第19話 花火大会


 石川陽菜との関係が終了しても時間は変わらず流れた。

 スマホの電源を入れ直すと、俺が通話を切った直後に一件だけ陽菜からの着信があったが、それ以降は何も、誰からも連絡はなかった。


 夏季休暇はもう少しで終わる。

 これと言った何かはせず、自堕落な生活を送っていた。何をするにしてもやる気が出ず、ひたすらに簡単なことだけをやっていた気がする。宿題はほとんど終わっていない。

 何かを成し遂げようとしていたわけじゃないので、むしろ計画的な夏休みを過ごしていると言って違いない。最初からこうなることは予測済みだ。


 昼が過ぎ、流石に腹が減ったとリビングへ降りると、いつものように母特製のおにぎりが用意されていた。珍しく置き手紙が添えられていると思い、手に取るとそれは妹からの指令だった。

 どうやら今日は花火大会があるらしく、部活でいけないからりんご飴とベビーカステラを買ってきてほしいとのこと。人に買ってきてもらってまで食べたいものだろうか? とその二つを思い浮かべる。言ってしまっては難だが、特別美味しいものではなかった気がする。と、至ったところで「支払いは任せた」という旨を記した一文に気づいた。そりゃ人の金で食う飯は何でも美味いだろうよ。






        ×××






 家の最寄駅から数駅先、気づけば俺は祭の会場へ足を運んでいた。

 明るい空を見るのは随分と久しぶりな気がする。たまにコンビニへ赴いていたが、そのすべては深夜だった。


 花火大会というだけのことはあり、周囲は人で溢れている。家族連れ、恋人同士、友人グループ、あらゆるカテゴリーのグループが集結している。ぼっちというカテゴリーはこの場所にとってドマイナーらしく、俺以外に一人で会場へ向かっている人はほとんどお見受けできなかった。


 あわよくば花火でも撮って帰るか、とフィルムカメラを持参したが、この調子なら花火が始まる前に帰ってしまった方がよさそうだ。最後までいたら混雑に巻き込まれていつ帰れるかどうかもわからなさそうだし。


 妹から頼まれた品を扱っている出店を探し、出店通りをほっつき歩く。

 焼き串やソース焼きそば、とうもろこし。食欲をそそる匂いが一帯に充満している。


 誰が買うのかよくわからないお面に、持ち帰ってもお母さんを困らせるだけの金魚、日に日に縮み、小さくなっていく水ヨーヨー。

 それぞれに思い出はあっても、それらを同時にこなしたことはない。祭に行くたびに、少しずつその思い出を積み重ねた気がする。


「およ、高瀬くんじゃん」

「え……」


 ふと名前を呼ばれると、俺の顔を見て驚く石川陽菜がいた。

 藍色を基調とした花火柄の浴衣に、頭にはキャラ物のお面、左手の巾着の傍には金魚と少しの水が入れられたビニール袋、水ヨーヨーが並んでいた。

 ……コンプリートしている。


「急に通話切れたから心配したんだよ~。でも、大丈夫だったみたいで安心した」

「悪かったな。バッテリー切れで」


 かねてから用意していた嘘をつらつらと述べる。だったら後日、メッセージを送るか何かしろよと思う。しかし、俺から陽菜にメッセージを送ったことはなかったので、それを不思議に思うことはなかったのだろう。


 陽菜は何も変わらない、俺が知っている彼女のままだった。

 意識していても、言葉や態度に機微が生まれてしまう。彼女から見える俺も変わらない俺であることを期待した。


「高瀬くんも花火を見に来たの?」

「妹からおつかいを頼まれただけ。多分、花火は見ないで帰る」

「そっか。私は友達と待ち合わせしてるんだけど、我慢できなくて集合時間よりも早く来て一人で屋台回ってるんだ」

「充実してるみたいだな」

「まぁね~。みんなと一緒だとできないことは全部やっておかないとね」

「へぇ」


 返す言葉に違和感はない。強いて言うならば、これまで通りの自分でいようとするばかり、変に冷たくしているような気がする。意識するあまり、自分と言うものを見失いかけている。


「あ、そうだ。せっかくだから写真撮ってよ」

「写真?」

「この浴衣もアルバム用に着てきたんだ。ここで会ったのも何かの縁ってことでさ、高瀬くんに撮ってもらいたいな」

「別にいいけど」


 承諾し、スマホを取り出す流れは身体に染みついている。素早くカメラを立ち上げ、シャッターが切られるのを待つ陽菜に合わせた。

 撮り方に工夫はない。ありのままを撮るだけ。それが彼女の依頼だ。


「ほい」

「ありがとっ」


 撮った写真を形式的に確認してもらい、礼をされる。


「そうだ。友達との待ち合わせまで一緒に回らない?」

「え、いいのか?」


 俺は思わず聞き返してしまう。

 関係を解消したのは、周囲に誤解を招かせないためだ。それでは関係を解消した意味がないのではないか、と俺の顔はそんなことを言いたげにしていただろう。そしてそれを汲み取った陽菜は、うんと頷く。


「本当に何もないんだし、大丈夫だよ」

「……そうだな」

「まずは高瀬くんのおつかいからだね。何を頼まれてるの?」

「りんご飴とベビーカステラ」

「それならさっき見たよ! あっちあっち」


 陽菜が指をさす方に屋台ののぼりがあり、そこに俺がご所望する品の名前が記されていた。

 誘導に従い、買い物を済ませると陽菜の姿を見失う。どこに行ったのか、とあたりを見回していると大きなわたあめを購入する彼女の姿を見つけた。

 俺がまだ買い物の途中だろうと、一人の世界に入っていた石川陽菜は、わたあめに夢中になっていた。


 気づくと俺は首から下げていたYashica MF‐2 superを手に取り、構えている。

 これまで幾度と彼女の写真を撮ってきたが、思えば彼女がカメラを意識していなかったことは滅多にない。カメラ目線でなくても、撮られることを前提とした立ち振る舞いをしていた。それこそ完璧な自然体は、あの日、江ノ島の帰りに撮った1枚くらいだ。


 フィルムチャージし、ファインダーを覗く。

 道行く人々は彼女のように浴衣に袖を通し、この場所に準じている。条件は同じだ。

 それなのに、レンズの中心に映る彼女が誰よりも目立っている。雑踏に紛れてなお、美しく光を放っていた。


「おまたせ~。わたあめ食べたくなって買っちゃった」


 写真を撮り終えたあとに、陽菜はこちらへ戻ってきた。俺がカメラを構えていたことに気づいていなさそうだ。

 見せびらかされたわたあめはすでに結構な量を食べられていて、ほとんど残っていない。


「食べる?」

「いらねえよ」

「そうだよね~」


 陽菜は自ら言っておきながら、当たり前だと笑った。

 他愛のないやり取りを懐かしいと感じてしまう。それは心地よく、同時に苦しさを伴った。

 俺たちの利害関係は完了している。こうして言葉を交わすことはもうとないと思っていた。そんな偶然を、喜んでしまう自分と、これが虚像であることを理解する自分が頭の中で錯綜している。

 さっさと帰ってしまおうと思っても、この場を終わらせる上手い言葉が見つからない。

 陽菜に歩調をあわせ、くだらない会話をこなしながら、絶えず言葉を探していた。適当な嘘の一つや二つ、それすら思いつかないのは、この時間を終わらせたくないと思う俺がいるような気がして、余計に苦しくなる。


「いてっ」


 痛みを訴えた陽菜が急に立ち止まる。

 履いてきた下駄から足を抜き、「いててて」と片足立ちする。上げられた右足の鼻緒に擦れた部分が赤くなっていた。


「どこか座れるところを探すしかないな」


 屋台通りには落ち着いて座れる場所がない。多少の移動は要求されるようだった。


「歩けるか?」

「う、うん。大丈夫」


 頷いたものの、陽菜は怪我した右足を引きずるようにして歩いている。それがじれったくて見ていられなかった。


「大丈夫じゃないだろ」


 俺はおんぶできる姿勢を取り、視線で乗るように訴えた。それを見た陽菜は戸惑っている。当然だ。俺みたいなやつが取る行動じゃない。


「じゃ、じゃあ……」


 陽菜が俺の背中に身を預ける間、前だけを見て、余計なことは考えなかった。

 彼女は後ろから手を首元に回し、上体を固定する。俺は陽菜の脚部を腕で持ち上げ、歩ける体勢を作った。


「お……」

「なに?」


 言いかけた言葉に対し、陽菜は機敏に反応して見せた。


「思ったより軽いなって」


 咄嗟に言葉を用意する。


「それならいい」


 納得してくれたようで、俺は胸をなでおろした。出かけた言葉は「おもい」で間違いない。しかし、実際には石川陽菜が重たいのではなく、おんぶというアクションが俺の想像よりも体に負荷をかけるものだったというだけの話だ。それを陽菜が重たいというのなら、否定はできない。


 屋台通りから離れれば、近くに公園があったので、そこまで連れていく。休憩スポットとしては定番なのか、他にも利用している人がちらほらと見えた。ベンチはすでに埋まっていたので、座れなくもなさそうな段差まで陽菜を運ぶ。

 ここまで陽菜を歩かせたら、辿り着けるかどうかわからなかった。おんぶする判断は間違いじゃなかったみたいだ。


「コンビニで絆創膏、買ってくるから」

「そんな、悪いよ」

「気にすんな。大人しく待ってろ」


 陽菜は強引な俺に不服な顔をしていたが、無視してコンビニに向かった。

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