07.
昼休みが始まって二〇分。食堂に向かって空の台車をカラカラと押していく。この頃になってようやく、あの
この学校は愛嬌のあるつくりにはなっていない。アスファルトを埋めただけの地面は、ほぼ駐車場のようなものだし、花壇らしい花壇も、寮の前に少しプランターが置かれているだけだ。繊細な飾り付けをしても敵の襲来で破壊されるため、見た目の華やかさよりも、強度や修復のしやすさに重きを置いたのだろう。
変人ばかりの学生たちは、屋外で弁当を食べたり、スケッチブックを片手に何かがりがり描いたり、本を読んだり、校舎裏でダンスの練習らしきことをしていたりと、それぞれの昼休みを過ごしている。無骨なコンクリートの建物に囲まれ、一見するとグレたストリートか塀の中だが、同じ制服を身にまとった彼らがのんびり過ごしているのを見ると、ああ、ここは一応学校なんだな、と思い出す。
不意に、勝手口の前で弁当を食べていた女子生徒が、顔を上げた。
どこともなく宙を見上げる。その目が、冷めた警戒の色で冴えているのを見て、俺の直感が悟った。何か来る――
嫌な予感はいつも当たる。
見上げると校舎の屋上を、十メートルはあるゲジゲジのような形状の怪物が、縁に沿って音もなく駆けていく。校門の方に向かっているようだ。黒々としたその姿は、この周辺の町を荒らす化け物――〈
だが体が大きすぎるし、あの形状は見たことが無い。仮面の色はわからなかったが、以前見た蜘蛛型と同じ、他より強力な個体だろうか。いずれにしても管轄は
ある程度気配を察知できるので、もう気付いているかもしれないが、万が一と言うこともある。俺は台車を押して軽く走りながら、エプロンの下をさぐると、スマートフォンを取り出した。
「…………」
と、逡巡してから、
「……こっちか」
アプリから、夜崎とは別の、最近教えてもらった連絡先をタップする。夜崎はまだスマホに慣れていないし、かけても出ない可能性がある。一コール目が途中で途切れ、相手が通話に出たと悟って、俺はすぐに声を上げた。
「
『夜崎ならもう出たぞ』
「はえぇな!!」
駆けていた足が自然と止まる。う、うわー、恥ずかしい。完全にモブじゃん。まじで俺いらないやつじゃん。綾瀬も即答すぎるだろ。少しはターンよこせよ。うわ、久々にモブの真骨頂を味わった気がする。
『高橋、襲われたのか?』
一人悶えて沈黙していた時間を気にしたのか、綾瀬がそう尋ねてくる。世の中の抗いようのない流れに苛まれてた……と言いたくなったが、こんなことを言ったらクソマジメの綾瀬を困らせるだけだろうから、俺は「いや」と、歩きながら返す。
「平気だ。見かけただけだから。ただ、いつもよりでかかったから、報告しようかと」
『ああ。夜崎も、えらく焦っていたな』
「夜崎が? 珍しいな」
夜崎は、周りが焦っているときはひょうひょうとしているかと思えば、どうってことないときにバタバタ焦る習性があって、緊急時ほど頼りになるのが常だった。出てくるのが〈悪鬼〉であれ、それ以外の化け物であれ、刀を片手にひょこっと前に出たら、折り紙付きの実力でえいやっとねじ伏せる。短距離戦に限れば、夜崎ほど多種多様な敵を迎え撃てる生徒は、この学校でも少ないと思う。
が、よく考えれば、この電話の相手も、未知の能力を身につけた一人で。
「綾瀬は出ないのか?」
『ん……駐車場から観戦してるんだが、多分大丈夫だと思う。下級生も二人出てるみたいだし……できれば俺は、ここで能力は使いたくないな』
「あー、だろうな」
綾瀬の能力は目立つし、何も知らない輩から誤解を受けることもあるだろう。ただ口調を聞く限り、いざとなれば協力するのもやぶさかではない様子だから、俺が心配することはあまり無いようだ――と、思った瞬間に。
グラッ、と地揺れが起きた。それぞれ好きなことをしていた生徒たちが、一斉に、ワ、と慌てた声を出した。俺も転がりそうになった身体を、おっと、と踏ん張って支える。
『敵から大技が出たみたいだ。大丈夫か?』
綾瀬の対応は早かった。「お、おう」と返事をしながら、揺れが収まったのを確かめる。「そっちこそ大丈夫か? 夜崎は?」
『上手くかわしてる。けど、非戦闘系の生徒は下がった方がいいな』
「わ、わかった。ちょっと避難するわ。後でまた連絡するよ」
俺は通話を切ると、台車を押して走り出した。
食堂の入り口では、生徒たちがわらわらと賑やかに行き来している。多くは興味本位で観戦に行く野次馬らしく、それ以外の一部の生徒たちは、食堂に避難兼昼食に来たり、今の状況を噂したりしていた。
「高橋くん、高橋くん」
人混みの中から、不意に俺を呼ぶ声が聞こえてきた。見ると、
「お疲れ様。あのね、帰って早々だけど、お願いできる?」
「は、はい。なんですか」
「
「椎名さんも、能力持ちですか」
俺が口を挟むと、椎名さんは「竜宮寺さんほどじゃないけど、少しは動けるから」と返事をした。能力の有無は関係ない、と言われているようでもあった。
「それで、高橋くん。今おばあちゃんが一人で食堂を切り盛りしてるから、手伝ってくれる? おばあちゃんが指示出してくれるはずだから」
「あ、はい。大丈夫です。わかりました」
「助かるわあ。いてくれてよかった。よろしくね。危なかったら逃げるのよ」
椎名さんのほんわかした笑顔を見送ってから、俺は食堂の裏側に回った。台車をたたんで中に入ると、おばあちゃんがカウンターに立って、生徒たちの食券を受け取っている。一人で扱うには広すぎる厨房だが、幸か不幸か、野次馬に行った分、食事に来ている生徒もそれほど多くはないようだった。
「おばあちゃん、手伝うことある?」
おばあちゃんがカウンターを離れたところで尋ねると、「あんりゃ」とおばあちゃんが声を上げる。「おかえり、おかえり。手は洗った? 盛り付けを手伝ってほしいね」
手を洗っていると、また、グラ、と地面が少し揺れた。
「そいじゃカレーを盛ったから、片方にチーズと、両方に福神漬けお願いね」
「え? あ、は、はい」
地揺れに驚かないおばあちゃんからカレーの皿を受け取り、キッチンに並んだトッピングからチーズと福神漬けを載せる。急に割り振られて慌ててはいるが、俺もここのカレーはよく食べるから、そう大きく量は外していないだろう。おばあちゃんは後ろで親子丼を作っていたので、俺はカウンターに出ると、「チーズカレーとカレーライスです」と、受け取り口の前で待っていた中等部らしき学生に声を掛けた。後輩たちは一瞬訝しげな目で俺を見たが、普通に受け取ると普通に席に着いた。
「ほいほい、こっちも出してあげて」
「はい」
「親子丼には三つ葉載せてあげてね。その端っこのよ」
「わかりました」
食堂にいる生徒はまばらだ。外の様子にまったく興味がなさそうに、粛々と飯を食っているやつと、いつここに被害が来るか、ビクビクしながら飯も喉を通らないやつで、おおよそ二分されているように見える。それ以外の奴らは観戦に出かけたのだろう。困難な戦闘ほど、生徒たちは興味を引かれ、野次馬に行くのだ。〈主人公〉ばかりの野次馬なのだから豪勢なものだ。
食事を出すのが一通り終わり、皿洗いをしていても外の戦闘は終わらなかった。ここまで来ると、そろそろ夜崎のことが心配になってくる。
「ちょいといい?」
振り返るとおばあちゃんが、俺の隣に立っていた。配達に行く前と同じ微笑みで、にこにこと笑っている。「なんスか?」と応じると、「洗い物、一度ストップね」と、人差し指と人差し指を交差させた。「お願いがあるの」
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