第ミャウ話

 翌朝、ミルトンさんが戻ってきた。堂々とした朝帰りだが、悪びれた様子もなく、家の者も慣れているようだ。

 ミルトンさんは俺を見るなり顎で呼びつけ、知らんぷりすると手荒く捕まえられてミルトンさんの部屋に連れて行かれた。

 ソファの上に押しつけられてジタバタしていると、首につけられていた石を取り、何か触っていた。

 石から光が発し、壁に浮かび上がった画像。そこには夫人が写っていた。三秒おきに画像が切り替わり、籠の中、飯のアップ、昨日のうまかった肉だ。天井が写っていたものもあった。俺が腹を見せた時か。台所の床、トイレの中、そして真っ暗。

「ちっ。初日から収穫はなしか」

 石をいじると画像は消え、一度黒くなった石がまた赤く光った。ミルトンさんは再び石を俺の首につけた。

「そのままセシリアの周りにくっついていろ。そして一日に一回俺の所に来るんだ。わかったな」

 わかりたくはなかったが、わかるしかない。こくりと頷くと、部屋から追っ払われた。

 十日と言われていたが、十日経てば本当に猫から人に戻れるのか、それさえもわからない。


 廊下を歩いていると、お仕着せを着た女が現れた。

「あら、猫だわ。家に入り込んで」

 腰を低くして手を伸ばす姿。捕まえようとしているのがありありとわかる。

「ウウウウウウウウウウウウウ」

 全身の毛を逆立てながら後ずさりする俺を、ちっちっと舌打ちのような音を立てながら距離を詰めてくる女。

「猫ちゃん、猫ちゃん、怖くないわよー」

「シャーーー!!」

 怖いわ!

 にらみ合う一人と一匹。そこに女神が現れた。

「あら、こんな所にいたのね」

「奥様」

 俺は迷わず夫人の元にすり寄った。

「昨日からお預かりしているのよ。十日ほどお世話をすることになったのだけど、かわいいでしょ?」

 かわいいという目がくりくりしていて、夫人こそかわいい。俺を本当にかわいいと思ってくれているんだと感じる。俺が照れたところで茶色い毛並みが赤くなることはないから、ばれはしないだろうと思っていたが、

「あら、この子照れてますよ」

と女。

「大きな目がまんまるになって!」

「驚いているのよ。知らない人の家だもの。それでも慣れるのが早いわね。飼われていただけあって、警戒心が薄いのかしら」

 それは女神様がお優しいと知っているからです。

「サブリナ、トイレのドアを少し開けておいてあげてね。この子、ちゃんとトイレが使えるのよ。何てお利口さん。それから居間の暖炉の前にクッションを置いてあげて」

「かしこまりました」



 ミルトンさんは服を着替えると、出された朝食を半分以上残して仕事に出かけた。こんなにうまいのにもったいない。出がけに夫人の後ろにいた俺をじろりとにらんだのは、しっかり働けとプレッシャーをかけてきたのだろう。

「行ってらっしゃいませ」

 夫人とサブリナに見送られ、ミルトンさんは家を出た。朝帰りして、職場まで馬車通勤か。いい身分だ。城の事務官にしてはいい暮らしをしている。城勤めをしているとは言え下っ端事務官の給料はさほどよくもない。こんな大きな家に住み、使用人もいるのは実家から援助を受けているのだろう。金持ちだからこそ浮気もし放題、姿を写す石だの、人を猫に変えるような薬だって手に入れられる訳だ。

 けっ。



 俺は夫人の後を追った。ミルトンさんに言われたからでなく、こんな家の奥方が昼間どんな風に暮らしているのか興味があったからだ。


 昼間の夫人は使用人と共にテキパキと家事をこなし、午後は夫人専用の書斎にこもって二時間ほど仕事。書斎は入っちゃダメ、と言われたので、仕事の間は大人しく居間で待っていた。俺は女神様に忠実な猫だ。仕事が終わるとのんびり読書やお茶を楽しむ。至って平和だ。


 料理人は家長の帰宅時間に合わせて料理を用意するが、ミルトンさんはどこに寄り道しているのやら、帰ってくるのは終業時間よりずっと遅かった。行く時も遅くなるとも言わず、食事がいるかいらないかも言わない。いらないならそう言えばいいだろうに、せっかくの料理がもったいない。


 夫人は先に食事をとるようだ。夫の帰りが遅くなるのに慣れているらしい。俺も夫人と一緒に食事をした。さすがに猫用のごはんは床にトレーを置かれていたが、こんな俺でも誰かと一緒に食事ができるのは夫人も楽しいらしい。ガツガツと食べる俺に声をかけてきた。

「丸呑みね。大丈夫? 足りなければまだあるわよ」

「ナーーーン」

 追加で出された鶏肉入りのスープはこれまた絶品だった。

「ほらほら、口元が汚れてるわ」

 ナプキンで顔を拭われ、髭に触れて思わず顔を引くと、くすっと笑った後ゆっくりと手を近づけた。そっと首の後ろに添えられた手は背ける顔を阻むのに、優しい押さえを受け入れ、顔を拭くことを許してしまう。

「はい、きれいになったわ。いい子ね」

 はい。いい子です。

 はぁ……。

 いかん。すっかり夫人のペースにはまっている。


 今の俺にミルトンさんと夫人、どっちの味方になるかと言われたら、まず悩むことはない。俺が記録係の猫なら、夫人の清廉でやましいところがない姿を写せばいいんだ。あの男に利用されるような悪評など、…ないといいな。

 何せ、この首の石の使い方はわからず、外すこともできない。記録されてますよと伝えることもできないのだから、猫という身はなかなかもどかしい。しゃべることができたらと思うものの、急に猫がしゃべりだしたら不気味がられ、それこそ家から追い出されてしまうだろう。



 名前を聞くことを忘れた夫人は、勝手に俺をちゃーさんと呼ぶようになった。茶色いからちゃーさんと推測できる。何て単純なネーミングだ。潔いほどにひねりがない。元々猫ネームはない俺だ。何と呼ばれても

「ニャー」

と返事するだけだ。


「ちゃーさん、これ、つけるわね」

 夫人が俺の首につけられている紐に石を追加した。

 ミルトンさんにつけられた赤い石を軽く持ち上げ、その隣にほぼ同じ大きさの青い石をつけた。思ったほど首に負担もなく、つけられたままにした。

「これであなたが迷子になっても、どこにいるかわかるのよ」

 これも魔石か。貴族の家は金があるもんだなぁ。

「大事なネコちゃんだもの。いなくなったら飼い主さんも悲しむわ」

 その飼い主は俺ということになっているんだが…。自分に飼われる俺。猫がいたとしても夫人ほどかわいがりはしないだろう。


 つけ終わると、夫人は俺の頬に顔を寄せ、スリスリと頬ずりしてきた。

「よく似合うわー! 茶色い猫には青が似合うと思っていたの。もう、かわいい!」

 そしてチュッとほっぺに口づけて、そのまま耳の後ろに鼻をすり寄せてきた。

 うおおおおお!

 やめろ、やめるんだ、女神様!

 自分よりはるかに大きな人間に欲情することはない、はず、だが、わー、そんなところを触られたら…。

 強めに撫でられても怖くなく、されるがままに撫でられまくり、今日も俺は腹を見せてしまった。



「ささ、ちゃーさん、寝る時間よ」

 就寝の時間になり、俺はベッドの下に置かれたクッションで横になっていたが、夫人は俺を抱え上げると自分のベッドに入り、抱えたまままま布団をかけた。俺は逃げようと踏ん張ったが、夫人の力は思いの外強く、腕から逃れることはできなかった。

 背中に顔を埋められ、

「あったかーい」

と頬を寄せられ、やがて力が緩まっていき、すやすやと寝息を立てる。

 重みのある腕の下から抜け出し、うーんとのびをした。

 安心した、幸せそうな顔に複雑な気分になる。

 猫とは言え、人妻とベッドを共にするのはさすがに…。

 とは言え布団の外は寒い。

 せめて、これくらいなら。

 俺は掛け布団の上に乗っかり、夫人のそばで丸まって寝ることにした。



 翌日、夫人自らミルトンさんに

「ネコちゃんが迷子にならないように、居場所がわかる石をつけたの。うちにいる間だけ、いいかしら?」

と断りを入れると、ミルトンさんは

「まあ、いいだろう」

と答えた。しかし自分が魔道具を使っているだけにやはり怪しんでいて、赤い石の画像チェックがてら青い石も外して観察していたが、赤い石のようにスイッチのような物はないらしく、あちこち触っても何も起こらなかった。赤い石にも干渉しないことを確認すると、再び両方を俺につけた。

 赤い石の画像の夫人は、今日も笑顔で写っていた。

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スパイな猫 河辺 螢 @hotaru_at_riverside

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