第ニャー話
一人になった部屋。
そっと籠から出て、部屋を探索する。狭くもないが、広すぎもしない。部屋の真ん中にベッド、壁際に引き出し、クローゼット、鏡台。
ベッドの下を覘き込んだが、ちょっと入り込めそうにない。鏡台の椅子の下に入り込んで身を伏せ、周囲を観察する。ほんのりと香る化粧品の匂い。ここはどうやら夫人の部屋らしい。となると、あれがミルトン夫人か。見たところ、優しそうな女性だが。
「家の女主人に男がいないか、金を使い込んでいないか、怪しいところがないか監視するんだ」
あの男はそう言っていた。つまり自分の妻を監視しろと言うことか。
どう見ても嫉妬深い夫が妻を疑っているんじゃない。妻の粗探しをさせようとしているんだ。何か心当たりがあるのかもしれないが…。
それは、人を猫にしてまですることじゃないだろ?
夫人が戻ってきて俺を探していた。目と目が合うと、鏡台の近くの床にトレイを置いた。細かく裂かれた肉に牛乳、水もある。
夫人は少し下がって、遠くから微笑みながら見守ってくれている。猫が警戒しているのを察しているんだろう。
ゆっくりと起き上がって皿に近づき、匂いを嗅いでみる。
クンクン。クン。
…ぐっ、すっげえうまそう。
ペロッとなめて、
うんまーーーい!
後はその味の虜になった。人間だった頃に食べた飯よりさらにうまい。汁まで舐め尽くす。金持ちの猫って、こんなに幸せなのか。
「お口に合うかしら?」
「…ナーゴ」
「良かった」
微笑む姿が女神に見えた。
しかし、女神様、安心してはいけない。俺は悪魔に遣わされたスパイ猫なんだ。
夫人は猫の俺に気を遣っているようだった。俺があざとく夫人の足元に近寄り、足首に首をすり寄せると、
「かーわいいーー!」
と言って頭を撫でてくれた。頭から耳の裏、頬のあたりのいいところを、実にいい加減で撫でられる。いやぁ、これは、た、たまらん。喉が勝手に音を立てる。
「グルグルグルグル」
「猫ちゃんの毛って、柔らかなのね。特にこの耳の後ろのここ、つやつやですんごくいい感じ」
心地よいナデナデですっかり警戒心がなくなったところに、手が背中へと伸びていき、何度も撫でられるうちにごろん、と転がってしまった。うーんと体を伸ばすと、そのまま伸びた体を上から下へと何度も撫でられて、不覚にも腹を見せてごろりと寝転ぶと、腹までなでなで…
お、奥さん、いけません。そんな、うおぉ…。
力加減も絶妙に全身を撫でる手。尻尾もつかむように撫でられて、ちょっと尻尾を振ってするりと手から逃れても、また柔らかにつかんでくる。そのうち尻尾も触られてもいいやと思えるようになってしまった。
「あら、あなた男の子なのね」
「にゃ!」
突然ブツをつつかれ、びっくりして顔を上げると、
「ごめんなさい、驚かしちゃった? だってふわふわでコロコロしててかわいかったんだもの」
…おい。そんな理由でオス猫の一物をつつくか。恐ろしい女だ。ミルトンさんが怪しんでいるとおり、何かいわくのある女なのかもしれない。
食べたものを片付ける夫人について行くと、夫人は追い返すこともなく気ままに同行させてくれた。
確かミルトンさんは貴族の出身だが爵位はなかった。この家には使用人もいるようだが、夫人は自分で俺の皿の片付けをし、人の使う皿とは別の場所に置いた。
トイレの場所がわかり、そこで用を足すと夫人はひどく感心していた。人、いや猫が用を足しているところを覘くのもどうかと思うが、悪さするとでも思われていたのかもしれない。
トイレのドアは常時すかしてもらえることになった。…助かった。
その日は夫人の部屋で寝た。床に大きなクッションが置かれ、その上にゆっくりと乗っかり、よっこいしょと体を横たわらせると、
「おやすみなさい」
と言って夫人は明かりを消した。
女性と一室に二人きり。しかし色っぽいことは何もなかった。猫になって疲れたのか、その日はあっという間に眠りについた。
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