第2話

「俺は芥川龍之介について書いた」

「へぇー、私は横山利一。新感覚派よ」

「姉崎、国語は得意だもんな」

「私が添削してあげよっか」


 俺のノートを指差してきたので、素直に渡す。


「頼むわ」

「うん」

「いやー心強いわ」

「お姉さ、私に任せて!」

「おう…………おう?」


 振り向けば、そこにはポカンと口を開けて沸騰している姉崎あねさきがいた。


 ***


 うわああああああああああああああああああ‼︎


 やってしまった……!


 ってか言い間違えたの超一瞬だよ、なんで気づいちゃったの……。


 学校では絶対に普通の幼馴染でいるって決めてたのにぃ!


 アレかな……昨日サキュバスお姉さんの漫画読みすぎたちゃったのかな……。あ、別にこれは私の完全なる趣味であって、別にサキュバスになりきってやろうとは思ってないんだからね。


 本当だよ、本当。


 と、とにかく。実際問題、翔太しょうた君のこととか関係なく、私は純粋におねショタが好きなのだ。


 好きだからこそ、学校の冷静な雰囲気の中で自分がお姉さんになるのは超恥ずい。


 羞恥心が暴走している。頬が焼けるように熱い。


 もう……早く収まれ、私の顔面!


 どうしよう、彼めっちゃ訝しげに見てきてる。


 こうなったら……


「現代文は五限だったよね、それまでに返すから」


 完全スルーを決めてやった。

 翔太君がフッと小馬鹿にするような笑みを浮かべる。


「いや、キツいって」

「……バカ、忘れろ!」


 ポカン、と彼の頭を殴ってやった。


 ***


 一限が終わったので、俺は自販機へ向かった。


 階段を降り、一年生の教室が並ぶ廊下に差し掛かると、嫌な会話が聞こえてきた。


「ねぇ、アンタ今日メイクしてきてるでしょ」

「調子乗ってるの? いつもみたいにメガネかけて隅っこにいればいいじゃーん!」

「男の俺が言うのもなんだけど、ちょっと雑じゃない?」

「あこがれちゃった系ってやつか?」


 女子と男子の声が二つずつ。四人グループで女子をいじめているらしい。その集団はすぐ目に留まった。


 廊下を少し進んだ先にいる。人通りも多いのによくやるよ。


 陽キャしているつもりなのかもしれないけど、本当の陽キャってのは騒がしいけれど、話してみると案外優しい奴らだ。


 つまり、彼ら彼女らは陽キャになりきれていない。


 本当のあこがれちゃった系はお前らみたいだ。


 自然、俺は彼らの横を通り過ぎることになる。


 学年も違うし、面識もないし、素通りするのが当然なんだけど……。


「ほどほどにな」


 そう、横切りつつ言ってしまった。


 口が勝手に動いてしまった。


 何やってるんだよ俺……。


 案の定、男一人が目の前に回り込んできた。


 胸ぐらを掴まれる。


「ああ? あんた誰だよ」

「いや、えーっと二年生だよ」

「制服みりゃわかるわ。関係ないなら余計なこと言うんじゃねぇよ」

「そうだな……」


 正直、悪いことしてるのはコイツらなんだけど、コイツの言い分は正しい。


「だったらなんで?」


 ネクタイを引っ張られる。ワンタッチ式なので今にも取れてしまいそうだ。

 ここは素直に頭を下げる。


「すまない、もう声はかけないよ」

「ほーう」


 すると彼はすんなりと、ネクタイから手を離した。

 次の瞬間、背後からいじめられていた女子の声が聞こえてくる。


「危ない!」



 ――わかってる。全部聞こえてる。



 俺は無駄に耳がいいんだ。


 あっさりネクタイが解放された時点でおかしいと思った。そしてその直後、俺の耳にはこんな会話が届いた。


『アイツ、なんかウザイから涼哉やっちゃいなよ』

『ぶん殴っちゃえ〜!』

『いいぜ。ちょうどコイツのせいでイライラしてたしな……』


 目の前の彼は、俺に油断させるために掴んだ手を離したのだ。


 もうすぐ俺は殴られるだろう。


 でも、痛いのは嫌だな。


 だから、瞬時に横に移動した。


「何⁉︎」


 拳はそのまま、俺の前にいた彼の元へ。


「いてぇ! テメェ……」


 それでは今のうちにおさらばしよう。


 耳がいいと言っても、俺は聴力が良いわけじゃない。


 昔、悲惨なまでにいじめられたあの時から、過敏に他人の声が耳に入ってきてしまうようになった。自分の悪口を言われていないか、脳が勝手に意識を向けてしまう。


 どこにいても、他人が気になって集中ができない。


 もう随経つのに、今は仲のいい友人達に囲まれているのに、なぜか一向に治ってくれないこの耳。


 正直鬱陶しい。


 でも、こんな風に無傷で人助けもできたわけだし、とりあえず今日のところはまぁ良しと思っておくことにする。


 ***


 放課後、俺と姉崎は二人並んで同じ通学路を歩いていた。


 今日は俺達の所属する文芸部が休みだったのだ。


 だが、放課後になってからはしばし時間が経っている。中学生の頃に姉崎と「カップルに見られるのはちょっとねぇ」という話になり、教室で帰宅ラッシュが過ぎるのを待つようになった。それが高校でも継続されているのだ。


 きっと今日もこの後、彼女は部屋に来るんだろうなぁと思いつつ歩を進める。


「二年のクラスはなんか仲良いよね」


 休み時間の出来事をふと思い出して言った。うちのクラスはカーストらしきものは存在するけど、イジメとかはない。


 それに、カーストの違う者同士の会話も頻繁に耳に入ってくる。


 少なくともこの五月の時点では、仲のいい方だと思う。


 姉崎は通学鞄をゆらゆらさせつつ、俺から目を逸らした。


「そだねー。仲良いのは、良いよね」

「ああ」

「それよかさ、陽乃蔭ひのかげ君! 今日課題褒められてたじゃん!」

「現代文か。姉崎が添削してくれたからな」


 当然、姉崎のは褒められるどころか大絶賛だった。


「また頼むよー」

「わ・た・し・に! 任せて〜」


 目を見開き、こちらを凝視してくる。あの、まんまり自分から掘り返さない方がいいと思うよ。


 信号に差し掛かる。


「とっても仲良しさんみたいですね〜!」


 ふと、背後からそんなロリ声が聞こえた。俺だけに聞こえる内緒話の大きさではなく、明らかにこちらに向けられた大声。


 車も人も少ない並木道にはよく響いた。


 なんか聞き覚えがあるような……気のせいか。


 なら小学生がからかってきてるのか、でもこの辺小学校無いしなぁ……。


 姉崎と一緒になんだろう、と振り返ると、そこにいたのは見知った人物だった。


 というか、見知ったばかりの人物。


 朝、いじめを行っていた女子のうちの一人だ。


 身長はおそらく百四十センチ台。金髪ショートボブの小さな(胸も)身体には、肩にかかったスクールバッグがやけに大きく見える。


 まさに先ほどのロリ声に相応しい容姿だった。


 彼女はトコトコこちらに近づいてくると、俺に向けてビシッと指を差した。


「朝ぶりですね!」

陽乃蔭ひのかげ君、知り合い?」


 姉崎がどこか心配げに訪ねてきた。知り合いというかさ……。


「あの、俺に何か用? 仕返しとか?」

「よくぞ聞いてくれました! ふふーん、実はですね!」


 無い胸を精一杯に逸らすロリ後輩。


「わたし、小山内雅姫おさないまさきはあなたのことが好きになったのです!」

「……は?」

「見る感じ、横の先輩とはカップルではないようですね。なら、わたしとどうですかぁ?」


 そして、あざとく上目遣いを向けてきた。


 ***


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