第28話 お前は本当にそれでいいのか?


 高価な品々が毎週のように屋敷へと届けられる。

 送り主はディランの支持者のうち、屈指の資産家でもある有力貴族。


 受け取るたびにお礼として刺繍のハンカチを送っていたのだが、行き過ぎた高価な贈り物が気になったのだろうか。

 困ってはいないかとルーカスに問われ、マーニャは恐縮した様子で話を切り出した。


「ご厚意はありがたく頂戴しておりますが、どれも身に余る品々で恐縮してしまいます」

「随分とお前に執心のようだな。ディランも通さずに、直接会って話がしたいと言ってきた」

「そうですか……」

「面倒ごとは避けたいが、どうする? 勿論護衛は増やすが、どうしても嫌なら断っても構わない」


 ルーカスの立場上、ディランの支援者……それも有力貴族からの申し出を断るのは容易ではないはずなのに。

 あの闘技場での一件以来、ルーカスは度々マーニャに選択肢を与えてくれるようになった。


「お手紙でのやり取りは難しいかと存じますので、もしお許しいただけるならお礼申し上げたいです」

「ならば、近日中に場を設けよう」


 マーニャが手慰みに刺繍をしているという報告を受け、色とりどりの刺繍糸を準備してくれたのもルーカスである。

 いつの頃からか屋敷に帰るたび、重々しく閉ざされていた夫婦の扉が当たり前のように開かれるようになった。


 ルーカスは何をするでもなく、いつも取り留めのない話をしては去っていく。

 断頭台での処刑を逃れてから早二ヶ月近く経ち、マーニャの王宮行きが間近に迫っていることも、ルーカスに教えてもらった。


「何か必要なものはあるか?」

「いえ、特には……それに屋敷の皆様には、とても良くしていただいています」


 いつもありがとうございます。

 そう告げると、ルーカスの目がわずかに細められる。


「あの、ルーカス様!」


 何を言うでもなく、そのまま自室に戻ろうとしたルーカスを呼び止め、マーニャは慌てて駆け寄った。


「なんだ?」

「もしご迷惑でなければ、こちらを……」


 いつものように鋭い視線で射抜かれ、一瞬身体が硬直する。

 それでも自分の声が思ったよりも震えていなかったことに、マーニャ自身が驚いた。


「不要であれば、捨てていただいても構いません」

「俺に?」

「はい。今、私にできる唯一のお礼ですから」


 柔らかな色合いの小さな野の花。

 ルーカスは眉根を寄せ、じっとマーニャを見つめる。


 何かを言いかけ、次の瞬間大きな手がそのハンカチを受け取った。

 そしてそのまま何も言わずに踵を返し、パタンと音を立てて扉が閉まったのである。



 ***



《マーニャ、我らに話すべきことはないか?》


 夫婦を分かつ扉が閉ざされ、贈り物のお礼となる刺繍をマーニャが再開するや否や、空気が張り詰めた。


「なんのことでしょう」

《その刺繍だけではない、送られてくる装飾品の模様にも規則性があるだろう》


 目の前には仁王立ちのルビィ。

 我らをたばかる気ならそれなりの覚悟をするんだな、とその目が鋭さを増していく。


《やぁね、とぼけちゃって。わたくし達が気付いていないとでも?》

《刺繍の模様や配置、宝石の並び……すべて意図的だな》


 隠し通せるとは思わなかったが、やはり無理だったかとマーニャは嘆息する。

 そもそもこの二人を前に、今まで隠しおおせたこと自体が奇跡のようなものなのだ。


「やっぱり駄目でしたか」

《愚か者め、バレないとでも思ったか?》

「いえ……いつバレるかとひやひやしていました。隣のお部屋にルーカス様がいらっしゃるので、筆談に致しますね」


 告げるなり机の引き出しから取り出した紙に、『はい』『いいえ』の二つの選択肢を書いた。


 隣室にルーカスがおり、話すと聞かれてしまう可能性がある。

 かといって書くと残ってしまうため、出来ればこの二択で答えられる形での質問をお願いしたい。


 すぐに理解した二人の悪女は、心得たように頷いた。


《高価な贈り物をしている貴族は、お前の祖国レトラ神聖国の者か?》


 マーニャは指先でトントンと『はい』を叩く。


《それは神殿の者。規則性のある配置は暗号で、贈り物を通し定期的にやり取りをしている》


 またトントンと、二回『はい』を叩いた。


《わたくし、最初にハンカチを送った時の血痕が気になっていたのよねぇ。いくら予備が無いにしても、マーニャの性格上、血が付いた物をお礼に使うなんて有り得ないもの》

《まぁそうだな。さしずめ裏切らないとの決意表明……血判状のようなものだろう》


 不注意を装い針で指先を刺したのだが、そんなことまでバレているのか。

 マーニャは自嘲気味に微笑み、また二回『はい』を叩く。


《でも聖女が捕らわれるような状況で逃げおおせるとなると、かなり高位の聖職者よね》

《だろうな。以前、鞭打ちの痕について聞いたのを覚えているか?》


 勿論覚えている。

 いくら聞かれても余計な情報を口にする気はなかったので、あの時は何も答えなかった。


《ディランの取り巻きであれば、お前が戦争捕虜になっていることをもっと早くに知っていたはずだ》


 ルーカスはディランに命じられて祖国を滅ぼし、神殿に火をかけてマーニャを捕らえたと言っていた。

 断頭台行きを命じた、とも。


《祖国を裏切り、守るべき聖女を置いて逃げた挙げ句、決闘場での一件があるまで静観してたってことよねぇ》

《一年後に公開処刑が決まっている聖女を助けても、旨味があるとは思えんからな》


 それはマーニャにも分かっていた。

 決闘場でのマーニャを見て、利用価値有りと判断したからこそ接触してきたのだ。


《聖女だったお前に血判状まで出させるほどの権力がある聖職者》


 嘘偽りは許さないと、その黄金の瞳がマーニャを見据える。


《お前の背を鞭打った者なのだろう?》


 トントン、とマーニャの指先が二回、軽やかに動いた。

 やっぱりそうよね、とアンジェリカが呟いている。


《だがマーニャ。そうなると……復讐をするにしても、利用されるようなものだ。お前は本当にそれでいいのか?》


 死か復讐か選べと言っておきながら。

 問い質すのではなく、マーニャを案じているようにも聞こえる。


 普段は傲慢な支配者そのものなのに、時折こうして細やかな気遣いをみせてくれるのだ。


《これまでと違い、ルーカスに贈る刺繍をしている時は、心なしか楽しそうに見えた。――お前自身、迷いはないのか?》


 マーニャは思わず息を呑む。

 まったくこの人は、どこまで見通してしまうのだろう。


 指先が紙の上を彷徨い、それから一回だけ、トン、と『いいえ』に触れた。

 迷ってなんかいないと、まっすぐにルビィの目を見据える。


「もう、決めたことですから」


 ルビィはそれ以上何も言及せず、《そうか》と呟いて小さく肩をすくめた。

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る