第5話 贄の兎は、身体をひらく① 初夜なのに死刑宣告
「お召し替えの前に、湯浴みをしていただきます」
そう告げた侍女は、マーニャの服を脱がせるなり悲鳴を上げた。
鞭打たれ腫れあがり、血が滲むその背中に、アンジェリカとルビィも思わず息を呑む。
「いくら戦争捕虜とはいえ、これはあまりにも……」
侍女はマーニャの身体を清め、簡単な手当てをした後、後ほど医師をお呼びしますと告げて部屋を後にした。
《その傷は、どこで付けられた? アスガルド王国か?》
「……」
《それともレトラ神聖国によるものか?》
これは、レトラ神聖国の神殿内で付けられた傷。
だが何も答えず、マーニャは困ったようにルビィを見上げた。
《……お前は、聖女だろう。それに、王女だったはずでは?》
いくら聞かれても、余計な情報を口にする気はない。
沈黙を守るマーニャに、ルビィは苛立ちを露わにする。
《まったく頑固な子ねぇ……ところで誰の屋敷なのかしら? 調度品の質は高く、屋敷の外観も豪奢。かなり高位の貴族かもしれないわ》
アンジェリカは部屋の隅々に目を留め、冷静に分析している。
《誰であろうが関係ない。邪魔なら叩き潰すまでだ》
知ったことかとルビィが言い捨てると、アンジェリカが《ルビィ様は相変わらずねぇ》と笑いながら、ふわりふわりと室内を上下した。
《扉一枚挟み、男のものであろう私室。続き部屋に広い寝室……『妻』として下げ渡されたようだけれど、いわくの付いた亡国の聖女を、昨日の今日で娶るような男よ? ……存分に注意なさい》
悪女とは言え元王太子妃……その忠告を心に留め、憂鬱な気持ちでその時を待っていると、屋敷の主が帰ってきたのだろうか。
馬車が停まる音がする。
《……そろそろ静かにした方がいいわね》
アンジェリカが言い終わらないうちに、階下から規則正しい足音が聞こえ、隣室に人が入って来たのを感じた。
どんな人なのだろう。
酷い目に、遭わされたらどうしよう。
怯えるマーニャを嘲笑うかのように、足音は近付いてくる。
少しだけ気怠そうに溜息を吐くアンジェリカと、迎え撃つかのように挑戦的な視線を向けるルビィ。
激しく波打つ拍動を押さえていると、扉の前に誰かが立つ気配がした。
ただ一点を見つめるマーニャの瞳に、部屋を繋ぐ一枚の古びた扉が映り込む。
少し籠もった音を立て、その扉はゆっくりと、躊躇うように開かれた――。
***
真向いのソファーに腰掛ける男は、闇夜のような漆黒の瞳でマーニャを捉える。
数多の戦場を駆けてきたのだろうか。
捲り上げた袖からのぞく腕に、ゆったりと開かれた襟から見える首筋に、……いくつもの傷跡が残っていた。
「お前を妻にせよと、命ぜられた」
真正面から睨みつけられたマーニャは息を呑み、そろそろと目の前の男を見上げる。
一体誰に命ぜられたのか……。
自身の名前すら告げずに、男は一方的に話を続ける。
「期間は一年。一年後の、建国式までだ」
「一年!? あの、い、一年経ったその後は、その、どうなるのでしょう?」
突然期限を言い渡され、何も分からぬまま不安のうちに問いかけると、男は眉間に皺を寄せながら、険しい顔で目を伏せた。
「――――公開処刑だ」
不機嫌に言い放ったその言葉に、マーニャはヒュッと息を呑む。
こ、公開処刑!?
なぜ今ではなく一年後なのか。
どのような経緯で、なぜ殺されなければならないのか。
何一つ分からないままの死刑宣告に青褪める。
「本来であればすぐにでも断頭台に消えるはずだった命。お前は
死ぬためだけに、下賜された――?
あまりに一方的な言い分に驚き、マーニャはもはや声も出ない。
「あ、あああの、仰る意味が、よく」
必死の思いで言葉を紡ぐが上手く話せず、声が震え、つかえたように言い淀んでしまう。
震えるマーニャを目にし、男は大きな溜息を吐いた。
「一年後に処刑されるとはいえ、兵士らに下げ渡され、慰み者になってもおかしくないところを免れ、今ここにいる。自国では王女、しかも聖女とあがめられていたかもしれんが、俺には関係ない。心して仕えよ」
「……はい」
敗戦国の王族に、従う以外の選択肢など、あろうはずもない。
王女に生まれ、聖女として日夜責務を果たせど、辛いばかりでついぞ良い思いなどした事も無いのだが……
消え入るような声で返事をしたマーニャへ、男は短剣を手渡した。
「死にたくなったら、いつでも死んで構わない」
震える手で受け取ると、ずしりとした重さが手にかかる。
ひやりと冷たく硬質な手触りが怖くなり、手に取ったソレをテーブルに置いた。
短剣など渡して、刺されたらどうするつもりだと頭を過ぎるが、マーニャごときが剣を握ったところで高々知れている。
背中の傷が痛みを増し、座ったままの姿勢を維持出来なくなってきた。
マーニャの身体が揺れ始めたのを訝し気に見遣り、男はゆったりとした動作で頬杖を突く。
その仕草は優雅で品があり、尊い身分のものに違いないと、マーニャは自身が王女であることも忘れてぼんやりと考えていた。
――そしてついに、マーニャは限界を迎える。
身体が大きくグラリと揺れ、引きずり込まれるように意識の底へと沈んでいく。
体内でうごめくような
突如動かせなくなった身体――だが指先が、マーニャの意思に反してピクリと動いた。
《なるほど自我が弱くなると、入り込む隙が出来るらしい》
楽しげに頭に響く声は、『狂乱の女王ルビィ・シエノス』のもの。
《久しぶりの生身の身体だ。少し楽しませてもらうとするか》
高らかに笑うその声を最後に、辛うじて保っていたマーニャの意識がプツリと途絶え、掻き消すように目の前が暗転する。
次の瞬間、先程までのゆったりとした動きが嘘のように俊敏に、テーブルに置かれた短剣を手に取った。
一瞬のうちに鞘を取り払い、男の襟を鷲掴みにして剣先を喉元へと突き付ける。
「今日を以て夫婦になるのだろう? 少し言葉足らずな印象は否めないが、話の分からぬ男ではなさそうだ」
磨き上げられたエメラルドの如く煌めいていたその瞳が、輝くばかりの黄金に変わる。
座した男へ剣先を向けたまま立ち上がり、ルビィは身も竦むような圧を発し、
「さぁ、腹を割って語ろうではないか」
――と。
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