第20話 オタク
「あしたー(ありがとうございました~)」
義務から発せられる挨拶に、会釈で返してコンビニをあとにした。
レジ袋の中には、絆創膏とペットボトルの水が入っている。近年、傷口を消毒するのは流行っていないらしい。なんでも、流水するだけでよいだとか。
近くでイベントが行われていることもあり、コンビニはそれなりに混んでいた。いつも以上の長蛇が待ち受けていたし、これなら薬局に行った方が早く済んだかもしれない。
それにしてもおつかいの品は陽菜に預けておくべきだった。普通に邪魔すぎる。
通ってきた道を折り返すようにして戻っていく。
向かう道と戻る道、どちらも通る道は同じだけど、違って見える。鶏レベルの記憶力ってわけでもないため、曲がるタイミングなど曖昧なところは上手い具合で記憶と照らし合わせながら進んだ。
陽菜を待たせている公園まで戻ってくると、人の量が減っていた。時間的にも、花火に向けて見やすいスポットへ移動を始めたのだろう。
さて陽菜は、と想定していたよりも待たせてしまったことを申し訳なく感じつつ、待たせている場所に目を向ける。
「ん……」
中腰にあたるくらいの段差に体を預けて休んでいる陽菜の前に、俺よりもいくつか年上と見られる男の二人組が立っていた。真っ先に浮かぶのは、彼らが陽菜の知り合いと言うことだが、困った様子の表情からして、その線ではないのだろう、とわかった。
おそらくナンパの類だろう。陽菜のコミュニケーション能力なら、ぬらりくらりと躱すことができても不思議じゃないので、俺がしゃしゃりでることで逆に迷惑をかけてしまうかもしれない。状況が状況なら、静観するという選択を取っていたかもしれないが、右手にぶらさがっている応急処置用の品を思うと呑気にしている場合ではなかった。
いつもの陽菜ならその気になれば、適当に逃げられるだろうが、運悪く足を故障してしまっている。彼らがそれに気づいていなさそうだったのが、猶のこと腹立った。
「いいじゃん、俺たちと一緒に回ろうぜ。キミ可愛いし、何でも奢るよ」
「そうそう。悪いことは言わないからさ」
聞こえてきた内容からするに、案の定ナンパだった。それをどれだけ続けているのか、知る由はない。その調子では石川陽菜という女子が靡いてくれないことは俺にもよくわかった。
それと近づいてみてはじめてわかったことがもう一つある。陽菜に話しかけているお二人方、体格がいい。服装もチャラチャラというよりはシンプル目で、それが彼らのガタイの良さを強調していた。
それぞれ、黒と赤のTシャツの二人組を横目に、陽菜に話しかける。ついでに両手の荷物を下ろした。
「悪い。待たせた」
「高瀬くん」
陽菜は俺の顔を見て、強張った表情をやや崩して「助かった」と言外に示した。しかし、それを良しとしなかったのか、男は眉間にしわを寄せる。
「なに? 彼氏?」
「こんな奴が、なわけないでしょ」
男らは俺の顔や体をジロジロと見てくる。いやね、エッチだわ。
早々に彼氏ではないと見切りをつけると、俺に鋭い目を向けてきた。大した慧眼である。実際に、俺は筋肉質でなければ、アイドル顔負けのイケメンでもない。どちらかと言えば、のっぺりとしていて地味だ。おしゃれにも気を遣わないその姿は……。
「オタク、って奴でしょ」
「それな。イマドキカメラ、ってオタクしか持ち歩かないし。撮り鉄って奴じゃね?」
「そんで、オタクくんが何の用?」
嘲笑と威圧を武器に、俺との距離を詰めてくる。
目の前の二人は特筆するほどの巨漢ではない。それでも身体的差は歴然であり、迫られれば自ずと後ずさりしてしまう。
「い、や、その……彼女、俺の友達なんで」
歯切れの悪い返事をしてしまう。
完全にビビってしまっているようで、頭で思い浮かべた言葉がすらすらと出てくることはなかった。なんなら途中でフィルターが掛かって言葉自体も弱くなっている。本当は『ぶっ飛ばすぞゴラァ!』くらいの勢いがあったはずだ。
先まで絡まれていた陽菜は、矛先が俺に変わったことで苦々しい顔をしている。俺のことを心配しているのだろう。一瞬、陽菜の目を見て、首を振った。杞憂ではないけれど、手出しは無用だと。できるなら警察を呼んでもらいたいけど、そこまでするほど大事ではない。
「なに? 聞こえないんだけど」
「ナンパされると困る、みたいな……」
「何が困るってんだよ。教えてくれよ、あ?」
「え……」
鬼気迫る勢いで問い詰められ、状況は劣勢。
痛いところを突いてくる。陽菜が困っていたことは顔を見ればわかるが、どう困っていたまでかはわからない。というか、お前らも顔見ればわかるだろ。
俺が縮こまっていると、もう一人がさらに畳みかけてくる。
「てかさ、なに? 何のつもりで凸ってきたわけ? それで助けようとでも思ったのかよ。ダセえんだよ、オタクくん」
凸ってきたのはお前らで、俺は話しかけてすらいないんだけどね、とは逆鱗に触れてしまいそうで言えない。
「てめえなんかといるより、俺たちと遊んだほうがずっと楽しいぜ」
そう俺に吐き捨てるように言い、陽菜に目を向ける。言動と行動から、次にどう出るか読めた。
「と言うわけでよ、俺たちと行こうぜ」
男は陽菜の前に立つと、自信満々に同行を誘いかけた。
「ごめんなさい。約束を破るわけにはいかないので」
陽菜は申し訳なさそうな表情を作り、触発しないような言葉をチョイスする。それで済むのなら、そもそもこんな状況にはなっていない。
女子の手前、良い顔をしていた男は、誘いを断られたことで表情から笑みが消えた。
「悪いけど、キミの意思は関係ないから」
言葉のあとに男の右手が動き出すのを見逃さなかった。その手は陽菜の腕を掴もうとしている。
俺は先回りするように男の腕を掴み、制止させた。軽く掴んだだけで腕力の差を思い知る。全力と行かないにしても、かなり力を込めていなければ簡単に振り払われてしまいそうだ。
「ってぇな。だからなんだよ? オタクは引っ込んでろ」
陽菜に見せた真顔とは違う、敵意を含んだ顔つき。こうもハッキリと敵意をぶつけられたのは、人生で初めてかもしれない。小学校の時、悪さして先生に怒られた時よりもずっと怖い。
「お前こそ、断られてるのがわからないのかよ」
何を意識することなく、言葉がスラスラと淀みなく放たれた。それは確かに自分の意思だったが、まるで自動操縦のように感覚的に紡がれていた。
脈が早まり、鼓動がうるさい。適度な緊張感が全身に行き渡っているのを感じる。
「調子に乗んなよ……っ!」
掴んだ腕を振り払われ、胸倉を掴まれる。怒りに身を任せ、ぶん殴る気概が感じられた。逆鱗に触れてしまったらしい。
言い訳を用意する暇も与えられず、顔面に拳が飛んでくる。それを避けられるだけの反応速度も敏捷性も俺にはない。やられる、と思ったその時には硬い拳が頬に突き刺さっていた。
胸倉を離されたかと思えば、殴られた勢いで俺の身体は吹き飛ばされる。
咄嗟に受け身を取ったことで叩きつけられた衝撃を逃がしたが、あちこちに擦り傷ができてしまった。
殴られた箇所は痛いし、擦り傷だってあるとないのとでは大違いだ。
それにカメラも地面に強く打ち付けてしまった。多分壊れてしまっているだろう。
全身痛いし、カメラも壊れた。とんだ災難だ。立ち上がれなくもないが、それだけの気力はない。よく考えたら、俺は一体何をしているのだろう。余計なことに首を突っ込まなければ、怪我をすることもなかったのに。きっと陽菜なら、一人でも上手いことやれたに違いない。
馬鹿らしい。本当に、我ながら愚かな奴だ。
だけど、俺が馬鹿なのは今に始まったことじゃない。なら、もう少し続けたっていいだろ。
腕の力を使って上体を起こし、ゆっくり立ち上がった。
殴られた痛みは残っている。擦り傷からはうっすらと血が滲んでいる。
一発貰っただけなのに、身体は歩くだけでやっとだった。左足を引きずりながら、前に進む。
ボロボロな俺の姿を見て、男は失笑する。反撃する力も残っていない俺に戦慄するわけでもない。為す術を持たずして、向かってくる愚者の姿を前にして、理解に苦しんだのだろう。
「……お前、ダセえよ」
「当たり前だ。
残された力に許された最後の悪足掻き。
俺はひと時も目を逸らさず、男を見据え続ける。
先に目を逸らしたのは男の方だった。バツが悪そうな顔をして、ハッと笑う。その我慢比べに付き合うつもりはないと嘲笑したようだった。
「おい、お前何やってんだよ。警察沙汰なんてごめんだぞ」
そこへ男の連れが血相を変えて駆け寄り、男を糾弾する。これは意外だ。しつこくナンパするような常識知らずだが、ある程度は弁えているようだった。
「こいつが、舐めた口を……」
対して一方は、怒りが収まりきらないようで、狼狽えながらも煮え切らない態度を示していた。
「いいから、ずらかるぞ」
「あ、ああ……わかった」
強めの語気で説得されたことで、冷静さを取り戻したのか、それとも呆気に取られたのか、話を聞き入れた。
男たちはあたりの目を気にしながら、そそくさと立ち去っていく。俺を殴った男はギリギリまでこちらを見ていた。
追いかける力も、追いかけるつもりもない。結果として問題は解決した。これ以上、深掘りすることはない。
警察に連絡してもいいのだが、先に腕を掴んだのは俺の方だし、暴力事件と言うよりは喧嘩だ。明らかな過剰防衛であったが、見様によっては正当防衛とも言えなくない。そして何より、俺が彼らのことをどうこうしてやりたいというつもりはない。殴られた借りは返したいけど、それに値する何かがあるわけでもない。
もうどうでもいいや。体中痛いし、早く帰って寝たい。場合によっては、明日病院だな。
「……高瀬くん」
「石川……」
陽菜が俺を見て、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
今の俺はきっと惨めに見えているのだろう。そんなこと言われなくてもわかっている。自分でも笑っちゃうくらい、愚かだ。
そういえば、コンビニに絆創膏買いに行ってたんだっけ。今更だけど、応急処置はしておかないと。
「悪い。待たせたな」
「バカっ……バカっ、バカっ」
唐突に連続で罵られ、コンビニの袋に伸ばす手が止まる。
陽菜の顔を見るのが怖くて、顔を上げることはしない。袋に焦点を当てたまま、応答する。
「何がバカなんだ?」
「高瀬くんが怪我する必要なんてなかった。私なら上手くやれたよ」
陽菜の言う通りだ。俺が怪我をしてまで場をおさめる必要なんてなかった。
「かもな」
「だったらどうして……」
「どうしても何もねえだろ」
俺は止めていた手を動かし、袋の中から絆創膏とペットボトルを取り出す。ペットボトルの中は夏の暑さでぬるくなっていた。
「とりあえずそこに座れよ」
「うん……」
半ば強引な形で会話を切り上げ、陽菜を段差に座らせる。
俺が絆創膏と水の入ったペットボトルを構えていると、陽菜は自分の足を出したがらなかった。
「自分でできるよ」
「遠慮はいらない」
「わかった」
俺に譲る気がないと悟るや、陽菜は諦めて怪我をしている右足を見せた。
傷口に水をかけ、軽く洗い流す。水が沁みたのか、「んっ」と小さく声を出していた。
「ねぇ……」
絆創膏の準備をしていると不意に陽菜が話を切り出す。あえて相槌を打つことはしなかった。
「さっきの続き。私のこと、見捨ててもよかったんだよ」
「見捨ててほしかったのか?」
「そうじゃないけど、それで高瀬くんのことを恨んだりしない」
すべては成り行きだ。今日という日、石川陽菜と花火大会で遭遇し、少しの時間だけ行動を共にした。途中で彼女が怪我をして、応急処置のためにコンビニへ向かった。戻ってきたら、絡まれていたから割って入った。
きっとその行動は褒められるべきことだ。
逆に、陽菜が言うように見て見ぬフリをしたところで誰かに責められる謂れはない。だからこそ、彼女は俺に問うたのだろう。
「好きだから」
気づけば、そう答えていた。
あれこれと理由を考えてみたところで、それは俺にとってくだらない言い訳にしか思えなかった。きっと、綺麗な言葉で飾り付けしていれば、陽菜を言い包めることはできた。でも、肝心な俺自身を欺けない。
あとに続くのは人だかりによる喧騒。
二人の間に会話は生まれない。
空耳、聞き違い、そもそも聞こえていなかった。俺の言葉が陽菜に届いていなかった可能性は十分にありえる。
別に構わない。返事が欲しくて言ったのではないから。
淡々と絆創膏の封を切り、処置を終える。
長居は無用だと、荷物をまとめて立ち上がる。
「じゃあな」
すぐに背中を向けて、別れを告げる。最後まで、陽菜の顔を見ることはしない。いや、できなかった。
俺に為せるこれ以上のことはない。
掛ける言葉もなければ、示す態度もわからない。
彼女について、何も考えないようにするのは、気持ちを断ち切るのは難しくて、帰路についてからもずっと頭の中で思考がぐるぐるしていた。
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