お天気工場

@wlm6223

お天気工場

 どの業界にも固有の秘密がある。ある業界の公然の秘密は他業界から見れば「それはマズいだろ」というのはよくあることだ。

 例えば音楽業界なら自社のCDを買い回って売上ランキングを上げるし、海産物市場の三割から五割は密漁によるものだ。

 こんな具合で世の中が回ってるのだ。それをいちいち糾弾してたらキリがない。それを黙って見過ごしてあげるのが大人のやり方なのだ。

 青果業界にも「業界の秘密」があって、業界内ではよく知られたことだが一般には知られていないことがある。

 山梨県は「果樹王国」として業界に名を馳せているが、それにはそれ相応の理由がある。

 山梨県の特産物は桃や葡萄で知られており、その他にも梨・栗・柿・林檎等々の名産地でもある。

 その理由は昼夜の寒暖差が大きい、日照時間が長い、年間の降水量が日本一少ない、水はけのよい扇状地が広がっているなど、様々取り上げることができるが、ただそれだけではない。

 山梨県には気象をコントロールする施設があるのだ。

 地元農民たちはその施設を「お天気工場」と呼び、JAと強く結託していることは地元の誰もが知るところだ。山梨県の農民たちは地の利が良いだけはなく、こういった人為的な気象操作の恩恵を被っているのだ。

 その「お天気工場」の仕事は、山梨県内の気象を制御し、農作物の生育に有利になるようにすることなのだ。

 「お天気工場」は三交代制の二十四時間三六五日体制で稼働しており、職員たちはなかなかの重労働を強いられている。気象は刻一刻と変化するし、それに逐一対応するのが職員の基本的な職務だ。

 「お天気工場」の施設内は一見すると、郊外にある物流倉庫と大して変わりがない。窓も必要最低限しかなく、真っ白な壁が田畑の中に聳え立っているのだ。だが「お天気工場」に一種異様な感を持たせているのは同施設内にあるアンテナ群だ。

 アンテナそのものは一辺約二メートルの十字型を水平にしたもので、その交点から支柱で約三メートルほどの高さで直に地面から支えている。そのアンテナが六〇〇器もある。

 この「アンテナファーム」を初めて見た者はこの施設の異様さに圧倒されるだろう。

 このアンテナを使って高周波の電波を照射し、山梨県内の気象をコントロールしているのだ。県内の農家はその恩恵に与り、作物の生育状況を日々監視し、JAへ報告して今後の天気をどう操作するか決定している。

 が、気象をコントロールすること自体、国際的に認められたことではない。

 そもそもの気象コントロールの技術の発端は、兵器としてのものだった。

 ベトナム戦争の際、アメリカ軍が気象兵器を一度使用した以降、一九七七年に「環境改変兵器禁止条約」が批准され、兵器として気象コントロールは各国で禁止事項となった。

 気象のコントロールは直接自然に影響を与えるため、どんなバタフライ効果が発生するか分かったものではない、というのが禁止になった主な理由だ。

 だが地場の産業を支えるために、ちょっとだけ軍事技術を「拝借」することだってある。それが山梨県のとった方策だ。元は軍事技術だったものを民間に応用するのはよくある話で、その中で一番有名なのはおそらく電子レンジの発明だろう。

 山梨県は地場産業を守るため、地域の発展、ひいては都心への人工流出を防ぐためにこの策をとった。

「地元にいてもちゃんと生活できますよ。東京だって近いし」

 これが山梨県の言い分だった。

 では前述のバタフライ効果を鑑みず山梨県は「お天気工場」を運営しているのであろうか。「お天気工場」勤務のN氏はこう語る。

「その心配が一切ない、とは断言できません。しかし日本は幸か不幸か台風の通り道でもあります。台風が来てしまえば、こんなちっぽけな気象のコントロールなんて、全てご破算なんですよ」

 N氏は続けて言う。

「それよりも施設のメンテナンス――アンテナや観測機器の――の方が大変なんです。なんと言っても気象を操作するわけですから、些細なミスも許されません。もし何かあれば農作物への甚大な被害が発生してしまいます。それは農民の収入だけに限らず、県政にも大きく関わることなんです。われわれ職員たちは日々汲汲として仕事に挑んでいるんですよ」

 なるほど。しかし近隣の県にも影響を及ぼすのでは?

「その心配はありません。というのも、このていどの規模の施設ではコントロールできる範囲が県内より小さく、ごく局所的にしかコントロール出来ないからです。

 それに大自然のレジリエンスは大したものでよ。我々がどんなに天候を操作しても、大体二三日でその効果が無くなってしまうんです。

 もしバタフライ効果が出るとすれば、真っ先に山梨県内に発生するでしょう。ですが、今のところそういった事例は発生していません。

 やはり大自然は偉大です。人間がどうしたところで適う相手じゃありませんね。それに今後、我々の仕事はもっと重要になっていくでしょう」

 と言うと?

「この施設でも観測しているのですが、二十一世紀に入ってから太陽活動が低下しているんです。

 具体的には黒点の数が減ってきています。すると地球に降りかかる宇宙線が増加します。

 そうなると雲の核となる粒子が電化しやすくなり、雲の量が増えるんです。

 雲が増えればとうぜん日照時間が減ってしまいます。ひいては天候不順によって作物の生育が悪くなるんです。

 これは地球規模で起こっている現象で、各国の天文台や環境庁の報告からも分かっていることです。

 ですから、私たちはこういった環境変化に対抗するためにこの仕事を続けているんです。野放しでは山梨県の農作物を、ひいては財政を維持することは出来ません」

 大自然に対抗する、というのはいかにも西洋的であり、日本的ではない。

 それは建築様式を見れば明らかで、西洋の建築物は室内を自然から遮断して人工的に管理する方策をとっているが、伝統的な日本建築は開放的に自然をうまく取り入れる方策をとっている。

 このN氏の言葉は単に農業による経済の発展・農民への利潤の還元のためかのように見えるが、その根底には古来かある日本的な自然との共生――里山を築き、田畑を開墾し、いくらかの収穫物を野生動物に還元し、残りの収穫を自らの糧にする――とは違った発想に基づいていると考えられる。

 そもそもそのこのような西洋的発想を根底とした技術を永続的に運用することが我々日本人に可能なのでろうか?

 果たして「お天気工場」は今後も上手く機能していけるだろうか? N氏はこう答える。

「一度大自然に手を出してしまった以上、もう引き下がれません。

 たかが小規模の気象コントロールとはいえ、それは生態系への関与ということでもあります。

 例えば放棄された田圃が元の自然の形に戻るまで何年かかりますか? すぐに雑草は生えるでしょうが、元の原生林になるまで何十年、何百年もかかるんです。ですからある意味、我々は禁じ手に手を染めたとも言えるんです。

 一度開墾した田畑は人の手によって延々と手入れをしないといけません。そこに生まれた生態系をずっと維持しないといけないからです。

 自然環境という複雑系に人手による介入が前提として組み込まれた訳なんです。我々は土地を開墾したのではなく天気を開墾したんです。

 ですからこの事業はもう止めるわけにはいかないんです。

 確かに当初は経済的な面から『お天気工場』は出発しましたが、現在ではもう山梨県の気象という自然現象の一部になっているんです。これを急に止めると、現在の山梨県の農作物へのダメージは計り知れないものとなる、と予想しています」

 今のところN氏の言う「天気の開墾」は山梨県内のみではあるが、いずれ日本全国、いや世界中に広まる可能性もなくはない。各国がその技術を平和利用とはいえ「環境改変兵器禁止条約」以前に培った技術をそうそう手放すとは言い切れない。

 それに、昨今の異常気象に対抗する手段の先達になる可能性を秘めているのではないだろうか。

「いや、おそらくそれはないでしょう。

 田畑の開墾は有史以前からのノウハウがありますが、気象コントロールのノウハウは人類は持っていません。

 ひょっとすると、遠い未来、我々山梨県をモデルケースとして気象コントロールする例が出てくる可能性はゼロではないでしょうが、おそらく政治的判断により気象コントロール不可となるのではないでしょうか。

 というのも世界規模の気象コントロールはあまりにも複雑すぎるんです。現在だって天気予報は外れることもありますよね? それくらい気象のメカニズムは複雑なんです。

 現状、山梨県で行っている気象コントロールはほんの極小規模なものです。山梨県内の農地の気象をコントロール出来ているだけなんです。

 とても全世界の気象を相手にするには及びもつきません。

 気象というのは大胆でもあり繊細でもあるんです。

 これは実際にやってみて分かったことなんですが、ほんの僅かな電波照射で豪雨になったり、いくらこちらから手を加えても安定して晴天となることもあったんです。

 これまでのデータの蓄積で、ほぼそういったカオス系もコントロール出来るようになりましたが――でも百パーセントではありませんよ――まだまだ未知の部分も残っています。この気象コントロールの技術はまだ発展途上なんです。世界を動かすには、まだまだなんです」

 そんな危険を冒してまで天候をコントロールするのは何故なのか? N氏はこう答える。

「最初は一九五〇年代の気象大学校――当時は気象庁研修所といっていました――の実験だったんです。もちろん気象兵器の研究ではなく、あくまで日本の農業改良のための研究です。

 当初はかなりの紆余曲折があったそうですが、なんとか使い物になり始めたのが一九七〇年代の初頭だったとのことです。それなりに成果も出し、いよいよ研究成果を全国へ広めようとしたところ、ベトナム戦争での米軍の気象兵器の使用で計画が頓挫したんです。

 ですが我々には既に政治権力のバックアップもあり、この研究はまだ実験中という体裁で研究を続けることになりました。

 まあ、下手に政治家の後ろ盾があったがために、公にもならず細々と現在までやってこれた訳です。

 あまり表立って言える話ではないんですが、今でも『お天気工場』は環境省の天下り先になってるんですよ。

 そういった事情があって、我々は日々の天候のコントロールを秘密裏に運営しているんです」

 流石にこれだけの施設を運営するにはそれなりの後ろ盾が必要だ。それの後ろ盾が政治家ともなれば政治的には永続的な運営は可能であろう。

 だが政治的思惑だけで「お天気工場」の運営を続けていてよいものなのだろうか? 気象の操作に関する危険を、その政治家たちは正しく認識しているのだろうか?

「それは仰る通りです。どんな危険があるかという説明は、ちゃんと行っています。過去の失敗例も漏れなく報告しています。それに難色を示されることもありますが、最後に『原発に比べれば危険度は桁違いに低い』と説明していますがね。確かにその通りなので、嘘偽りは申していません。

 それにここ山梨県の農家はこの『お天気工場』無しでは、もうやっていけない、ということも説明しています。

 実際、『お天気工場』が無ければ今よりも作物の収穫が三割から四割減少するという試算があります。これは県知事にも各農家にも通達済みです。

 選挙の際にはこの『お天気工場』の運用を続けるかどうか、候補者に確認するのが通例になっています。既に『お天気工場』は地域の自然環境にも、政治的にも、そこに暮らす農民たちにも深く根付いているんです。そういった事情もあるんです。

 もっとも、これらは県外には内密になっていますが」

 秘密の漏洩の問題はないのでしょうか。特に農業が盛んな他県からの視察があってもよいように思えるのですが。

「他県からの農地視察はありますよ。

 ですが『お天気工場』の視察はしません。

 あまり大きな声では言えませんが、各農家を収賄してあるんです。原発のある福島でもそうだったでしょう? マスコミでは報道されていませんが、福島の場合は選挙のたびに有権者へ現金をバラ撒いていましたが、そのことが報道されたことはないですよね。

 それと同じように山梨県でも各農家は『お天気工場』のことは箝口令が敷かれているんです。

 視察を受けた農家は『ここは地の利がいい』『盆地のため気候がいい』なんて言って誤魔化してもらっているんです。

 日本の田舎の閉鎖的な村社会の習慣を逆手にとって口裏を合わせているんです。

 確かに山梨県はもともと農業に適した自然環境が備わっています。

 視察に来た方も、それで納得して帰って行く訳です」

 これだけの研究成果があるのに公にしないのは国益の損失になるのではないでしょうか。一応『お天気工場』は公的機関ですよね。何らかの業績実績なり研究結果なりを定期的に発表しないと白眼視されませんか。税金から運営費を賄っている以上、実績の公表は義務ではないでしょうか。

「我々の研究成果は日本農業気象学会に論文で発表しています。ですが気象操作に関する部分は削除していますがね。というのも、やはり気象操作を兵器へ転用する危惧がありますから。『日本は隠れて気象兵器の研究をしている』なんて外国に知れたら大事です。気象操作という技術がどう転用されるか、そこまで我々は責任を負えません。ですから肝心なところは伏せています。

 いくら環境改変兵器禁止条約があるからとはいえ、どこかの国が兵器へ転用しないとも限りません。そうなると国益どころの話じゃないですよね。

 現状では秘密裏にしておくことが最善の策なんです。

 技術は日々進歩していますが法整備はまだ整っていません。文系の法律が理系の技術の発展に追いついていないんです。

 技術者は可能なことならなんだってやってしまうものなんです。それが法の外のことであろうとですね。ですから我々の研究成果の大半は発表できないんです。

 技術はいずれ国境を超えます。技術を使う人間は世界中にいて、必ず追試をします。その結果が吉であれ凶であれ、いずれ気象コントロールは外部へ漏れるでしょう。

 ですが、今はその時ではありません。

 もっと『気象コントロールはヤバい』という認識が世界中に広まった後、我々の研究成果を発表するべきでしょう。それがいつになるか分かりませんが、遠い将来、私たちの研究成果が世界を変えることになるかもしれません」

 現状は局所的な気象コントロールだけなのに、それだけ長期の研究をする必要があるのでしょうか? 未来の話とはいえ、気象コントロールをいつか世界規模にするための前段階、ということでしょうか。

「その通りです。基礎研究というものは、どんな分野であれ、時間と金がかかるものなんです。それを納得出来ない政治家や有権者が多いのも知っています。ですが『天気の開墾』にはそれだけの時間と研究費が必要なんです。

 一般的に言えることなんですが小規模の実験で成功しても、そのまま大規模実験に応用が利くとは限らないんです。それに『天気の開墾』は失敗が許されません。

 もしこの技術が世界に展開されても、最初は極小規模のものになるでしょう。例えば、干ばつ地帯に雨を降らせるとかです。

 天候のコントロールは遠い将来、人類の食糧不足の解消を打開するものになるかもしれません。

 しかるべき所に雨を降らせ、日照を送り、食料となる農作物を穫れるようにする訳です。

 思い当たるところとして、アフリカなどにある干ばつ地帯が全て農耕地となったらどうなるでしょう? それこそ我々が望む将来の気象コントロールの姿なんです」

 それはあまりにも理想論に傾いてはいないでしょうか? 科学技術は兵器の技術発展とともに歩んできたのは過去の歴史から読み取れる事実です。気象コントロールだけがその例外となるとは思えません。どうすれば気象コントロールを軍事利用させずに普及させることができるでしょうか。

「まずはODAの砂漠の緑化事業に含ませて広めることですね。それで気象コントロールは我々の望む形で普及はできます。

 気象兵器への転用を防ぐ手立ては、この気象コントロールが兵器として有用ではない、と錯誤させるのが最も有効な手段でしょう。

 これはまだ推測でしかありませんが、気象コントロールの兵器利用は、ある地域に豪雨を降らせたり、任意の地域に台風を通過させて『自然災害』を人工的に発生させることだと予想しています。

 もし気象コントロールが『晴れにすることしかでいない』となればどうでしょう。それでは兵器としては有効ではないでしょう?

 そういった錯誤を生み出すのが気象コントロールを平和利用に限定させる方法ではないかと予想しています。

 そのためには気象コントロールの操作実績を隠蔽し、誤った論文を発表し、政治家たちに『気象コントロールの有効範囲は極限定的で晴れにすることしか出来ない』と錯誤させればよい訳です」

 そんなことが実際に可能なんでしょうか? その誤った報告を政治家が鵜呑みにするとは思えません。政治家だってそんな詭弁はすぐ見抜くと思いますが。

「詭弁を弄するのは政治家の得意とするところです。その心配はないでしょう。それにその間違った報告を裏付ける論文さえあれば証拠として十分でしょう。

 幸いなことに政治家たちは滅多に事件の現場に来ません。現場からの報告を受け取るだけです。その報告は我々が作っています。ですからどうとにも書けるわけです。

 我々『お天気工場』の職員たちは入所直後に自然災害現場の視察を義務づけています。そりゃ、悲惨なものですよ。台風が作った濁流に流される家屋、その合間に逃げ遅れた住民の水死体がちらほら漂っているんです。普通の死に方をしていませんからご遺体の顔は尋常ではない苦痛の表情をしています。かなりメンタルにこたえますよ。干ばつ地帯への視察もします。痩せ衰えた人々の生活の中に入り込んで『視察』するんです。大抵の者は一週間も耐えられずに音を上げるますね。

 そういった経験を踏まえて気象コントロールの実務にあたる訳です。そうすると職員たちは、ある種の使命感をもって職務を遂行するようになるんです。気象コントロールの兵器転用なんてもってのほか、となるんです。現場で何が起きているか、自分たちがそれに対して何ができるか、そういったことを考えるようになるんです。

 現状では山梨県の農家のためだけに気象コントロールしていますが、なんとなれば気象コントロールの兵器転用を阻止する活動に出るでしょう。我々は気象がどれほど人々の生活に甚大な影響があるか知っていますからね。技術は良い方へ使うこともできますが、悪用もできます。同じ技術でもそれをどう活用するか。それは技術を使う人間の側に責任がある訳です。現状では悪用される恐れがあるのと、気象コントロールがまだ未知の部分があるため、この技術は公表していないんです」

 それでは今後も山梨県の中だけでこの気象コントロールの技術を発展させていくわけでしょうか。

「当面はその積もりです。ですが一つ深刻な問題がありまして。

 実は後継者不足なんです。

 我々が職員に求める必要な知識・経験を積んだ人材がなかなかいないんです。

 我々が欲しい人材は、まず農業を知っていなければなりません。加えて気象学にも通じていなければなりません。

 気象大学校の卒業生でしばらく農業の経験があれば適材なんですが、気象大学校の卒業生はみな環境庁へ入庁してしまうんです。まあ、それはそうですよね。

 では農民に改めて学問を積ませようとしても、そんな農民はいません。農民は農民で自分たちの仕事で手一杯ですから。

 それに『お天気工場』の仕事柄、おおっぴらに求人を募集する訳にもいきません。

 私も定年まであと一五年です。今のところ私の後継者は少数いますが、その次の代となると、まだ人材が揃っていません。

 あまり考えたくないですが、気象コントロールの技術が将来はロストテクノロジーになる可能性もあるんです。

 気象コントロールは上手く平和利用できれば人類の発展に大きく貢献出来る技術です。それが軍事利用だの政治的思惑だののせいで失われてしまうは勿体ない。私はそう考えています。それに今まで開墾してきた天候がどのように荒れるか予想がつきません。

 気象コントロールの技術がいつか国際的に法整備され、世界中の農民たちの役に立つのを望んでいますが、それが何年先になるか見当もつきません。

 『お天気工場』の目下の、喫緊の課題は気象コントロールの技術を継承して発展させること、一度開拓した天候を継続して手入れを続けることです。これが達成できる体制が整わなければ私も安心して定年を迎えられません」

 気象コントロールは現状では小さな範疇で収まっているが、将来的には大きな発展の余地があることは分かった。

 だが今のところその飛躍の機会がないのも事実だ。

 その要因となっているのは、気象コントロールを取り巻く法整備・政治的位置づけ、兵器への転用の恐れがあることが分かった。これらは全て文系の分野が理系の分野の発達に遅れをとっているのが原因であろう。

 人類は技術面では確かに飛躍的に発展してきた。

 しかし人々を取り巻く生活様式はどうであろうか。

 いわんや現在の技術の進歩に政治的・法的整備が追いついていないのではなかろうか。

 この二つの乖離が、ひいては人類の発展を阻害してるのではなかろうか。

 技術は法の枠を超えて飛躍的に発展してしまった。それを制御する側の人間は、まだ十九世紀の産業革命以来のやり方にすっぽりと収まったままになっているのではなかろうか。

 その両輪が噛み合ってこそ人類の発展に寄与できるのだが、現代ではまだその二つが齟齬してしまっている。これが『お天気工場』での現場の実態だ。

 六〇〇器あるアンテナファームは今日も刻々と変化する山梨県の気象に合わせて電波を照射している。その姿は未来の技術の先達なのか、いずれ消えゆくロストテクノロジーの最後の叫びなのか、私には判断がつかなかった。

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