第21話 新学期

 長かった夏季休暇が終わる。

 花火大会の一件から、俺はほとんど家から出ることなく残りの休みを過ごしていた。そのくせに、与えられていた課題のほとんどに手がついていないままだった。申し訳ないと感じる反面、一切のやる気が出てこなかった。


 久しぶりの登校に、体がついてこられるか多少不安だったが、早めの就寝が良かったようで、予定通りの時間に起きることができた。普段なら、起きなければならない時間を軽くオーバーしてしまうので、逆に予定外の行動とも言える。

 制服に袖を通し、朝食を済ませて家を出る。

 更新したばかりの定期で改札を抜け、学校の最寄りを目指す。席に座れないのは当たり前で、吊革に掴まり、電車に揺られて運ばれる。大きな窓ガラスに映る自分は死んだ顔をしていた。当然だ。誰だって夏休みが終わることを嬉しく思えない。できることなら、あと二カ月は休みたい。


 電車から降り、通学路の続きを歩く。周囲は俺と同じ恰好をしている学生しかおらず、一気に休み明けを実感させられる。日常に引き戻された気分だ。思わずため息をついてしまう。正確に数えていないが、今日のため息は二桁に突入しそうだ。


 俺の高校生活は二年目に突入し、そのルーティーンはすっかり体に染みついている。長期休みを経ても、自然な流れで昇降口にて靴を履き替え、階段を上り、自分の教室へ向かう。それらは何を意識するわけでもない自動操縦だ。なんなら、朝起きてからずっとそうなのかもしれない。

 何か違うことがあるとすれば、いつも肌身離さず持ち歩いていたフィルムカメラを首から下げていないくらいだ。案の定、カメラは衝撃で壊れてしまったので、使用できなくなっている。かなり派手に逝ってしまい、パーツ交換でどうにかなる節もない。大人しく買い替えた方が安く済むくらいだ。そんな金はないんだけどな。


 席につき、カメラをいじろうと定位置に手を伸ばすが、そこにカメラはない。今の今までカメラのことを考えていながら、これだ。俺が思っているよりもずっとフィルムカメラは身体の一部になっていたのかもしれない。


 一抹の寂しさを感じながら、椅子に座っていた。


 黒板の上に掛けられている時計によれば、予鈴がなるまで時間がある。普通ならば、その空いた時間を使って友達と夏季休暇中のエピソードを語らい合うのだろう。現に、クラスメイトたちは久しぶりに顔を合わせる仲間たちと談笑していた。しかし残念、俺にそれができる友達はいない。もっと言えば、そんな奴がいたとしても話すことなどロクにない。……失敬、嘘をついた。一応、浅沼大史という友達がいる。それでもやっぱり、こういったタイミングで話す仲ではない。顔見知りと友達の境界線って難しいな。

 後ろを振り向くとその浅沼大史は、いつも通りのメンツで机を囲み、あれこれと思い出を語り合っている。その近くには、石川陽菜もいた。何も変わらない、いつも通りの彼女が、場を盛り上げている。


 陽菜を見ると嫌な記憶が甦る。なんで「好き」なんて言っちゃったかなぁ。何も言わずに帰っていれば、こんな思いをせずに済んだというのに……。


 不意に浅沼大史と目があった。大史は俺の視線に気づいたようで、訝しむように見返してきた。俺は逃げるように視線を正面に戻し、予鈴を待った。





          × × ×




 夏休み明け一発目は、全校集会とHRの二本立てと決まっている。何事もなく授業を始めたり、模試を持ってくるようななんちゃって進学校もあるが、うちは例にもれず、昼前には帰ることができる。


 そうなれば、放課後は街へ繰り出し、アフタースクールライフを送ることになるわけで、教室中、放課後の予定の話で持ち切りだ。どこで飯を食ってどこでボウリングとカラオケに勤しむか。なんで高校生ってカラオケとボウリングしか遊ぶ択を持ち合わせていないんでしょうね。小学生の頃はベイブレードとか、カードゲーム、携帯ゲーム機を持ち寄って遊んでいたはずなんですけどね。噂によると大人になれば、集まって酒を飲むしかやることがなくなるらしい。終わってんな。


 どこのグループにも所属していない俺は、何に誘われる期待を抱くことなく、帰り支度を済ませる。誰に気づかれることなく帰ろうと席を立とうとしたところ、俺に影が掛かった。


「浅沼……」


 顔を上げると怖い顔をした浅沼大史と目が合う。怒っているようには思えない。何か真剣に考えているからこその表情のように窺えた。

 大史は後頭部をぽりぽりと掻き、ため息交じりにこう言った。


「このあと、時間あるか」

「え……っと」


 返答の仕方を迷う。

 時間があるかないかとそれだけで聞かれると、答えは『ある』。しかし、その時間を大史に差し出すかどうかと聞かれれば、必ずしも『ある』とは答えられない。


 内心、断ろうかと思っていた。大史の相手をすると、嫌でも石川陽菜のことが脳裏にチラつく。大史は悪くないのに、冷たい態度を取ってしまいそうだ。


「あるんだな」

「ま、まぁ」


 そんな俺の考えはお見通しだと言わんばかりに、大史は念を押してきた。その圧にあっさりと負け、微細ながらに首を縦に振る。運が良ければ、大史的に俺が頷いた判定を出さないかもしれない。


「そうか。ならちょっと話そうぜ」


 伝わっていたらしい。

 ここで話すのは難だと、大史は廊下に向けて親指を立てる。ついて来いと言う意味だろう、と席を立つと大史は一足先に教室の外へ向かった。



 話し合いの場はすぐそこの廊下ではなく、外のベンチだった。

 すぐ近くにある自販機の前に立った大史が、「コーヒーでいいか」と訊ねてきたので、俺はそれに無言で頷く。それを受け、電子決済で会計を済ませると缶コーヒーを二本持って、ベンチまで戻ってきた。


 1階の端にあるベンチは、校舎で隠れて陽の光が届かない。風通しもよく、過ごしやすい環境だ。にも拘わらず、俺たち以外に人がいないのは、多くの生徒が下校を始めているのと、人気スポットではないからだ。なんと言っても各教室から遠い。飲み物を買うとなれば、食堂前の自販機が利用される。それなのに、なぜこの自販機は撤去されないのだろうか。


「ほらよ。俺の奢りだ」

「ありがとう」


 小声ながらに礼を伝え、コーヒーを受け取る。ベンチに座った大史を横目に、プルタブを引っ張るタイミングを合わせた。こういうのって、買ってくれた本人が飲んだ後でないと口にしづらいものだ。


 缶を傾け、ちょびっと口に含む。微糖だ。しっかりと甘い(瞬間的矛盾)。人工甘味料のせいだ。砂糖の量は少ないんだけどね。


「で、なんかあったのか?」

「え?」


 大史から繰り出された問いは、あまりに漠然としていて、芯を捉えていない。もっと具体的な話をされるのかと思っていた。

 趣旨を理解するため、その深堀から始める必要がありそうだ。


「それは一体、何を聞いてんの?」

「いや、今朝、お前の様子が変だったからよ。何かあったのかと思ってな」


 大史自身、確信めいたことをするつもりはないようで、俺の逆質問に対してきょとんとした様子で答えた。

 なんだてめえ、できる彼氏くんでも装ってんのか。そういうのは女にやっとけ。お前はちょくちょく良い奴すぎんだよ。惚れるだろバカタレが。


「大したことじゃない」

「てことは、何かあったんだな。陽菜か?」


 鋭い奴だ。大小で表現するのではなく、何もないと言っておくべきだったか。しかも、その内容までぴたりと当ててきやがる。これは話さないといけない流れか。別に、知られたくないことってわけじゃないし、陽菜を通していつかは大史の耳にも届くことかもしれない。


「この前、石川に告白した」

「えっ!?」


 大史はあまりの驚きように、ベンチから転げ落ちようとしていた。こんなにも動揺している大史は初めて見る。


「それで、どうだったんだよ!」

「告白する前から振られてたけどな」

「は!? 言ってる意味が分かんねえんだが」


 お前の言っていることがわからん、と大史の表情が驚きから混乱に移り変わった。少々話をかいつまみ過ぎたみたいだ。


「『男子といるとすぐ告白されるんだよね、そういうの興味ないから』って前に言われてたんだ。牽制だ」

「だったらどうして、告白なんてしたんだ?」

「記念受験みたいなもんだよ。俺はもう石川と関わるつもりないしな」


 この言い方では、まるで脈とわかったから諦めたみたいでちょっと嫌だ。だが、それ以上でもそれ以下でもない。


「それ、どういうことだよ。喧嘩でもしたのか?」


 それこそ意味が分からないとますます混乱を深める。言われてみれば、陽菜との関係を誰かに話したことはない。この反応を見るに、陽菜もまた俺との関係を人に話したことがないようだ。少なくとも、大史に話していない。どうせ終わった関係だ。話してしまってもかまわないだろう。


「そういうわけじゃない。任期終了だ。陽菜が自分のアルバムを作るためにその手伝いをしていた。それが終わった。俺はもう必要ないってことだよ」

「へ、へぇ……そうなのか。お前、カメラ持ってるもんな。今日は持ってきてないのか?」


 大史はまだ話を上手く呑み込めていないようだった。ここでその話には繋げないだろう。いや、今の情報にそれ以上知りたいと思えるポイントがなかっただけか?


「壊れた。そのうち新しいものを買う。言うほど安くないから、すぐには買えないけどな」

「いくらすんの?」

「2万くらい」

「たっかっ!? ……って、そうじゃない。話を戻すけど、陽菜に告ったんだよな?」


 カメラの値段に驚きながらも、軌道修正を果たし、本題に帰ってくる。


「ああ」

「でも、告る前から『その気はない』って言われたんだよな?」

「ああ」

「実際に、返事は聞いたのか?」

「聞いてない。聞く必要ないからな」

「なんでだよ!」

「いや、付き合いたいわけじゃないし」

「それ、前にも言ってたよな。ていうか、やっぱり陽菜のこと好きだったんじゃねえか」

「自覚したのは結構最近だけど」

「そうかよ。自覚したのはいいことだけどよ、その姿勢は気に食わねえな。何、達観してんだ。またメリットだのなんだのって語るのか? そんなの傷つきたくないだけの言い訳だろ」


 達観、言い訳、ね。言ってしまうとそうだけどね。


「他人事だからって好き放題言ってくれるな。しっかり玉砕し直してこいって言ってんのか?」

「そうに決まってんだろ。何お前だけ逃げてんだよ。俺は1年前に振られてんだ」

「同じ轍を踏ませるとか、性格悪すぎる」

「いいや。そっちの方が陽菜の良さを語り合える仲になれそうだな、って思ってるだけだ」


 にやりと笑う大史から、俺を嵌めてやろうと言う悪意が感じられない。本心で口にしたことを思っているのか。だとすれば、こいつは相当な大馬鹿者だ。もっとも、そんな奴の口車に乗ってやろうとしている俺の方が、よっぽど愚か者なんだが。


「わかったよ。ちゃんと振られてくる」

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