後ろから聞こえる。

「なんかそれ、どこかで聞きましたね」

「そうだったかな」













     5


 翌日。

 みんなで集まって初詣に行った。

 みんなが元気でいられることを願った。

 黒土君が仕事に行った。

 本部長と白光君と青水君と赤火ちゃんとお寿司を食べに行った。

 本部長が仕事に行った。

 青水君が部屋に戻って勉強を始めた。

 白光君と赤火ちゃんと一緒に福袋を買いに行った。

 ゆっくりした時間が過ぎた。

 いつまでこうしていられるかわからないけど、こうしていられる間はいまをだいじにしよう。

 三が日を過ぎて、通常の仕事に戻った。

 いなくなる中高生が後を絶たない。

 夜中にパトロールでもするか。

「放っとけばいいんじゃないすか?」相久がやる気なさそうに言う。

「バイトは黙ってて」

「まだバイト扱いなんすか。成果出したじゃないすか」

「あれだけじゃね」

 対策課事務所。

 9時。

「好きでいなくなってるんでしょ? 家に居場所がないから。僕のとこ来てくれたらそれなりに持て成すのに」

「そうゆうのがいるから、なくならないんだろうか」

「卵が先か鶏が先かってやつでしょうね」

 すべての子どもを救おうとするからうまく行かない。

 俺に出来ることは僅かだ。

 本部長に呼ばれた。

「僕は?」相久が行きたそうにする。

「お留守番」

 本部長室。

「今日は弁当がなかったね」本部長がデスクから立つ。

「そうゆう日もあります」

 座る気が起きなかったが、座れと言われたのでソファに座る。

 本部長が隣に座った。

「正月ボケは早めに直しなさい」

「はあい」

「弁当がないのもそうなんだろ?」

「そう思ってくれたわけですね?」

 相久の塾は、二人も不祥事でクビになったことから悪い噂が付いて廃校になった。

 あの場所はまた売地になった。

 出勤前に見に行ってきた。

「あの部下とやらは使い物になってるのかね」本部長が言う。

「乞うご期待ですかね」

 本部長を見る。

「用件は終わりましたか」

「やっぱり少年課に」

「浮気しますけど」

「存続はさせているが、君が動きにくいなら在り方を変えてもいい」

「ううん」

「乗り気じゃない顔だね」

 対策課を守りたいわけじゃない。

 対策課でなければいけないわけでもない。

 対策課にこだわっているわけでもない。

 対策課なら、何かできると信じている。

 たぶんそれだけ。

「焦らなくていいから。何か言ってくる者がいたら私に報告しなさい」

「いつもありがとうございます」

 対策課の事務所に戻る。

「いい話でしたか?」相久が茶を飲みながら言う。

「そこそこ。ちょっとパトロール出よう」

「運転しますよ。バイト君はそのくらいします」

 少しでも。

 居場所のない子どもを助けられるように。

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踏破月刊罪悪/僕と。 伏潮朱遺 @fushiwo41

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