閑話

天雀閑話・一

 クザンのお山の奥深くに、大きな岩がありました。

 ある時岩は、大きな鬼へと成りました。

 けれど元が岩だからか、大してお腹がすきません。


 普段は岩の頃と同じくじっとしてばかり。迷い込んだ動物や人間を時たま食べるだけで、自分から何かを襲いに行く事はしませんでした。いつの間にか人間の姿を取れるようになってからも、それは変わりませんでした。


 ある日岩の鬼を退治するため、国から強い兵士がやってきました。岩の鬼が返り討ちにすると、兵士は命からがら逃げて行きました。そして数日後、その兵士は再び岩の鬼に挑んだのです。


 兵士は何度も何度も挑みました。

 そして何度も何度も負けました。

 けれど鬼は、何度も何度もとどめを刺しませんでした。


 最初は、お腹が空いていなかったからです。けれど兵と顔を合わせるにつれ、自分はずっと退屈していたのだと気付きました。兵士と戦う間だけは、自分は生きているような心地がするのです。殺してしまえばもうそれを味わえないと思うと、怖いもの知らずの鬼の身体に震えが走りました。


 今度はどうやって追い払おう。

 どうやって倒してやろうか。


 決して殺さず迎え撃つ岩の鬼の噂はどんどん広まり、いつしか腕試しの若者で賑わうようになりました。じっとしていた岩の鬼は、いつしか毎日楽しく人間と戦い合うようになりました。


 そしてある時、とうとう鬼はかつての兵士に負かされました。ああ楽しかった、と鬼は満足げに笑って倒れましたが、これでおしまいかと思うと、何だか残念な気もしました。


 すると兵士が、鬼へと手を伸ばしました。一緒に来ないかと誘ったのです。それはこのまま死んでしまうよりも、山の奥でひっそり朽ちていくよりも、ずっとずっと楽しそうに思えました。


 こうして人を食べるのをやめた鬼は、人間と友達になりました。

 今でもその鬼は、人と共にクザンで暮らしています。

 



◇◇◇




 あの日の事を、今でもはっきりと憶えている。

 激痛と喪失感、狭まった視界。

 そして伸ばされた手を握った時の、高揚感を。




 クザンは鬼との争いが多い。国の周囲を塀で囲み、鍛え上げた兵で迎え撃つことで、日々脅威に打ち勝ってきた。見回りも大事な、その一環である。


「気を緩めるな」

「す、すみません副隊長!」


 テンジャクが呑気に欠伸をした新兵を注意すると、すぐさま謝罪の言葉が帰ってくる。まあまあ、と取りなしたのは別の先輩兵であった。


「最近膠着状態が続いていますからね」


 昼であろうと警戒は緩めない。最近鬼の襲撃が不気味な沈黙を続けているとあれば猶更だ。こんな時に勝手に国を出た頭を思い出し、テンジャクは眼帯越しに覆われた目を掻く。セイが奔放なのはいつもの事とはいえ、状況が状況故に気を揉まずにはいられない。


「……隊長が留守の間に攻めてこないといいんですけど」


 呟きを聞き取り、テンジャクは背中に携えた棍をおもむろに構え、眼前へ振り下ろした。弱音を吐いた本人を、鋭い眼光でねめつける。


「お前は、何のために鍛えてきた?」


 片目だけであっても、ひと睨みで兵を黙らせるには十分であった。武器を構えたまま、副隊長は喝を入れる。


「頭がいない程度で崩れる程、お前達を軟弱に鍛えたつもりはない。その精神、見回りの後で叩き折ってやる」

「あ、ありがとうございます!」


 そのやりとりを、他の兵は羨望の視線で眺めていた。クザンで一、二位を争う手練れ直々に鍛練してもらえるのが羨ましいのだ。叱られて怯えるどころか嬉しそうにしている兵を見て、戦闘狂めと内心呟く。クザンの民は大半が戦闘好きなのだ。


 そしてお望み通り、テンジャクはこの後言葉ひとつ吐けぬほどに、兵をしごいてやった。




◇◇◇




 帰宅して早々、テンジャクは自室で古い書物に目を通していた。クザンの副隊長に選出された折に先代から受け継がれたのが、初代の頭が遺した見聞録だ。ただの日記というだけでなく、戦術や戦歴も事細かに記されていて、何度読み返してもなかなかどうしてためになる。


『鉱山の鬼は並みの大男を越える巨躯だった。青銅の拳に一突きされるだけであばらが砕ける威力。こちらも逃げる前に槍で軽く腕を粉砕してやった』


 不満としては、偶に誇張した内容が出てくる事だ。どうやら当時の頭は中々に調子のいい男だったらしい。鬼を戦友と認め国へ迎え入れた、器の大きい先導者ではあったのだろうが、時折読んでいて無意識に顔を顰めてしまう。副隊長に選ばれてから、すっかり眉間に皺が寄るのが癖になっていた。


 熱心に、かつ丁寧に古紙の文字を追っていると、威勢のいい女の声が遮ってきた。


「読書もいいけど、冷める前に食べちまいな!」


 アトリに食事の時間だと催促され、テンジャクは大人しく書物をしまう。普段は兵の前で厳しく指示を飛ばしていても、妻のしりに引かれているという裏話は、食堂に通う兵達全員が知る、暗黙の事実であった。


 湯気が香る白飯やみそ汁を、黙々と口へかきこむ。自宅で食事する時位は落ち着いて食べなよ、と以前妻に注意されてから、なるべく味わうようにしていた。


 小言は常日頃気を張っている神経質な夫を気遣ってのものだと理解していた。怪我により前線で戦えなくなった頃のアトリは随分意気消沈していたから、元気を取り戻した妻が隣にいると、安心するのもあった。


「変わりはないか」

「そうだねえ、最近虚空衆って連中が喧しい位かな」


 食事の合間にアトリに情報を訊ねるのは、愉快な会話が苦手なテンジャクにとっての雑談であった。食堂で客の噂を耳に入れているため、妻の情報網は侮れない。


「買い物の時とかにも偶に見かけるんだよね。この国は鬼に憑かれている、とかさ」

「クザンでそれを言うか」


 馬鹿馬鹿しいと一蹴する。セイが鬼である事実は、昔話で語られるほどにこの国では浸透している。突かれたところで、痛くも痒くもない事実。ただ、喧しく吠えたてられては鬱陶しい。どう追い出したものかと算段していると、アトリが包紙を茶碗の隣に置いた。


「で、副隊長殿にこれを渡してくれってさ」

「お前に手渡しとは、存外度胸があるな」

「そうだね、あんまり胡散臭いからひん剥きたくて仕方なかったよ」


 前線を退いたとはいえ、血気盛んなのは変わらずであった。わざわざアトリに渡したのは、こちらの内情を既に把握しているという示唆も含むのか。


 包紙から手紙を取り出し、素早く文面に目を通す。向こうの思惑が何であれ、頭が帰ってくる前に、得体の知れない輩は片付けておくに越したことはなかった。

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