06.


 職員室は事務室と同じ一階にあり、中等部と高等部の教師たちが一緒くたになって仕事をしている。この学校、概要の突飛さと校則の緩さの割に、学校としてきちんとしているところが無いわけでもなく、教員免許に関してがそうだった。中学高校それぞれの免許を取得していないと、指導にあたることができない。中高どちらも取得して、学年を問わず講義に出張っている教師もいれば、片一方でしか見かけない教師もいる。


 そして一緒くたになっているのは、学生も同じだった。高等部より生徒数が少ない中等部は、フロアが違うだけで、同じ棟に収まっている。まぁ、形式的には立派な中高一貫校だが、中学卒業と同時に能力が消失したり、高校入学と同時に能力が発現する生徒も多いので、中高を跨いで所属する生徒はあまり多くない。


「失礼しまーす」


 多少軽くなったケースを運び、ノックをして軽く挨拶。深く考えずスライド式のドアを引くと、たった今職員室を出ようとしていたらしい、スーツも髪型もピシッと決めた長身眼鏡の男性教諭と目が合って、威圧感に身体がギョッとすくんだ。

「伸ばさない」

「す、すみません」

 キリッとした表情と、その表情に見合った厳しい言葉が、軽率な挨拶を指摘する。瞬間、ブッと吹き出す間抜けな声が聞こえた。比較的入り口に近い席に座って、俺のエプロン姿を覗き込んだ英語科の鮫島さめしま教諭が、口を押さえて必死に笑いをこらえていた。俺が軽くげんなりしていると、目の前の男性教諭が鮫島先生の方を振り返って、

「鮫島先生、笑わないでください。失礼でしょう」

「す、すんませんね、桂木かつらぎ先生。くふふっ」


 ハァ、と、桂木先生が溜息をつく。


 高等部を担当する数学の教師で、学校全体の生活指導の担当でもある桂木先生は、まあ見た目と言動の通り厳しいことで有名だ。一部の生徒からは熱烈な支持を得、一部の生徒からは壮絶な嫌悪を受け、そして大半の生徒からはそれとなく敬遠されている、絵に描いたような憎まれ役の先生だった。

 ちゃんとした人だとはわかっているが、一対一だとさすがに緊張する。


「高橋君は、何の用件でこちらに?」

「えと、弁当を届けに来ました。食堂の」

「そうですか。連絡はもらっています。今日は食堂で仕事だったそうですね」

「はい」

「私は少し出るので、鮫島先生。受け取りをお願いします」

「あ、俺ですか。あいあい、了解です」

「生徒の前で変な言葉遣いをしない」


 桂木先生は厳しく言うと「では」と告げ、俺の横を通り抜けて職員室を出た。……自分で言うのもどうかと思うが、俺のエプロンバンダナ姿を見て、よく眉一つ動かさないな。


「鮫島先生、弁当いくつですか。全部渡せばいいんですか?」

「あ、待ってくれ。封筒どこだったかな」

 鮫島先生は、思いのほか整理整頓された机から立ち上がると、職員室後方の、月間の予定やら特記事項やらが書かれた黒板に移動。少しウロウロした後、隣のボードに視線を移し、様々なプリントや張り紙と一緒に掛けられた、事務室と似たようなレターケースを見つけて手を突っ込んでいた。

 悠長に確認する鮫島先生を横目に、俺は雑多な職員室を見渡す。まぁ、普通の中学校にいた頃とあまり変わらない印象の、ありがちな職員室だ。


 すると奥の席のみなみ先生が来て、「あら高橋くん」と声を掛けられた。


「お疲れ様~。あらあらぁ、エプロン姿が様になってるわぁ」

「は、はあ」

「どう? 仕事は楽しい?」

 南先生に無理くり押しつけられた仕事なので、認めるのは少しばかり悔しかったが、ここで意地を張っても得は無いので、「楽しいです。思ったより」と、なるべく無愛想に伝える。すると南先生は満足げに、「そお」とおっとり微笑んだ。

 ……まさか、最初からこれを狙ってたとか?


「おし、これだこれだ」

 鮫島先生が封筒を持って、俺のところに来る。封筒には弁当の必要個数のリストが貼り付けられ、中はじゃらじゃらとお金が入っていた。大雑把な管理だなと思いつつ、それを受け取って保温ケースを開ける。

 保温ケースの弁当は個数ピッタリで無くなった。南先生は小さい体で弁当を抱えて、ちょこちょこと職員に配って回っていた。


「食堂に戻るのか?」と、ニヤニヤしながら鮫島先生。

「まあ……そうですね。研究棟も回ったら」

「えー。だったら今日、食堂にすれば良かったな」

「勘弁してくださいよ。どういう意味ですか」

「生徒が頑張ってるところを見ておきたいんだよ。俺、先生だから」

 そう言ってニヤニヤする鮫島先生に、「本当に勘弁してください」と俺は念を押す。

「桂木先生に言いますよ」

「ははっ。わかった、やめとくよ。あの人の説教は長い」

「そういえば……今、職員室にいない先生の分も、置いて行って大丈夫なんですか。急いで出てきたので、あんまり詳細を聞けてなくて」

「ああ、それはこっちでどうにかしとくから。お前は研究棟に行け、行け」

「よろしくお願いします」と告げると、「お疲れさん」と返ってきた。


 抜け殻になった保温ケースを肩にぶら下げ、一瞬、正面玄関と逆方向の、二年生の昇降口に足が向きそうになったが、スリッパがペタンと鳴って「あ、違うか」と思い出す。

 正面玄関に向かってペタペタ歩いていると、向かいから、プリントの束を抱えた桂木先生がやってきた。


「お疲れ様です」

 微妙な距離感で俺が言うと、

「ご苦労様」

 桂木先生は俺と目を合わせて、軽く会釈をして去って行く。


 厳しい先生だ。それ以上に、とても対等な先生だ。

 鮫島先生がいつか言っていた。桂木先生はさ、在校生には怖がられてるけど、卒業生には人気あるんだよ、と。あの先生のおかげで俺もふざけられるわけ、ということも言っていたが、それについては黙殺した。






 軽くなった台車を押して、次は研究棟へ向かう。遠くにあるので小さく見えるが、この敷地にある建物の中で一番大きい。本校舎の倍はありそうだ。だが外観は本校舎より傷んでいて、詳しい施工の年月日は知らないが、他より古い建物だと思ってよさそうだった。

 アニメやらゲームやらで、山奥に構えられた謎の研究所やアジトがしばしば出てくるが、ここの様相はまさにそれだった。一般人に例えられる範囲で言うと、古い総合病院なんかが近いかもしれない。


 今日は咎めてくるような職員は外にいなかった。代わりに、ガラガラと玄関へ台車を押していくと、壁にはめ込まれた小さな窓の奥に事務室が見えて、中年と呼ぶにはまだ早いくらいの男性がこちらを睨んでいた。お世辞にも良い気分にはならない。

 玄関前の大きなひさしの下を歩き、自動ドアに近付くと、重いガラスの扉がゴーッと開く。少し歩けばもう一枚自動ドアがあり、奥には石材と金属で造られた冷たいエントランスが見えたが、あそこには申請しなければ入れない。


「すみません、弁当の配達です」


 事務室に窓ガラスがはめ込まれただけの小さな受付カウンターで、聞かれるより先に強めの語調で主張する。「ああ、弁当」と、先ほど事務室から俺を睨んでいた男性は無愛想に頷き、「ちょっと待っててください。今確認に向かうので」と言うと、窓のカーテンをシャッと閉めた。


 少しすると白衣姿の男性が、屋外側から、ガラスの自動ドアをくぐって現れた。


「今日、バイトだそうですね」

 こちらにも連絡は行っていたらしい。ボサボサの髪にこけた頬。背丈は俺とそう変わらないが、顔つきは窓越しに見た時より幼く見えた。胸元には、『後藤』の二文字が並んだプラスチックの名札がついている。


 後藤ごとうは俺の全身をじろじろ見回し、最後に俺の顔を睨む。その瞳が不満そうな色をしているのは、バンダナ姿が似合わないから、ってわけじゃないだろう。

 五秒ほどかけて俺を観察すると、ようやく台車と保温ケースに目が行った。

「中に弁当が?」

「はい」

「わかりました。確認しますね」

 後藤はなんだか嫌味っぽい口調で告げると、保温ケースのジッパーを開く。手つきがたどたどしいのを見ると、普段はこんなことをしないのかもしれない。食堂のおばちゃんの代理で学生が来るシチュエーションに、警戒しているのかもしれない。


 ざっくばらんにケースの中を調べてから、

「はい、確認しました。大丈夫です」

「はあ……。……あの、支払いは?」

 少しの間の後に俺が尋ねると、後藤は訝しげに眉をひそめた。

「支払いはありません。ウチは一括で前払いしているので」

「あ、ああ。そうなんですか」

「保温ケースは後ほど返します。台車はお持ち帰りください」


 半ば追い立てるような口調で告げる。俺は指示の意味がすぐには理解できず、数秒硬直していると、後藤が無言で台車の上の保温ケースを指さした。そしてマウスをクリックするみたいに保温ケースをちょんちょんと指さし、今度はタイル張りの床をちょんちょん。


 つまり、下ろせということらしい。


 戸惑いつつ保温ケースを台車の上から下ろし、「失礼します」となんとか返事だけ絞り出して、空になった台車を押し研究棟をあとにする。玄関を出て数十メートルのところで振り返ると、保温ケースの前に立ったままの後藤が、どこかに電話を掛けている。しかしふと後藤が俺の視線に気付いて、手で“シッ、シッ”と、追い払う動作を見せた。


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