幕間 白崎さくら

 コの字型の母家に囲われた中庭に、一本の桜の木が生えている。私は縁側から桜の木を眺めていた。今年の春も見事に満開だ。庭の桜の木が満開に咲き乱れている。まるで木の下に死体が埋まっているかのようだ。でも実際に死体などは埋まっていない。そんな血生臭いことと、この白崎家は無縁である。

 私の家、白崎家は昔から代々稲作を担ってきた。私の一族は伝え聞く限り全て農民、百姓だ。私は白崎家の何代目になるのだろうか。そんな記録もないだろう。家系図のようなものも多分あるのだろうけれど、私はこの家に生まれてこの方見たことはない。広げて見ても特に知った名前も有名武将や歴史に残るような英雄の名前もないだろう。40年余り白崎さくらとして生きてきたが、百姓、庄屋として平凡にやや退屈な人生を生きてきて、特に不満も、そして満足感もない。

 それなりに大きい母家、そしてその横には米を蓄えるための蔵がある。これが私の住む世界にあるものの全てだった。小さいものだ。それだけでいい。だが、小さい世界というのは一方で面倒なこともある。村の中では家同士の関係がある。えにしというのはありがたくもありながら、客観的に外側から見ていた頃よりその中に混じった時の方が、渦中の中でふと冷静に客観的になった瞬間、そうであると気づいた時の方がよりその状況を恐ろしく感じた。だから私は、極力他の人との関わりを避けてきた。外とのことは父がこなしていたので特に困ることもなかった。

 長年稲作を続けてきた白崎家の家系だが、私の代で米を作るのはもうやめようと思っていた。見合いののちこの家に婿入りした夫は稲作ではなく、運送関係として外に働きに出ていた。そして、10年ほど前に事故で亡くなってしまって、もうこの世にはいない。1人娘も外の学校に通って、今は会社で働いている、はずだ。というのも、私は娘の顔をもうしばらく見ていない。互いに連絡を取り合うこともない。連絡がないということは、息災なのだろうと思っている。この家には現在私と、私の年老いてきた両親しかいない。だから、白崎家の長く続いたであろう家業であった稲作も、私の子供や孫の世代までは続かないだろう。やりたいというのなら、あえて止めはしないが。利益や村の中や家同士の関係が面倒というのもあるが、それに加えて別のことがしたいという気持ちも最近私の中に芽生えてきた。私は、畑作をしたいと思っていた。専業農家、利益を求めたものとしてではなく、菜園程度の規模で。野菜を自分の手で育てたいと思っていた。稲作の家系だから土に触れてこなかったわけではないし、順調に収穫できるまでは長い時間がかかるが、米のように毎年同じを育てるのではなく、色々なものを育てたいと思った。とはいえすぐに畑を始める、と言う簡単な話ではない。初めてやることには色々準備が必要なのだ。桜の木の向こう、蔵へと視線を送る。この蔵は、私の父が建てたものだ。もう20年は経つだろうか。天災、人災などを乗り越えてきた傷跡なのか、それとも最近ほったらかしにされてきたせいなのか。壁の塗り直しもなく、色褪せた白の塗り壁がそりたっている。瓦屋根の濃い藍色だけが背景の木々と相まって暗い相貌である。桜の木を眺めていた縁側から庭に出て、蔵へと向かう。

この蔵が母家に比べて雑な扱いをされているのには、とある理由があるからだ。家の者、特に父がこの場所に近づきたくない、限りなく目にも入れたくなかったからだ。

私は父とは違う。蔵の扉を開けて、重たい木製の扉を奥へと押す。光に照らされた土煙がわずかに舞う。手前は米の貯蔵庫にもなっていて、蔵の1階は本来の目的であった物置として使われている。使わなくなった箪笥や物入れ、唐箕、桑、農機やタイヤが手前から新しい順に並んでいる。奥に行けば行くほど使われなくなったり長い間取り出されていないものが積み重なり保管されている。それらを超えて細い間を縫って進んでいくと、1番奥に急勾配の段の幅が狭い階段がある。手すりのない、段の横の縁を掴んで、ゆっくりと階段を上がる。一段一段からギシギシと音がする。また埃が舞う。

階段の1番上は、簡易的ではあるが外側から鍵がかかっている。私が用事があるのは、父が見るのも遠さげているあるものは、この蔵の2階の中にある。閂を外して、ゆっくりと板を上に持ち上げる。扉の中からはムワッとこもった熱気と、すえた匂いが鼻と口から入ってきた。階上に上がると私はすぐに1番近くの窓をわずかに開けた。それだけで外の春風が勢いよく入り込む。庭の桜の花びらが1枚、窓から舞い込んで蔵の2階の床に落ちた。開いた窓の隙間から、中の様子が照らし出される。汚れた襦袢一枚から伸びた細い腕。轢きっぱなしの薄い布団。部屋の奥の方には尿瓶がわりの洗面器のような平べったい器が置かれている。浮腫んだ足はてらてらと光り、荒い息が、血の浮いた歯列の隙間から漏れ出ている。窪んだ目がざんばらの長い髪の間から覗いているが焦点はまるで合わない。虚な大きな黒目は目が合っても、何か別の場所に訴えかけているようで、意図は伝わってこない。

母は狂ってしまった。父は母がまともに喋れなくなってから、母のことをこの蔵の2階に隔離した。

症状が出始めた、母がおかしくなった最初の頃、母は部屋の中をどこかへ行こうと徘徊していた。いつからか、足がひどく浮腫んで、関節から腫れて、凄い痛みに襲われて、叫び続けて、ついに自分では歩けなくなった。座ってばっかりになったからか足がさらにぱんぱんに腫れていった。母は、肉ばかり食べていた。近年村では野菜の不作が続いていた。

母が罹ったのがなんの病気なのか、私には知識もないので分からない。症状としては、足の浮腫みと呂律が回らなくなったことに始まり、酷い歯肉炎、肌の発疹と内出血、治りの遅い傷、荒い息などがあった。父はこんな姿になった母を、面影をどんどん無くしていく母の姿を、もう見たくなかったのだと思う。

疎遠になっている自分の娘、さきは自分の祖母がこうなっていることを知らない。私は知らせるつもりもない。

父は「何処かから漏れるかもしれない。さきにも教える必要はない」と言っていた。今の母の状態を知っているのは、私と父の2人だけだった。

母が最初に変わったのは、話し方だった。獣のようにうー、うーと唸るようになり、人の言葉を話さなくなった。介助しようとする人に噛み付いたり、挙句の果てには自分の腕を殴ったり、噛んだりするようになった。ただでさえ病気のせいで傷付きやすく治りにくい身体になったというのに、母の体は全身みるみる青あざと赤黒い内出血だらけになった。包帯をいくら巻いても、キリがなかった。これでは医者に見せることもできない。治すことも介助することもできなくなった。父は言った。「隠すしかないな」その口調は淡々としていた。準備も支度も、まるで前々から準備していたかのように順調にかつ手際良く行われた。

それでも、食事や排泄など、最低限のことは誰かが行わなければならない。匂いの問題と、わずかばかりに残った罪悪感のおかげだろうか。その役割は私だった。

でも、私は嫌でなかった。こうして母と会えるのが嬉しかった。母を刺激しないように気をつけながら、母の体に触れてその身体を隅々まで拭くのが好きだった。準備したお湯と手拭いで清拭の準備を整える。母の体が冷えないように、一旦窓を閉める。蔵の2階は真っ暗になった。でも私には問題ない。光がなくても、母の体のことは手に取る様に分かっていた。

母は何日も食事をまともに摂っていないはずなのに、皮と皮疹と骨張った身体はそれでも女性特有のやわらかさを残している。母の瞳は、明かりの少ない閉ざされた部屋の中でも爛々と輝いていた。お湯に手拭いを浸して、布を固く絞って、一度広げて体に当ててから、母の体をすみずみまで拭いていく。布越しに伝わる感触を、私はゆっくりと手のひらから温度と共に感じていた。最後に乾いた手拭いで母のじんわりと濡れた体を丁寧に拭いて、新しい襦袢を着せる。床の感触はどこも埃っぽい。

母に持ってきた食事は、やわらかく炊いたお米と一口大に食べやすく切った野菜の煮物だった。けれど、母は米にも野菜にも手を伸ばそうともしなかった。ただ、その口は自分の爪と指先を噛んでいた。手のつけられなかったお盆と、とっくにぬるくなったお湯と浸った手拭いを抱えて、私は蔵の2階を出ることにした。最後にもう一度、母の姿を振り返る。

この蔵にいるのは、継母だ。本当の母親、私の産みの親は、私が20代の頃に流行病で死んでしまった。父も他の家や周りの人たちに対する世間体なんて気にせずに、こんな人を迎えなければ良かったのに、とは私は思わなかった。

継母はとても優しい人で、私や私の子供たちに惜しみない愛情を注いでくれた。だから私は継母の気が狂っても何度も蔵に会いに行ったし、これまでの恩を少しでも返せるように、母からもらった愛情を返せるようにと、母の介護に勤めていた。とても母が良くなっているようには思えなかったが、それでも、たとえこの行為が私の自己満足であったとしても、それでいいと思っていた。

「さくらは可愛いね」

「えっ」いったい、何年振りに母の声を聞いたのだろう。

「お母さん……?」

「とっても美味しそうだ」

「今日のご飯のこと?」

「この身体ではもう自由には動けない。でも、もう離れることもできない」

……意味のない言葉を繰り返すだけ。聞いても話しかけても、こちらとの会話はできない。どうやら、独語のようだ。母は支離滅裂な言葉を繰り返していた。

「さくらはかわいいね」

「本当に美味しそうだ」

母が何を言っているのかは分からない。

「お腹が空いているの?」と聞いてみても、母は何も答えてくれなかった。


 継母の介護、蔵の2階への隔離はそう長くは続かなかった。継母は死んでしまった。蔵の2階の真ん中で。夜遅くから明け方にかけてだと思う。断定できないのは、私は継母の遺体を見ていないからだ。庭の満開の桜が地面に散って、葉桜になりかけた頃、私が母家を出て朝早く、母の尿瓶の回収のため蔵の2階に向かうと、そこに母の姿はなかった。

私は咄嗟に入り口を確認した。鍵は今さっき自分が開けた。窓を開け放つ。まだ温まりきらない早朝の明かりが蔵の2階全体に入ってきた。埃がぶわっと辺り一面に散る。

斜めの屋根、染みが多い床、かぴかぴに乾いた食べこぼしが張り付いた床。色褪せた布団をめくってみても、そこからは大小合わせた虫が出てくるだけで、蔵の2階のどこにも母はいなかった。

蔵の2階には他に扉も物もない。隠れられる場所もない。窓の外を見て、恐る恐る最悪の事態を想像しながら下を覗き込む。服が汚れていくのも気にせず、身をどれだけ窓枠から乗り出しても蔵の裏の林が見えるだけだった。母はいない。蔵の白い壁が山並みから顔を出した朝日に照らされている。ここには、誰もいない。

私はすぐに父に話をした。

「あいつは、夜遅くに亡くなったんだ。だから自分が遺体を処理した」母の遺体は、父が既に処理してしまっていた。私が知らぬ間に。母の遺体を焼いたのかも埋めたのかも分からない。

もしかしたらどこか遠くへ運んだのかもしれない。この家に車はないが、農機か、村の誰かにこっそりと、荷の正体を明かさずに何処かへ運ばせたのかもしれない。父は白崎家の墓に、そして土地には継母の骨を残さないつもりなのだ。

母が亡くなった後、蔵の2階は永遠に閉ざされることになった。内側から鍵を閉めて、外側からは板と釘で打ち付けて、鍵を閉める。私に出来ることは、もう無い。

これ以上登ることはないであろう、蔵の2階に繋がった階段を降りる。土の床に足をつける。閉ざされた階上の扉を見つめる。蔵の中は静かだ。虫も、埃も、湿っぽさも、全部がこの向こうに閉じ込められてしまった。

かつん、と何か小さなものが落ちる音がした。母の遺品かなにかかもしれない。私は咄嗟に床を見て回った。でも、何もなかった。見つけられなかった。ただ単に、蔵の2階の扉を閉める時に使った、錆びた釘の残りが落ちただけなのかもしれない。もしくは、ただの空耳だったのだろう、と思った。

 それから、数年後。遠くに働きに出ていたと思っていた娘から、久しぶりに電話で連絡が来た。

同じ職場の人と結婚するのだと、そしてもう妊娠しているのだと言った。私は、娘に出産までここで過ごすように勧めた。なんなら、医者にもかからず、私が赤ん坊を取り上げてもいいとさえ提案した。碌な医療知識も無い私がそう言ったのは、ちゃんと理由があった。でも、1から説明している暇はない。とにかく急がなくては。業者を手配して、この家に残った、母のいた痕跡を消さなくてはならない。

母のあの姿は、私だけが知っていればいい。母は、もう誰にも渡さない。父にも、娘にも、他の誰にもだ。父が、「お前の母は亡くなったんだ」と言った数日後、私は諦めきれず母の姿を、骨でも、髪の毛でも、服の一部でもなんでもいい。母の手がかりを探していた。そうして、私は母をついに見つけたのだ。母は、死んではいなかった。元々の病のせいで動ける身体ではなかったが、それでも、母は私のすぐ近くにいたのだ。息をじっと潜めていただけだったのだ。それでも、母の欠片である、母の体の一部、子宮だけは家中、蔵の中、便器の奥に至るまで、どこを探しても、どうしても見つからなかった。でも、母はまだここにいる。

だから、母の葬儀はしなかった。していないのだ。父は、もう何も言わなかった。父は母を死んだと思い込んですぐに、重い認知症になった。父の症状は急激に進行した。まるで、かつての母のように。なんの介護もしていない父に病がうつったのは、何故なのだろうか?

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