天雀閑話・二

 月の眩しい夜だった。


 法衣に身を包んだ、痩せぎすの体躯。ぬうと伸びた影が、待ち人の来訪にぐるりと蠢いた。


「よもや、副隊長殿が一人で来られるとは」

「そちらこそ、取り巻きは連れていないようだな」


 手紙で指示された通りに、テンジャクは郊外へ赴いていた。彼らが自分ひとりを誘き出して袋叩きにする算段でも、返り討ちにできる。それだけの自信があるからこそ、敢えて部下は連れてこなかった。それに、部下に見せぬ方がいい展開に転んでも、自分ひとりなら如何様にでも対処しやすい。


「ぬしとは腹を割って話したく思いましてなあ」


 月の灯が、顔を覆う布を煌々と照らす。成程確かに胡散臭いと、テンジャクは鋭く睨みつけた。


「巳曽良と言ったか。何用だ」

「この国の鬼についてでございます」

「国の主が鬼だという話か」


 鬼が統治する国は、数少ないながらも存在する。クザンと交流がある桜爛国もその一つだ。過去がどうであれ、クザンではそれなりに折り合いをつけてうまくやってきた。今更波を立てるでもない話に、巳曽良はじゃらりと錫杖を地面へ突き立てた。


「この国が常日頃危機に瀕しているのは、鬼が巣食う故」

「なんだと?」


 聞き捨てならぬ発言に、眉を顰める。異教の男はどうやら布の裏側で嗤ったようだった。


「鬼の飢餓の性は、欠けを補い満たされるまで続くもの。相手が強ければ、ひもじさを耐えて退きまする。そして鬼同士は、引かれあう習性がある」

「うちの頭に引き寄せられた鬼が、襲ってきていると?」

「然り。強き鬼を食える時を窺いつつ、弱き人も食えぬとなれば、飢餓は益々膨れ上がる」


 何の根拠もない推測だ、とは思う。けれど時折テンジャクも、疑問を抱くことはあった。他の国もクザンのように頻繁に襲われていれば、人の集落などとっくの昔に滅びているだろうにと。


 この異邦者の言い分が正しければ、セイはクザンを危機に晒す災厄であろう。


「それにあの鬼は今でこそ人のふりをしていましょうが、元々は人喰らい。いつ人の味を恋しく思うか、知れたものではありませぬぞ」


 疑念を膨れ上がらせようと、しゃがれた声が鼓膜を震わせる。そうだ、初代の見聞録にも記されていた。


『鉱山で度々行方不明者が出たが、鬼が食っていたと白状した。岩の面してとんだ化け物だ』


 所詮、鬼と人。

 在り方は異なる。

 共生などまやかしだ。


「それがどうした」


 疑心暗鬼がとぐろを巻こうとするのを、テンジャクはたった一言で切り捨てた。微塵も動じぬ様子に、巳曽良はぎしりと首を傾げる。


「あの鬼がどこで人を襲おうが、知った事ではないと?」

「俺達が鍛えているのは、人間を守るためではない」


 自分たちは人の守護者でもなんでもない。ただクザンを、大切な者を守れたらそれでいい。仮にセイが国の外で人を食っていようと、止める気はなかった。

 

 ならば、クザンに牙を向けるその時は。


「いつかあの鬼を殺すためだ」


 セイは国を守る頼もしい頭であり、いつか滅ぼす強者である。

 クザンの者は皆、幼い頃からそう教えられてきた。


『クザンを強い国にしよう。いつかセイがオレ達を食いたくなっても、軽くひねってやれるくらいに』


 この国は初代の頃から既に、鬼の反旗に備えていた。長年研磨された民は今や、鬼の大群だろうと打ち勝てる。セイの影響で鬼がやってくるなら、むしろ腕が鈍らないですむ。


「俺の役目はこの国を守る事だ。貴様のような不埒な鬼を退治するのも含まれる」

「──ほう?」


 くぐもった嗤い声が、闇に混ざる。長年鬼の隣に立ち前線で戦い、培われた感覚が警告している。この男は人ならざる気配がする、と。


「いかんなあ。ぬしの心に取りつく隙が全くない」

「元よりこちらは、貴様を倒す所存だからな」


 テンジャクは素早く棍を構え、突き出した。懐柔できぬと踏んだ鬼はそれよりもなお速く、ひと飛びで距離を取る。まさしく人外の身体能力であった。


「これ以上裏切り者の地に手を加えるのは、よしておくとしよう」


 置き台詞を最後に、枯れ枝の如き姿が軽やかに遠ざかっていく。逃げの一手を取られ、テンジャクは追いかけず武器を構えたまま周囲の気配を探っていた。深追いをすると踏んで罠を張ってはいないか、或いはこの隙に自分を狙おうとしていないか。暫し時が過ぎ、本当に相手が逃げたと確信してからようやく、息を緩める。


 取り逃しはしたが、国に害が及ばないならそれでいい。テンジャクとしても、あの痩せぎすの鬼は追いすがるほどの戦い甲斐がなさそうに感じられた。彼もまた、戦好きなクザンの一員なのである。




◇◇◇


『オマエ、強いなァ!』


 青銅色の手を差し出した鬼は、身体の半分が崩壊していた。それを成したのは、テンジャクであった。


 副隊長に選ばれる者。それすなわち、鬼を倒しうる才覚を持つ。幾人もの腕利きがセイに挑み、負け続け、辛くも勝利を収めたのは数十年ぶりであった。


 国一番の強者である鬼と勝負し勝つのは、最高の誉れ。片目が潰れた損失よりも、自らの力を誇らしく思う気持ちの方がはるかに上回っていた。


『今日からオマエが副隊長ダ!』


 若きテンジャクは胸を張って、血塗れの手で硬質な指を握り返した。強者と再び本気で死合える時を、ひそかに待ちわびながら。




◇◇◇




 猿鬼達の襲撃は幸い死者こそ出なかったものの、こちらの損害は大きかった。負傷者は多数、建物の損壊に加え、西門も破壊されてしまった。けれど、苦難は今までだって何度も乗り越えてきた。人々が元気に復興に取り掛かっているのを、テンジャクはセイと共に見張り台の上で眺めていた。


「ハジョウツイだったか? あんなものを作るとは、アイツら随分知恵が回ったんだな!」


 鬼達の持ち出してきた巨大兵器に、セイはただ感心していた。テンジャクは反対に、神経を尖らして思案する。


 あの猿共にからくりを一から作り上げる知恵が、本当にあったのだろうか。誰かが作り方を吹き込んだのではあるまいか。虚空衆を率いる鬼の姿を思い起こし、口を開こうとしてやめる。所詮、根拠のない推測だ。


「オレの考えたかがり火案は、結局意味なかったな。残念だ」


 彼の案は、大抵が力押しだ。今回はセイにしては考えた方だなと違和感すら覚えていると、苦笑いを返される。


「ムゲツにこの国を紹介する、いい口実と思ったんだがなあ」


 一見ひょろりとした優男を思い出す。食堂前でしでかしたらしい事といい、鬼ではないかと直感が囁いている。


 ただ、どうも違うようにも感じる。

 何というか、やけに人間臭いのだ。


「あの二人を招くのが本命だったのか」

「ボタンの方は最初の予定にはなかったがな」

「そうなのか?」


 あの少女とは最近知り合ったばかりと聞いて、テンジャクは少し驚いた。異形の姿となっていた青銅鬼をあっさり受け入れていたので、てっきり旧知の仲かと思っていたのだ。


「頭を撫でたら一気に懐かれてな。ムゲツが気を揉むわけだ」


 そう言うと、セイは何度か手を握っては開いてを繰り返す。ふうむと首を傾げ、大の男は自分の頭を撫でだした。


「アイツがオレを怖がらなかったのが腑に落ちん。いや違うな、悪くはないが、こう……うずうずする」


 さっぱりした性分の男にしては、珍しく頭を悩ませているらしかった。赤褐色の髪をぼさぼさに乱れさせてから、今度は遠くの方へ視線を寄こした。それは、桜爛国のある方角だった。


「トーキがボタンにちょっかいを出さんか、やけに気にかかる。何故だろうなあ」


 テンジャクは言葉を詰まらせた。珍しく視線を彷徨わせて、重たい息を吐く。


 初代の見聞録。

 最期は他の個所と違い、震えて弱々しい記述であった。


『親友のオレが死んだら、セイは一人になっちまう。誰がアイツの隣にいてやれるんだ。誰かアイツを分かってやれるんだろうか』


 時折、思う事がある。


 親や兄弟の如く連れ合い、戦友の如く切磋琢磨し合い、けれどいつか殺すために牙を研ぎ合う。そんな関係の自分たちは、初代の懸念を正しく払拭できているのだろうか。果たしてこの鬼と友でいられているのだろうかと。


 いっそクザンの風習とは関係のない人間の方が、彼と共に立てるのかもしれない。


「友人の身を案じるのは、おかしい事ではあるまい」


 小さな友に嫌われずにすんで喜び、悪い出来事が起きぬか心配する。それはまるで、どこにでもいるありきたりな、人のようで。


 セイはしばしきょとんとしてから、にかっと歯を見せて笑った。


「オマエらクザンの連中以外に人間の友ができるなんて、久々だな!」


 言葉を失うのは、こちらの番だった。テンジャクは暫し黙り込んでから、そうかとぶっきらぼうに返す。顔をそむけたのは、照れ隠しだった。


 国を頻繁に襲う、荒々しい襲撃。

 隣には、いつか殺し合うかもしれない鬼。

 今の所、クザンは平和である。

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鬼灯異譚 蜜柑箱 @mikannobinzume

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