第3話 すべてを、失ってしまった


《ちょっとマーニャ、『おかえりなさい』くらい言ったらどうなの!?》


 腰に手を当て、気が利かない子ねぇとアンジェリカが文句を言っている。


《それでお前は、何をしに戻って来たんだ?》

《戻りたくて戻って来たわけじゃないのよ!!》


 ちょっと見ててねと言い残し、アンジェリカは勢いよく壁をすり抜け、またどこかへ行ってしまう。


 数十秒ほど経っただろうか、再びポンッと音がして、マーニャの目の前にアンジェリカが現れた。


《……ほぅ》

《不思議だと思わない? 離れすぎると戻ってくるの!》


 ならば私もと、今度はルビィがいなくなる。

 程なくして、ポンッとという小気味よい破裂音とともにルビィが現れた。


「ッ!?」

《ふむ……距離にして五十メートル四方といったところか》


 マーニャから一定の距離を離れると、強制帰還する仕組みになっているらしい。


《聖女の血に呼ばれた我らだ。なにかしらマーニャに紐づいているのやもしれんな》

《ヤダ、怖いわ。まるで呪いみたいじゃない》


 そうですね、お二人の存在そのものが呪いのようです――!!


 断頭台に登ってから今に至るまで、迫る死を目前にして恐怖のあまり幻覚が見えているのだろうか。


 だがそれにしては騒がしく、明瞭に聞こえてくるのだ。


《まぁいいではないか。それだけ動ければ十分だ》

《全然足りないわ! マーニャ、貴女のせいよ。どうにかしなさい!!》


 わたくしは自由気ままに動きたいのに!

 そんなことを言われてもどうしたらいいか分からないし、正直もう何も考えたくない。


《それにしても、やっぱり誰も気付かなかったわねぇ》

《まったくもって我らが見えていないようだな!》


 夜も更け、さらに元気が増す二人の悪女。

 勝手に憑いてきた・・・・・二人は、より騒がしくマーニャの上で好き勝手なことを言っている。


《あら? マーニャ、グッタリしてどうしたの?》


 なんだかとても、身体が熱い。

 大司教に鞭打たれた背中の傷が熱を持ち、先程まであんなに冷たかった石床がなまぬるく暖まるほど、体温が上がっているのを感じる。


 アンジェリカに顔を覗きこまれるが、取り繕う余裕はなかった。


《ヤダ、熱があるんじゃない? 顔が赤いわ》

《……お前、背中に血がにじんでいるではないか》


 聖女なのに自分の傷も治せないのかと、二人に怪訝な顔を向けられる。

 痛いところを突かれて、マーニャはグッと唇を噛んだ。


 ――神様は不公平だ。

 何不自由なく幸せに暮らす者がいる一方で、すべてを奪われ、耐え続けなければならない者がいる。


 生まれながらに優劣があり、搾取する者とされる者が決まっている。


 王女に生まれたのだから贅沢を言うなと……聖女などと大層な役目を与えられ何を言っているんだと怒られるかもしれないが、神殿を訪れる平民のほうが余程幸せそうに微笑んでいる。


 ひとりぼっちで耐え続けるマーニャとは対照的に、貧困に苦しみながらも、愛する人と手を携えて。


 アスガルド王国軍が神殿に火を放った夜。

 這いずりながら聖堂に向かう途中、逃走用の隠し通路へ我先に逃げ込んでいく聖職者達の後ろ姿が見えた。


 身命を賭して神に仕えよなどと、よくもまぁ言えたものだ。

 結局のところ私は、誰にも手を差し伸べてもらえない……高潔な聖女を模しただけの、ただの『張りぼて』。


「……神聖力を、感じられなくなってしまいました」


 こんなにも無力で何もできない。

 ――それが、本当の私だ。


《ふぅん? 神を否定したからかしら?》

《神聖力が無くても、お前はお前。何も気にすることはない》

「悪女として名を馳せたお二人は気にされないかもしれませんが、私は聖女です。気にするなというほうが無理です」


 神聖力が自分の中でどんどん小さくなっていくのを感じたのは、鞭打たれたあの夜のこと。

 本来ならば跡形もなく消せるはずの背中の傷も、血を止めるのでやっとだった。


 そして断頭台で神を否定した直後、僅かばかり残っていた神聖力もついに、すべて。


 ――すべてを、失ってしまった。


《失礼な子ねぇ。私達だって初めから悪女だったわけじゃないのよ?》

《アンジェリカの言う通りだ。我々もはじめは清廉な乙女だったのだ。騙され、傷付き、苦しみ……そして悪女になったのだ》

《ルビィ様、『虐げられ』も入れてください》

《ん? ああ、お前の場合は確かにそうだな。つまるところマーニャには、我らの力が必要ということだ》


 さぁ、今こそ我らにその身体を献上するのだ!

 ルビィが意気揚々と告げるが、もう答える気力もない。


 聖女でありながら憎悪し、あろうことか拝する神を否定した上、処刑場では人を害してしまった。


 きっとその罰なのだろうと、マーニャは自嘲気味に目を伏せる。


 王女になど生まれたくなかった。

 聖女になど、なりたくもなかったのに。

 少し眠ろうとそのまま瞼を閉じた直後、近付いてくる複数の足音に気が付いた。


 一瞬で眠気が吹き飛び、青褪めたマーニャのもとへ看守達がやってくる。


「おい、出ろ!」


 ガチャリと音がして牢の扉が開き、マーニャは重い身体を引きずるようにして独房から出た。


 断頭台での一件のせいだろう。

 遠巻きにされながら剣を突き付けられ、マーニャは鉄格子のはまった牢馬車に放り込まれたのである。






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