第27話 裏切り者からのメッセージ


《なぁにマーニャ、急に刺繍なんか始めちゃって》


 アンジェリカがつまらなそうに、マーニャの手元を覗きこむ。

 相談した三点の贈り物はすべてルーカスの許可が下り、手元に置くことを許された。


「これほどの高価な品は、私には分不相応です。手慰みで覚えた刺繍ですので大した柄は刺せませんが、お礼としてお渡しできれば、と」


 ルーカスからも、刺繍ハンカチのお礼は問題ないと言われている。


《ふぅん……? 貢物なんて黙って貰っておけばいいのよ》

《相手にも利があるから献上するのだ。いちいち礼などしていたらキリがないぞ?》

「それでも、です。今の私は戦争捕虜上がりの、後見すらいない……立場の弱い妃なのですから」


 話をしていたら手元を誤り、チクリと針で指を刺してしまう。


《何をしているの!? 刺繍如きで怪我をするなんて、信じられないわ》

「そうですか? 私はよく怪我をしますが……きっとアンジェリカ様の刺したハンカチは、とても素敵なのでしょうね」


《そのうち機会があれば見せてあげるわ!》

《信望者が多かったなら、どこかに残っているかもしれんな。私が作らせた聖杯同様、呪物としてだが》


 失礼ねとアンジェリカが怒っているが、確かに曰く付きの品として残っていそうな気もする。


「ふふ、……是非、拝見したいです」


 構図や色合い、季節の模様や、送る相手に合わせた絵柄。

 表面上はどんなに装っても、一刺し一刺し針を進めるたび、内面がにじみ出てくるものだ。


 ――昨日、再び書庫へ行った時のこと。

 またしてもすぐ後ろに立つレオルドに、ついにアンジェリカが交代を願い出た。


《マーニャ。こういう男は早めに教育しないと、この先ずっと変わらないわよ》

「ですがこればっかりは難しいのでは?」

《何を言ってるの! すぐに終わるから、一分だけ変わりなさい》


 そんな短い時間で何が変わるとも思えないが、一分だけならと、マーニャはゆっくり目を閉じる。

 直後、瞬く瞳は薄桃色に変化した。


「レオルド様。少しだけ、距離を空けていただきたいのです」

「目の色が!? いや、その……ですが絶えず目を離さぬよう」

「卿のような素敵な男性が近くにいらっしゃると、それだけで緊張してしまって」

「す、素敵な!?」


 なにせ神殿育ちなものですから……。

 恥ずかしげに目を瞬かせ、下から覗き込むようにしてレオルドへ視線を送ると、先程の堅物ぶりが嘘のように顔を赤らめた。


《この男の何がどう素敵なんだ?》


 アンジェリカ、お前はまたそんな適当なことを……と、ルビィが呆れ果てている。


「困ったわ、胸がドキドキします」

「ええッ!?」

「それに何だか火照ってきたような……? どうしましょう、書庫には誰もいらっしゃらないから、二人きり、ですね」

「い、いやその」

「そうだわ! 後ろだと素敵なお顔が見えないもの。よろしければ、隣に座ってくださらない?」


 主君の妃に色めいた視線を送られ、レオルドは大慌てで目を逸らした。


「わたくし、レオルド様ともっと近くでお話がしたいわ」

「そ、それはまずい。俺は任務が……」


 外から見れば、可憐な少女が逞しい騎士に胸を高鳴らせ、ときめいているように見えるのだろうか。

 でも中にいるマーニャには、アンジェリカの気持ちが手に取るように伝わってくる。


 純情な少女を演じつつ、ときめいたように瞳を濡らしつつ……だが心は凪いだ海のように穏やかで、一切の感情を伴ってはいなかった。


 レオルドの反応を確認しながら、柔らかな仕草で小首を傾げ、長い髪をクルリと指で弄ぶ。


「うふふ、レオルド様ったら頬を染めて……何て可愛らしいの」

「か、かわッ!?」

「もしかして……私にときめいてくださったのですか?」


 一歩どころか、数歩後退り、あれほど悩んでいたのが嘘のように……たった一分であっという間に距離が開く。


 ルビィが『動』だとしたら、アンジェリカは『静』。

 だがぽっかりと胸に穴が空いたような……何の感情も伴わない、空虚な気持ち。


 毎日時間を決めて交代している時には分からないが、ふとしたことで入れ替わると、満たされないアンジェリカの気持ちが手に取るように伝わってくるのだ。


 攻撃的な言葉も多いが思慮深く、すぐに看破し核心を突いてくるアンジェリカ。

 たまに慣れた油断から、意図せず素が出てしまうのだろうか。


 慈愛に満ちた優しい目をする時があり、恐らくこちらが本来の姿なのだろうと思い至る。

 そして、そうならざるを得なかった状況に思いを廻らせ……マーニャは悲しくなってしまうのだ。


《ちょ、ちょっと待ちなさい。もしかして血が付いたハンカチを送るつもり!?》

《マーニャお前……》

「頂いたハンカチの予備がありません。赤い刺繍糸で上から花の模様を刺しますし、大丈夫ですよ」


 赤く滲んだ血の跡を覆うように、小さな薔薇を刺していく。


 ……燃え盛る炎の中、神殿内に設けられた逃走用の隠し通路に向かい、聖職達は我先に走っていた。


 隠し通路の場所を知っているのは、高位の聖職者達だけ。

 身分は高く、勿論アスガルドに伝手があってもおかしくない、大貴族出身者ばかりである。


 マーニャ宛のメッセージは、ディランとその支持者達から届いた贈り物に隠されていた。

 つまりは神殿内に裏切り者がおり、かつマーニャを利用する意図で接触してきたということ――。


 手の中のハンカチを見つめ、刺繍糸をそっと指でなぞる。


 闘技場で、あれだけ派手に姿を晒したのだ。誰かが接触してくる可能性は、勿論折り込み済みである。


『祖国の再興は、あなたの手に委ねられている』


 裏切り者がもたらしたメッセージを反復するように胸の内で唱え、マーニャは刺繍の終わったハンカチを丁寧に折りたたんだ。





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