第4話 ついに天秤は傾いた


 白々と夜が明け、牢馬車の格子窓から、淡い光がうっすらと差し込む。


 だめだ、もう座っていられない……。

 木板が嵌められた馬車の床に横たわり、マーニャは膝を抱え込むようにして身体を丸めた。


 また処刑場だったらどうしよう。

 そう思うと、指先の震えが止まらないのだ。

 恐怖によるものか、熱によるものなのか……もう、それすらも分からない。


 背中の傷による発熱と疲労。

 さらに連日の寝不足も相まって、意識が朦朧とする。


 死んだほうがいっそのこと楽なのでは……そんな考えが頭を過ぎる中、絶世の美女がマーニャの視界をふさいだ。


《ねぇマーニャ。わたくし、試してみたいことがあるの!》

「……何をですか」

《何をって、一つしかないじゃない?》


 だってマーニャが勿体ぶるから、話が全然進まないんだもの。


 こちらの事情をまったく考慮しない、自由奔放ぶり。

 余程不満なのだろうか、アンジェリカはプクリと頬を膨らませ、拗ねたように口を尖らせている。


《本当にお前の身体を借りられるのか、事前に確認をしたいの》

「確認、ですか?」

《そうよ。出来るかどうかも分からないのに、待たされるなんて嫌だわ》


 余計な一言を付け加えるアンジェリカ……正直、嫌な予感しかしない。


 わたくしは久しぶりに、生身の身体を味わいたいのよ!

 そう告げるなり、アンジェリカの顔がさらに大きく視界に広がり――。


「ぶ、ぶつか!?」


 そしてスッと、マーニャの身体を通過した。


「……何をされているのですか」

《やっぱりだめねぇ、素通りしちゃうみたい》


 残念そうに薄桃色の瞳を揺らし、くるくるとマーニャの周りを回っている。


《どれ、私も試してみるか》

「ルビィ様まで!?」


 続けてルビィもマーニャの身体を通り抜けようとしたが、こちらは通過できずに、直前でパチンと弾かれてしまった。


何か・・抵抗力が働いているようだな》

《そういえば聖職者が神託を受ける時、神が降りてくると聞いた事があるわ。それと同じ理屈で出来るんじゃなくって?》

「どんな理屈ですか……」


 神託を受ける聖職者なんて、レトラ神聖国ですらお目にかかったことがない。

 そもそも身体を拓けと言われても、やり方すら分からないのだ。


《案ずるな。剣術と同じく練習あるのみ。一度コツを掴めば、後は上達するだけだ》


 アンジェリカのみならずルビィまで。

 生身の身体を手に入れたら何をしようかと、持ち主を無視して話に花を咲かせている。


 乗っ取る気満々じゃないですか……。


 マーニャの身体を通過したり弾かれたり、身体を重ねてジッとしてみたり。

 手に手を携えた悪女達の『杜撰なマーニャ乗っ取り計画』は、マーニャの体調を無視して続いてく。


「……私の身体に入っても、痛みや熱で辛くなるだけです」

《そんなの、わたくし達は気にしないわ》

《だからどうしたと言うのだ。それすら『生』の証だろう?》


 身体を貸すなんて、一言も言っていないのに。

 これじゃあ埒が明かないわねと、アンジェリカが再び眼前に迫ってきた。


《……この馬車はどこに向かっているのかしら? もしかしたら、恐ろしい目に遭うかしれないわ》


 何やら物騒なセリフを吐きながら、うふふと微笑む姿は、咲き誇る大輪の薔薇。


《そんな時、貴女を助けてあげられるのは、私達だけ》


 ――貴女に起こる出来事を拒みたいのであれば、私達が引き受けてあげるわ。

 熱に浮かされ、意識が不明瞭な状態にあってなお、息を呑み見惚れるほどに美しい。


《だから代わりに、その身体を貸してちょうだい》

《必要とあらば、死の直前でも構わない。間際で味わう『生』は、最高に心がたぎるからな》


 その言葉は甘やかに、ゆるりとマーニャを捉えていく。

 魂まで蕩けてしまいそうな悪女達のささやきに、ぐぐぐ……と、天秤が傾いていく。


 そもそも身体を貸せるのか。

 貸している間、自分の意識がどうなるのか、正直気にはなっていた。


「もし身体に入れたとして」


 そうしている間も、ガタガタと牢馬車が揺れるたびに床へと打ち付けられ、背中の傷が徐々に開いていく。


「……後で、ちゃんと返してくれますか?」

《もちろんよぉ。一緒に、最善を探しましょう》


 ――何もかもが不安な、血濡れ王太子妃『アンジェリカ・グルーニー』。


《責任を持って返すと約束する。戦いが必要であれば私が担おう。どうだ、それならば文句はないだろう》


 ――得意満面に宣う、狂乱の女王『ルビィ・シエノス』。

 今にも気を失いそうに弱ったマーニャを相手に、欲望まみれの二人の悪女。


《答えになる材料すら揃っていないのに、頭で考えていても仕方ない。すべてを受け入れ、何が出来るのか……何が出来そうなのか、自分の中で消化していけ。話はそれからだ》


 怯え戸惑う心のうちを見透かすような、魅力的な提案の数々は、憔悴したマーニャの心に小さな希望となって積もっていく。


「それなら……す……少しだけ、ですよ?」


 勢いに押され、ついに天秤は傾いた。

 アンジェリカは顔を後ろ向け、ルビィにそっと、視線を送る。


 交差する眼差しは、開け放たれた檻の中、至高の獲物を求めて舌舐めずりする猛獣のよう。


 その時、鉄格子の隙間から、貴族の屋敷らしき建物が目に入った。


《……誰の屋敷なのかしら?》


 アンジェリカが呟くなり、ガタリと音がして牢馬車が停まる。


 処刑か、それとも解放か。

 ……解放は望み薄だが、夢を見るくらいは許してほしい。


 剣を突き付ける衛兵達に促され、何も分からないまま、マーニャはその屋敷へと歩みを進めた。






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