第6話 贄の兎は、身体をひらく② 太陽王に捧ぐ
(SIDE:屋敷の主ルーカス)
酷な仕打ちをするものだ。
十六歳と聞いていたが、想像していたよりもずっと幼く見えるのは、世俗から遠ざけられていた聖女だからだろうか。
下賜された際、城に連れてくるよう命じられたが、魑魅魍魎がのさばる王宮に呼んだ日には何をされるか分からない。
突然祖国を滅ぼされ、過酷な運命を背負わされたマーニャがあまりにも憐れで、たまに息抜きに訪れる別邸へと押し込めた。
「――――公開処刑だ」
突然の死刑宣告に、マーニャの顔から血の気が引き、死人のように青褪める。
処刑は一年後だが、この婚姻が死すらも厭わぬほど苦痛であれば、自ら命を絶つことを止める気は無いと、短剣を手渡した。
恐怖で平静を保てなくなったのだろうか、マーニャの身体がゆらりと揺れる。
「お前のような年端もいかぬ娘を、このような形で
もはや精神の限界なのだろう。
辛そうに眉をひそめ、ギュッと目を閉じている。
その心情を憂い、どうすることもできない自分の無力さに歯噛みする。
だが次の瞬間その指先が、突然意志を持ったかのようにピクリと鋭く動いた。
戦場で感じる、死に面した時の身体中の毛が逆立つような緊迫感。
命のやり取りには慣れているはずのルーカスの背を、冷たい汗が伝う。
少女は目にも止まらぬ速さで鞘を払うと、その細い腕からは到底考えられない力で襟首を掴み、剣先を喉元へと突き付けた。
慢心していたつもりは無いが、これでも有数の騎士のはず。
防ぐ間すらなかったことに驚き声も出ないルーカスの目の前で、「今日を以て夫婦になるのだろう」と告げた瞳が黄金に染まる。
「さぁ、腹を割って語ろうではないか」
身体が地に沈み込むような凄まじい圧を放ちながら立ち上がり、少女はルーカスを見下ろすと、先程までの怯えが嘘のように全身に自信を漲らせ、高らかに告げた。
***
突き付けた剣先を男の喉元から引くや否や、少女はテーブルに置いてあった酒を手酌でなみなみと注ぎ、一気に喉奥へ流し込んだ。
「これじゃあ足りんな。……違う酒を持って来い」
従うのが当然とでも言うように、顎で指示を出す。
突然様子のおかしくなったマーニャを訝しみながら酒を手渡すと、またしても新しいグラスに機嫌良く注いで呷った後、空のグラスをの男の前に置いた。
「
淡々と宣うその姿は、命じ慣れた者だけが持つ傲慢さが窺える。
男が無言で酒を
手元で短剣をもてあそぶ姿は熟練した傭兵のようで、一体何が起きたのかと男は食い入るように少女を見つめた。
「……歳と、名前は?」
不遜な態度で問われ、無言で返すと、少女はフンと鼻を鳴らし手元を軽く振る。
風切り音を立て、至近距離から飛んできた短剣を避けるも間に合わず、男の頬を浅く掠めて壁にトスンと突き刺さった。
「二十五歳。……ルーカス」
逆らうことを許さない黄金の瞳に射抜かれ、敢えて家門を伏せると、少女の顔が微かに歪む。
「貴族……いや、王族か?」
ガッと勢いよく手元の酒を呷り、空になったグラスをドンッ!、と乱暴にテーブルへ叩きつけた。
「――それとも、王か」
少女のものとは思えぬほどの低い声が、空気を浅く震わせ、ピンと張りつめた緊張感がその場を支配する。
貴族を装っていたのに看破されるとは思わず、男……ルーカスは、ギシリと身体を固くした。
「何を驚くことがある。国章の施された右手の指輪は、王が政務を行う際に身に付ける物。まぁ着け外しが面倒なため、そのままにしておことが多いがな」
突然聖女を妻に娶れと
だが、これはアスガルド王室特有の慣習……国内の貴族ですら知らない者がいるというのに、マーニャがそれを知っているのは、あまりに不自然である。
「お前は誰だ!?」
「……さぁ? 誰だと思う?」
噛み殺すように笑いを堪えて立ち上がり、ルーカスのもとへ歩み寄ると、少女は先程の短剣を壁から引き抜いた。
「その様子だと、多少腕に覚えはあるのだろう? 生身の身体は久しぶりだ。肩慣らし程度に相手をしてやる」
クルクルと手元で短剣を回し、その腰に下げた剣を抜けと視線で仄めかされる。
鼻歌まじりで挑発する姿から目を背け――次の瞬間、身を躍らせたルーカスの剣が空を切り裂きながら弧を描き、少女へと向かう。
急に様子が変わった理由は分からないが、護送中に入れ替わった刺客ではないか。
そう思い至り容赦なく剣を振り切ったのだが、少女は難無く短剣で受け流し、軌道を変えた。
細身の身体を翻し、瞬時に短剣を持ち換えると、剣柄をルーカスの鳩尾へとめり込ませる。
「……ッ」
一瞬気が遠くなるが、軋む身体をものともせず、再度斬りかかろうとしたルーカスの腕の隙間からマーニャは内に潜り込み、そのまま肘を打ち顎を揺らす。
ぐらりと脳が揺れ、景色がぶれた。
「この身体にはちと重いな」
脚に力が入らず膝を落したルーカスの剣を奪うと、感触を確かめるように数度振り、顔を顰めている。
震える脚で立ち上がり、必死に体勢を整えるルーカスを少女は一瞥し、「今代の王は鍛え方が足りんな」と豪快に笑い出した。
刺客であれば、脳震盪を起こし戦闘不能になった今のタイミングを、逃すはずがない。
かといって歴戦の騎士であるはずのルーカスを、子どものように軽くあしらえる者など王国内には存在しない。
刺客ではない、かといって件の聖女でもなさそうだ。
それでは、一体何者だ――?
荒い息を吐くルーカスを楽しげに見遣り、黄金の瞳がきらきらと輝いている。
「聞きたい事がありそうだな? 気が向いたら答えてやろう」
「お前は……だれ、だ」
途切れ途切れに問うと、少女は小さく「ふむ」と呟いた。
「私の名はルビィ。……ルビィ・シエノス。この娘の身体は特別なようでな、一時的に借りている。お前が真に王であるならば、我が子孫。同じテーブルにつく権利を与えてやろう」
告げたその名は、遥か昔――数多の小国をまとめ上げ、アスガルドの初代女王として君臨した、建国の祖。
国外では『狂乱の女王』などと揶揄されることもあるが、断頭台で処刑されるまでの話は絵物語にまでなり、今もなお国民に広く語り継がれている。
謀るつもりかと声を荒げたくなる一方で、そうでなければ説明が付かないと思う気持ちもあり、揺れる視界の中、痛む鳩尾を押さえながら、ルーカスは再びソファーへと腰掛けた。
「太陽王に捧ぐ、だ」
「……?」
「指輪を外し、中を見ろ。まったく、たった三百年でここまで落ちぶれるとは」
嘆かわしいと言いつつ、ルビィは美味そうに酒を呷る。
その言葉を受け、王の指輪を外して内側を確かめると、確かに何かが彫られていた。
太陽王に、捧ぐ――?
目を凝らさねば見えぬ程の掠れた文字。
王本人ですら気付かぬことを、なぜ神殿の奥深くにいたはずの他国の聖女が知っているのか。
ぞわりと背筋が凍りつき、心臓が早鐘を鳴らす。
ルーカスは様子を窺うようにマーニャへと視線を向けるが、鋭い眼光に射竦められて、瞬きすらも儘ならない。
「もう分かっただろう? 早くしろ、私はこう見えて気が短い」
こう見えるも何も明らかに気が短そうなのだが、迂闊なことを言うと暴れ出しそうな気配すらある。
「……身体を借りている間、本人はどこへ?」
「さぁ、知らんな。中から見ているのか、意識がないのか……それは後で戻った時に、本人から直接聞くといい。
「
不穏な気配を察知し、汗ばむ拳を握りしめたルーカスに、ルビィは口端を歪めた。
「そう、我々――、だ」
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