賽の河原のおにいさん

えんがわなすび

河原

 ごうごうと吹きつける風が山裾に降りて水面を撫でつける。

 見渡す限り砕いたような鋭い岩石が転がる岸辺にちょこんと蹲る物体を見つけて、俺はどかどかと歩み寄った。

「もしもし、そこの。意識はあるか」

 一歩手前まで寄ると、それは俺の膝ほどしかなく。蹲っているとはいえ、これまた随分と小さい。思わず溜息が零れ落ちそうになる前に、その小さいのは自分のことだと認識したのかもぞもぞと動いて顔を上げた。

 陶器のように白い肌をしているが、頬はふっくらと独特の膨らみを持っている。恐る恐ると見上げてきた小さな幼い目が不安げに揺れた。

「……おに、さん……、れ……?」

 たどたどしく紡がれた言葉は上手く形になり切れないままだったが、「誰?」と聞かれたことは理解した。膝を抱えるようにして蹲るそれに合わせるためにしゃがみ込む。それでも尚、目の前のそれは小さかった。

「君のお迎え」

「お、かえ……?」

「そ。で、更にその後のお迎えが来るまでの保護者」

 そこは理解できなかったのか、小さな頭が軽く傾く。拍子に、肩口で切り揃えられた髪がさらりと揺れる。

「ま、理解しない方がいい。自分がどうしてここに来たかなんてことも含めてな」

 よっこいせと立ち上がる。追うように見上げてくる顔に向かって手を差し伸べた。

 自分の顔よりも更に大きい俺の手と俺の顔を交互に見つめたそれは、随分と悩んでから小さな手で握り返した。


 手を繋いでゆっくりと歩く。なにせ隣を歩く小さいのは、ここの岩場に何度も足を取られそうになるもんだから自然と歩調を合わせた。その度にぎゅっと縋りつくように握ってくるもんだから危なっかしいにもほどがある。

 漸く広場まで戻ってきた俺達を迎えたのは、上から調査に来ていた眼鏡野郎だった。

「ああ、柳鬼りゅうきさん。いないと思ったらお迎えに行ってたんですね」

「西区の方で見つけた。丁度いい、数追加しといてくれ」

 見せるように繋いだ手を掲げると、眼鏡野郎ははいはいと手に持った用紙に書き込んでいく。隣の小さいのはもう慣れたのか、繋がれたままきょろきょろと物珍しそうに辺りを見渡していた。

「それにしても、今度の子は随分と小さい。これじゃ七つもいってないでしょう。んー、女の子かな?」

「ここ最近数が増えている。嫌になるよ、ほんと」

 最後の言葉は溜息と共に吐き出したつもりが、ちゃっかり聞き取った眼鏡野郎が「それがあなたの仕事でしょう」と喉を鳴らして笑う。ムッとしたが間違いでもないため寸でのところで口を噤んだ。

 ふいに繋がれた手をくいと引かれる。見下ろせば小さな頭がこちらを見上げていた。

「おに、いさん」

「ああ、そうだった。迎えが来るまでお前は、ほら。あっちで一緒に遊んでな。があるから」

 あっちに、と目線で促す。

 広場の周りには隣に立つ小さいのと似たような背格好の子たちが黙々と手を動かしていた。中には少し大きめもいるが、代わりにまだ腰も据えないようなやつもいる。

 それを見た隣の小さいのは俺と広場を交互に見て、それから興味が出たのか覚束ない足取りでふらふらと歩きだし混ざっていった。

 ごうごうと風が吹きつける広場に、大勢の小さな子供たちが思い思いに積み木で遊んでいる。寄木で出来たそれは俺のお手製だ。見渡す限りくすんだ灰色しか目に入らないこの場所では、その茶色い木製の色が嘘みたいに映えている。

「また増産しないといけないんじゃないですかねぇ、積み木」

「うるさいな」

 揶揄うように投げられた言葉をピシャリと叩き落とすと、でひゃひゃと気持ち悪い笑い声を上げる。眼鏡野郎のこの笑い方はどうにかならないのかと毎回思う。

 一度大きく息を吸い込み、そうして吐く。熱気のこもった風が肺を撫でつけた。


 見渡す限りに存在する小さな塊がいそいそと手を動かすのを端から順に見る。こいつらの迎えが来るのは、果たしていつになるだろうか。

 何百年先か。何千年先か。ここではもう時間の概念なんぞ存在しない。終わりのない場所でただひたすら積み木で遊び、そうして何もかも分からなくなった頃にひょっこり迎えが来るのだ。

「さて、じゃあ私は帰りますね。また伺います」

「おう、当分来なくていいぞ……って、あ」

 帰り支度をしだした眼鏡野郎に目を向けると、その向こうで歩いていた小さいの――さっき連れてきたやつとは別の――が足元の石に躓いて顔から派手に転んだのが見えた。一瞬呆けたようなその顔がみるみる歪んでいく頃には俺の足は走り出していた。

「あ、う……いっ、びえええええ!」

「あーあー、痛かったな、大丈夫だって、泣くな」

 どたどたと広場を縦断し未だ地面に突っ伏しているやつに駆け寄る。でもそれが良くない。

「あ、柳鬼さん。あなたが走ると……」

 後ろから追いかけてきた眼鏡野郎の言葉に、しまったと思ったときには遅かった。

 俺が走ったせいで地面が揺れ、周りにいた他のやつが積んでいた積み木がバラバラと崩れ落ちていく。俺の喉からヒュっと空気が漏れ、周りが一瞬静かになったと思うと、堰を切ったようにワッとあちこちから泣き声の大合唱。こうなったらもうだめ。

「あーあーあー! 悪かったって! 今のは俺が悪い! ごめんて!」

 俺の謝罪なんて誰も聞いちゃいない。自分の積み木が崩れたことが悲しくてしょうがないのだ。果てのないこの場所の果てまで届くんじゃないかってほどの泣き声が泣き声を連鎖してわんわん響ている。

「じゃ、私は帰りますねぇ」

「おい眼鏡野郎! てめぇ、この状況で帰るとか正気か! 手伝えよ!」

「それはあなたの仕事なので。じゃ」

 じゃ、って片手上げて笑顔で本当に帰っていく眼鏡野郎に覚えた殺意は、覆い被るような泣き声で埋め尽くされる。あっちもこっちもぼろぼろ涙流して、「崩れた!」の主張の大売り出し。

「悪かったって! な、ほら戻すの手伝うから! お前も、転んだとこもう大丈夫だろ!」

 しゃがみ込んで崩れた積み木を集めていく。こうなったらもう、こっちがへりくだって少しでも収束に向かわせないとどうにもならない。

 ぐずぐずと泣き崩れるやつらの積み木を手に取り、泣きたいのはこっちだってとか思ってたら腰の辺りをとんとんと叩かれた。今度はなんだと振り返れば、さっき連れた来た小さいのが立っている。その顔に涙は流れていない。

「おにい、さん。だいじょうぶ?」

 どこかきょとんとしたその顔を見て、知らず焦っていた気持ちが僅かに凪ぐ。無意識に苦笑が漏れたいた。

「だいじょうぶじゃねーよ」

 その小さな頭に手を乗せ、くしゃりと撫でる。

 わっと一際うるさく響いた周りの泣き声が、風に乗って川を流れていった。

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賽の河原のおにいさん えんがわなすび @engawanasubi

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