08.


「お願い?」

「そお、そお。これ、配ってきてくれないかしら」

 おばあちゃんが差し出したのは、黒いものがごそっと入ったタッパーだった。一瞬、何かヤバいものかと思ったが、よく見ると、くるみ入りのブラウニーがふたくちくらいのサイズで切り分けられている。タッパーのすみは仕切られていて、ブラウニーに触れない位置に、小さな市販のせんべいと、飴玉が入っていた。

「これ、あそこの生徒たちに?」

「ええ。お願いねぇ」

「は、はあ」

 それだけ告げるとおばあちゃんは料理の世話に行ってしまった。俺は少し迷ってから広間へと繰り出した。途中で投げ出された食事たちがいくつかテーブルに並び、二割にも満たない席で、生徒たちが静かに食事を続けている。割合は中等部の方が多いようだ。


 俺はとりあえず、一番端にいた高等部の学生に、「あの」とタッパーを差し出す。


「よかったら一つ取ってください。トミコおばあちゃんから」

「…………」

 三年生と思しき大人びた女子生徒は、冷たい瞳で俺を一瞥すると、サラダを食べるためのフォークでそれを刺して、一つ持っていった。

 少し離れた席にいる、本を読みながら食事をしていた高等部の男子にも同じように差し出す。「ありがとうございます」と丁寧に答えて、彼もブラウニーを持って行く。一つ飛ばして隣の席にいた男子学生は、察したように「わり、甘いもん無理なんだ」と言うので、「せんべいもあるらしいですよ」と教えると、「あ、そっちで」とせんべいを手に取った。


 端の方のテーブル席に、何も注文せず、ビクビクしている男子生徒がいた。制服と身体の小ささを見るに、中等部だろう。可哀想に、テーブルの前で背中を丸め、両膝に手を載せて、顔を下に向けてガタガタ震えている。

 俺が「あの」と声を掛けると、「ひぇ!?」と顔を上げた。


 古風なおかっぱ頭、いかにも気弱そうな少年の顔が、わなわなと強ばっている。


「ごごごごごごめんなさい! やっぱり、何も注文せずに座ってるのはだめですか!?」

「いや、ダメじゃないよ。多分」

 注文無しで着席したことが無いので、確かな答えは知らないのだが、これだけ席の空いている食堂から追い出す必要は無いだろう。こんなに怯えてたら尚のこと。

「これ、トミコおばあちゃんから」と、タッパーを差し出すと、「えっ。とみ……?」と首を傾げられたので、まだおばあちゃんのことは知らないのだと悟る。「食堂のオバチャンから」と言い直し、それでも手に取らない男子学生に、「配ってるんだ。食べていいよ。甘いのは苦手か?」としつこく尋ねると、好きです大好きですと言って、脅されたみたいにブラウニーを一つ取った。……俺は脅したのか?


「中等部か?」

「そそ、そうです。中等部です。い、一年です」

「そっか。非戦闘系か?」

「う……。……い、一応、戦闘系です……」

「……そうなのか」


 完全に予想を外して、言葉を失ってしまった。このビビりっぷりで戦闘系の異能を充てられたのだとしたら、ちょっと同情したくなる。

「せ、戦闘系、な、なんですけど、た、戦うのっ、こわっ、怖くて。す、すみません。すみません。そそ、外に大きいの出てるって聞いたんですけど……すみません……!」

「あ、あんまり心配すんな! 今、外で俺の友達が戦ってるからさ。強いやつだから、大丈夫だよ。きっと、ちゃんとやってくれる」

「友達……?」

「そうそう。それに、別に無理して戦うことないんだから。お前は自分の能力を使って――ええと、どんな能力か知らねえけど。自分の身さえ守ればいいんだから。な?」

 俺が言うと、男子生徒はポカンと口を開けていた。その状態のままリアクションが無いので、少し経ったところで、「……俺、もしかして変なこと言ってる?」と尋ねる。

「あ、い、いえ。あの、そそ、その」

「な、なんだよ。落ち着いて話せ」

「その……ぼっ、僕たちには……たた、戦う義務が……あるんじゃ……」

「ええ? いや、まあ、ケースバイケースじゃないか?」

「けっ、けど、い、一般の人に何かあったら……ぼ、僕らの、せいで」

「…………」

 そんな風に、思ってるのか。


 目の前で少年が震えている。モブなんて邪魔だ、お荷物だ、とよく言われる身からすると、こんな風に悩んでくれて、真面目なやつなんだろうなと好感が持てる。

 けど、「無力な人間は救わねばならない」という義務感が、この少年を苛んでいるのだとしたら、それは間違ってる。俺は――少なくとも俺は、自分が救われるためなら、誰かの心をすり潰していいとは、思いたくない。年下が相手なら、余計にそう思う。


 だから、「いいや」と声が出た。


「自分の身は、自分で守るモンだから。能力持ちだけじゃなくて、モブだって」

「モブ……で、でも、一般の人には、たた、戦う力が、無いじゃないですか」

「まぁ、無いけど。でも、うん……お前が助けたい、って思ったら、助ければいいんだよ。けど、助けたくないやつを、自分の気持ちを犠牲にしてまで、無理して助けることはない。……俺は戦えないから、あんま偉そうなこと言えないけどな」

「…………」

 少年は俺を見上げて黙り込む。……ゆっくりと、強ばっていた肩の力が抜けていく。

「あ……ありがとうございます」

「あー、礼を言うほどのことじゃないけど……まあ、気楽にやれよ」

 カッコつけすぎたかもしれない。ちょっと恥ずかしくなってきたので、少年には「じゃあな」と別れを告げて、他の席を回り始めた。


 自分は全く関係ねぇと達観して飯を食う高学年もいるが、戦闘に怯える生徒や、入ったばかりでまだ学校の勝手がわかっていない新入生も多い。彼らにお菓子を渡すと、ホッとした様子で礼を言ってくれた。時折「大丈夫でしょうか」と外の様子について聞かれ、そのたびに「俺の友達が頑張ってるから」と、勝手に夜崎よざきのことを引き合いに出した。


「もしかして、れい様のお知り合いですか?」

「え?」


 急に尋ねられたのが、最後にお菓子を配りに訪れた、端に固まる中等部のませた女子三人組。そのうちの、肩くらいまである黒髪を、ふたつに縛った少女だった。一年か二年だろう。俺がすぐ近くの、別の男子生徒に話していたことを聞かれたらしい。

「まあ、友達……だけど」

「そうなんですね。じゃあもしかして、以前御当主様がおっしゃっていた、『この学園に通いながら、能力の無い生徒』とは、お兄さんのことなんですか?」

「うえっ?」

 切り込まれたことのない角度の質問に、しゃっくりが出たみたいになったが、質問の内容からして、彼女の正体がわかった気がした。御当主様っていうのは、つまり。


「お前、もしかして夜崎の……」



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世界は主人公で溢れてる! 吉珠江 @yoshitamae

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