エピローグ

 友人の唾液の味が、歯の感触が、舌の少しざらついた感触が身体全体に伝わってくる。

友人の手が伸びてくる。友人の熱を帯びた手が、私の頬に触れた。私の行為に答えてくれた。私の大好きな友人が、私の向けた気持ちに。この瞬間をずっと待っていた。

桜の花びらが友人の背中で舞っている。とても美しい。よく見ればそれが粉雪だと、手のひらに乗る花びらが溶けて仕舞えば気づくことができたのだろうけれど、私の両手は友人の頬と背中にそれぞれ回されている。今、私たち2人は桜の木の下で静かに口付けを交わしていた。そう錯覚していた。

美しい桜の樹の下には死体が埋まっているとか、友人からいつぞやに聞いたことがある。そんなわけはない。『お前』は骨も残さず食べるから、死体も骨もこの地には、この満開の桜の木の下には埋まっていない。少なくとも『お前』が殺して食べた人間が、ではあるが。それとも、これから骨が埋めてやろうか『お前』の、私の骨だ。

ここで殺してやろうか。

私が1番食べたかったのは、るう、『お前』だ。私の残った脳に『お前』は舌を伸ばしてきた。

『お前』の身体に私の頭が最後に残っていた。

『私』は一体何だったんだ? 友人が好きと言う感情も、全ては『お前』のものでしかなかったのか。でも、脳はまだ、私のものだ。この想いは、私だけのものだ。

「私の名前の意味はね、」友人が何かを言っている。でも、耳元が煩くて、いろんな音に支配されていてうまく聞こえない。じゅるじゅるという生暖かい体温を含んだ音が口元から脳内へと響く。ようやく思い出してきたのに、こいつはついに私の脳にまで手を出してきたようだ。

舌を伸ばして、脳髄を、海馬を、大脳を舐めるようにして『お前』は私の脳を蹂躙していく。

記憶が薄れていく。記憶ごと脳を齧られているようだ。

友人の唇が再び口内に滑り込んでくる。生暖かい感触が脳を支配する。もう、何も考えられなくなる。ぬるりとした感触だけが脳を覆う。もっと、もっと欲しい。

私は、友人のことが好きだ。友人のことが大好きだ。「好き」が、「愛」という感情がどのようなもので、どう違うのかはまだよく分からないが、好きだけでは足りなくて、友人のことを愛していたいとも思っている。この感情だけは、私だけのものだ。『お前』の本能的な食欲とは、衝動とは違う。友人との関わりで、私の脳内から、自発的に生まれた、私だけの想いだ。『お前』に脳みそを、この感覚までもを奪われてしまう前に、早く、早く。もっと、もっと、友人が欲しい。

「……ゆいは、美味しいね」

友人の目が、大きな黒い瞳が見開かれた。あぁ、綺麗だな、と思った次の瞬間、

口内にこれまでに味わったことのない、甘美な味が広がって、はじけた。

私は、白崎るうはそこで消えてしまった。

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