第14話 来訪
呼び鈴が家中に響く。
鉛のように重たい吐息が漏れ、緊張していることに気づいた。
そろそろ着く時間だろう、と自室ではなく1階のリビングにあるソファで座って待っていた俺は、すっと立ち上がり、玄関に向かう。心の準備ができているような、できていないような、自分でもよくわかっていなかった。いっそのことヨーグルトの訪問販売だったりしねえかな。
冷静に考えたら、インターホンについているカメラで相手を確認できたな、と思いながらも玄関についてしまったため、扉を開ける。
「久しぶりだね、高瀬くん!」
扉の向こうで、相変わらず太陽のように眩しい石川陽菜と対面する。
「久しぶりだな」
塩対応とまではいかないが、我ながらそっけない感じだった。ここ数日、家族以外と会話していなかったせいで完全にコミュニケーション能力が低下してしまっているようだ。
陽菜の荷物は中サイズのショッパー、レジ袋とは違うややこじゃれたビニール袋の二つ。恰好は全身学校のジャージ、足元はサンダル。学校外で会うときはいつもバッチリと決まっていただけに、ジャージ姿は少し意外だった。かくいう俺も味気ないTシャツにだぼだぼの半ズボンなので、人のことは言えない。
「とりあえず入れよ」
「おじゃましまーす」
脱いだサンダルを揃える陽菜を確認し、こっちだとリビングに案内する。
「なんで電気つけてないの?」
部屋の内装に対する感想よりも先に、疑問を投げられる。
カーテンこそ開いているが、陽ざしの向きもあり、リビングは薄暗かった。一人でいると気にならなかったので、電気をつけるという発想に至らなかった。
「なんでだろうな」
理由を述べるとややこしくなりそうだと判断し、適当にはぐらかしつつ、リビングの電気をつける。
そこでようやく陽菜はリビングを見回し出した。内装を拝見しているというよりは、どうすべきかと難しい顔をしている。
「ねぇ、どっちに座るべき?」
ダイニングテーブルとソファに囲まれた座卓テーブルを見比べていたようだった。
「ふむ、ソファでいいか?」
「オッケー!」
「座っててくれ。飲み物を用意する」
「おおっ! ちょうど喉渇いてたんだよね」
陽菜は気持ちのいいリアクションで返す。真夏、それも炎天下の中、移動すれば誰だって喉は渇くものだ。玄関先がちょうど日陰になっていたせいで、今の今まで気づくことができなかった。
俺だけ家の中でゆっくり待っていて申し訳なかった、という気持ちからとびきり美味しい飲み物を振舞ってやろうと考えたが、冷蔵庫にはパックで作った麦茶くらいしか用意されていなかった。あとはキンキンに冷えた缶ビール。アルコールは間違っても提供できない。ペットボトルに入った飲みかけの麦茶をシャカシャカと振って、「ビールだ!」と遊んでいたあの頃の俺はもういない。
グラスに製氷機からいくつか氷を放り、麦茶を注ぐ。二つのグラスを手に、陽菜が待つソファ付近を目指した。
「ほい」
「ありがとっ! いただきまーす!」
グラスを座卓テーブルに置いたかどうか、ビデオ判定で確認しなければわからないくらいの速度で搔っ攫い、口に運ぶ。ぐぐっと麦茶を飲み、グラスをテーブルに戻した時にはほとんど底をついていた。
「美味しかったぁ……」
冷えた麦茶の味わいの余韻に浸り、ふにゃっとした顔を見せる。麦茶一つでそんなに満足していただけるとは。こういっては難だが、大変コスパがよい。
ほんの数刻、幸せに浸る陽菜であったが、ふとした時にぱっと目を開き、持参してきた袋を相手にガサゴソと音を立てる。
「じゃーん! 麦茶のお礼ってわけじゃないけどね」
テーブルの上に現れたのは、立方体の箱。誰もが知っているアイス専門店のロゴが入っている。
「おおっ」
差し入れを用意するとかなんとか言っていたのがこれか。すっかり頭から抜けていた。
「ぱかー」
シールの封を外し、箱の中身を見せる。透明な蓋の向こうに特徴でもある彩り豊かなアソートセットが詰められていた。種類は全部で六つ。一人一つと考えると明らかに超過しているように思える。
「これ高かったんじゃないのか……?」
スーパーで売っているアイスとは違う、専門店のアイスクリームだ。自分の小遣いでこんな豪華絢爛なものを買おうという発想には至らない。
「高瀬くんも知っての通り、私、アルバイトしているからね。これくらいはへっちゃらだよ」
「そうは言われてもな。いくらか出すぞ」
「のんのんのん」
自室へ財布を取りに行こうとすると、陽菜は人差し指をメトロノームのように振った。そんな野暮なことを言うなよ、と顔が語っている。
これは金を出しても受け取って貰えなさそうだと悟り、諦めることにした。ふぅ……かっこつけた手前、引けなくなるところだったぜ。ラッキー!!
「じゃあ、お言葉に甘えて」
その後、俺たちは陽菜が買ってきてくれたアイスを食べ、本題であるアルバムの中間発表に入った。
「じゃじゃーん」
満を持してショッパーから取り出されたアルバム。アイスの箱を取り出した時よりも『じゃ』の回数が1回多い。おかげで期待も膨らんでしまう。何に期待しているのかわからないけど。そもそも人生において、期待なんてしてはいけない。特に映画鑑賞は。期待して見に行くから「面白くなかった」という感想が出てくるのであって、期待せずに行けば「悪くなかった」という感想で終われる。体感、期待せずに見に行ったものの方が満足して終われた率が高い。
アルバムは白を基調とした色で、あちこちシールでデコレーションされている。表紙を飾っているのは、いつしか江ノ島の帰り際に撮った1枚。唯一俺がフィルムカメラで撮影したものだ。表紙にするとは言っていたが、まさか本当だったとは。
「形になると実感増すな」
「まだ完成してないけどね。じゃあ、どうぞ」
「お、ああ……どれどれ」
差し出されたアルバムを受け取り、座卓テーブルに広げる。一応、対面にいる陽菜にも見えるように配慮したつもりだ。
開かれた最初の1ページ。それは陽菜とその友達たちで構成されている写真だった。男女問わず、複数人でカメラに向かってそれぞれピースやなんやらポーズを決めている。
一緒に写っているのはクラスメイトだったりで、俺も知っている人たちだ。たまに別クラスの生徒も出てくる。友達と過ごす時間は、陽菜にとって当たり前の日常だ。部外者である俺もそれは知っている。知っているけど知らない。浅沼大史も友達の一人であり、当然のように現れてくる。勿論知っている。でも知らない。
自分でもこの『知らない』ってなんだと思ったが、多分この撮影された瞬間を『知らない』と言うことなのだと思う。知っている一瞬であれば、その写真を起点に記憶が甦る。しかし、今の俺にはそれがまるでない。
「ふぅん」
こんな感じなんだ~とページを捲っていく。アルバム自体の総ページ数は大したものじゃない。友達との写真も2,3ページで終わりを迎える。するとやってきたのは、意外にも自室での自撮り。慣れていないのか、写真の陽菜はぎこちなかったりと新鮮な一面を見せられる。
写真と見比べるように正面にいる陽菜を一瞥した。それに気づくと、陽菜はムスッとこちらを見返す。
「ちょっと、何考えてんの?」
「なんでもない」
「馬鹿にしてるでしょ。今の私を残すつもりでやってるんだから、自撮りも必要だと思ったの!」
口早に訳を話す。恥ずかしい感情があってのことか、それは自ら墓穴を掘っているようにも思えた。
「ほぉん」
「信じてないでしょ!」
俺が適当に流そうとしたところ、陽菜は俺の認識を改めさせるまで諦めない気概を見せた。
「疑ってねえよ」
「ほんと~?」
落ち着いた口調で返すも、俺を信用しきれずにいるようだったので、これ以上は無駄だなとページを捲った。すると、知っている光景が一面に広がった。江ノ島で撮った写真だ。当然のことだが、写真を撮ることに徹していた俺は写っていない。すべては石川陽菜の独壇場だ。
「江ノ島懐かしいよねぇ~」
「ほんとだな。ちょうど一カ月くらい前か」
正確には一カ月も経っていないが、それに近いくらいの時間が経っている。江ノ島観光をキッカケに陽菜と関わるようになったので、江ノ島を回った時の記憶だけでなく、最初に学校で話しかけられた時のことも一緒に思い出された。
カメラロールで見返すのとはまた少し違う。なんというか、感慨深い。ちゃんと写真撮ってたんだな、と思わされる。特別上手いわけじゃないけど。
江ノ島が終わると次は葛西臨海公園に移り変わる。
「これっ……!?」
「覚えてるでしょ?」
突然、俺の顔が現れたので思わず身構えてしまった。
明らかに撮られ慣れていない動揺した表情に並ぶ、キメ顔の陽菜。見るに無惨な公開処刑だ。
俺のスマホには残っていないので、この瞬間まで記憶から抹消されていた。
苦い思い出に頭を痛めていると、陽菜が突然、座卓テーブルを回って隣に座る。そして俺とのツーショットを指さして言った。
「実はこれ、今のところこのアルバムで唯一のツーショットなんだよね」
「え?」
そんなまさか、と思ってページを戻って確かめると陽菜の言う通り、男女問わず、二人だけで撮られている写真は1枚だけだった。
なんで? と無言で問いかけると陽菜は意地悪な笑みを浮かべる。
「にひひひっ、ドッキリ成功! 高瀬くんを驚かせたくて、他の人とのツーショットはあえて避けました」
「いらないから、そのドッキリ」
何の意図があるのかと勘ぐってしまったわ。
「あとさ、こうしてアルバムを作ってて思ったんだけど」
「なんだ?」
「あの時の君には、私がこういう風に見えてたんだって」
「なっ……!?」
絶句してしまう。
陽菜の言葉が何を意味しているのか、それを正確に読み取ることはできない。しかし、なんだか確信突かれたような気がして冷汗をかく。
「どう、私可愛いでしょ?」
陽菜は俺の隣でなんちゃってセクシーポーズを取る。わざとやっているのか、色気は微塵もない。ジャージだし。
「はいはい、可愛い可愛い」
俺はわずかに視線を逸らし、視界の隅で捉えた。目と目が合うことに恐怖したからだ。ついうっかり惚れてしまいそうで怖い。
ともあれ実際、可愛いかった。
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