番外編・塩澤真知子と春木山護のデザートディ

 居酒屋 龍ノ牙での勤務が決まった夜、店を出るまで山護からのLINEメッセージと着信が止まなかった。

『真知子さん、今どこにいるの? ちゃんと教えて』

『さっき背後から人の声が聞こえていたよね。もしかして外にいるの?』

「うん、大波止おおはと

 山護への罪悪感から、真知子はこれ以上何も隠したくなかった。

『分かった。コンビニとか、どこか人気ひとけのいるところにいて。すぐに行くから』

 山護の背後から人のざわめきが聞こえてきた。人付き合いの多い仕事に就いているため、山護が夜まで外にいるのは珍しいことではない。

「え、明日の夕方だとだめなの? 私、山護君の仕事の邪魔をしたくないんだけど」

『真知子さんより大事なことって何かあるの?』

 真知子が最寄りのコンビニに入るとセンサーの反応音がスマホにも響いたはずだが、山護は通話を切らなかった。

「私は大丈夫だから。ってかまさか、スマホ運転も飲酒運転もしていないよね」

『そんな非社会的なことはしたくない。だから、そこで待っていて。変な男にナンパされても無視してね。安全運転かつ、なるべく早く着くようにするから』

 山護は長崎市南部の郊外に住んでいるため、通勤に自家用車が欠かせない。そのことも知っているからこそ、真知子は無理に急かすことも、山護の厚意を無下にすることもできなかった。山護の唐突な告白から始まった交際だが、時間をかけて真知子の方が絆されていた。

 山護は汗で潤った肌で真知子を迎えに来た。

「家まで送るよ。お母さまもしん

 言いかけたが、真知子の表情を見るなり山護は訂正した。

「どこか夜景を観に行こうか。稲佐いなさ山以外なら唐八景とうはっけい鍋冠山なべかんむりやまがいいかも。人気ひとけが少ない方が落ち着いて話せそうかな?」

 真知子は鍋冠山を選んだ。長崎市内では恋人の聖地としても有名な夜景スポットである。今後の関係に願掛けしたい一心で、山護の車で到着するまで無言を貫いた。

 到着すると、真知子は夜景を一瞬見るのみで、山護の肩を掴んだ。

「来てくれてありがとう。それに、今まで連絡できずにごめん。山護くんに幻滅されたくなくて黙っていたことが多すぎて。私なりの誠意にもならないと思うけど、聞いてほしい」

 山護は相槌を打ちながら、静かに聞いた。ときおり真知子と山護の肩同士が触れるも、真知子が傾くまで肩をも抱かなかった。

 介護疲れから経済状況、未遂で終わった真知子の誤った選択、さらには新しい仕事のことをも明かすと、山護が纏う空気が重くなった。

「私がいることで山護くんの人生に足を引っ張ることになるかもしれない。そうなる前に別れたいなら、今しかないよ」

 その瞬間、山護の雰囲気が氷のように冷たく、鉛のように重くなった。真知子は何もされていなかったが、釘に打たれたように喉が痛み、声が震えた。それでも真知子は言わずにはいられなかった。

「そう思っていた。でも、私は嫌だ。山護くんの彼女だって堂々と言えるように、対等な関係でいたい。だけど困ったときは助け合いたい。それくらい、私の中で日々、山護くんの存在が大きくなっている」

「真知子さんはすでに、僕の中で大きい存在だよ。だから本当に嫌いにならない限り、そんな胸が張り裂けるようなことを言わないで……話してくれてありがとう。怖くて寂しい思いをさせて、本当にごめんね」

 山護は強く抱きしめてきた。真知子のつむじやこめかみに唇が触れ、後頭部と背中を擦ってきた。綿あめさえも崩さないように扱う手だった。

「僕は本当に情けない男だから、もっと真知子さんに相応しい男になる。真知子さんと出会う前の記憶が薄らいでいるくらいなんだ。僕もずっと真知子さんと一緒にいたい」

 抱き寄せる腕も慎重だったが、山護の熱意が腕伝いに真知子に触れ、鉄の鎖のように想いの重みを感じた。

「それにね、真知子さんは十分過ぎるほど立派な女性だよ。芯が強くて目上の相手にも屈しない。家族のためとはいえ、今後は手段を選んでほしいけど、そもそも真知子さんが生き辛い社会であることのほうが絶対的に悪いんだ。真知子さんの魅力を認めない社会や会社が、僕は許せない」

 真知子は定職を得られないことで負い目を感じていたが、山護は真知子が考える以上に肯定していた。その肯定ぶりは、山護が待ち合わせのコンビニで購入してきたエクレアを超える甘さだった。

「言い過ぎ」

 常識社会への適応性よりも真知子自身の個性をそのまま受け入れてくれることが、たまらなく嬉しかった。しかし山護の直球的な表現が気恥ずかしく、山護の筋肉質で肉厚な肩に額を当て、前髪の生え際を擦った。

「僕の前限定で恥ずかしがる真知子さん、本当にギャップがあって可愛いよね。僕だけが知っているなんて、プレミア過ぎる」

 山護は真知子の後頭部に唇を落とした。真知子は骨格が太い背中に両手を回し、軽く掻いた。筋肉でもある厚い皮膚は、仕事での重圧に耐えるだけでなく、真知子の重みを受け止めるために存在しているのではないかと思うほどだった。

「そろそろエクレア食べたいんだけど」

「ん、他のことに集中したいくらい恥ずかしい?」

 山護の背中を両手で掻いた。真知子はこれ以上言葉が出てこなかった。

 夜景を見ながらエクレアを頬張っていると、山護はその姿をスマホで撮った。

「ね、明日はどこのお店で晩ご飯食べようか? デザートの種類が多いところがいいかな。真知子さんは何が食べたい?」

「明日? 今もう会っているじゃん」

 山護は唇を尖らせた。エクレア表面のチョコレートが口角に付いた表情をスマホで撮りながら。

「僕たちは恋人だよ、できるだけ毎日会いたくないの……?」

 エクレアのチョコレートとカスタードクリーム程度の相乗的甘さなど、忘れてしまうほどの愛情表現だった。


 真知子と山護の背景にある夜景は、過去に見たときより金平糖並みに大粒の光が瞬き、砂糖でできた天の川が二人を覆っているように見えた。

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居酒屋 龍ノ牙 加藤ゆうき @Yuki-Kato

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