第10話 友達
夏が訪れると学校全体が浮き立つ。
勿論、夏季休暇がやってくるからだ。
2学期制の我が校は、1学期末テストが九月の下旬に設定されているため、これといった不安もなく夏季休暇に突入することができる。そのため、どいつもこいつも口をあんぐりと開けて、親鳥が餌を持ってきてくれるのを待つ雛鳥状態になっている。かくいう俺もその一人だ。
これと言った予定はないけれど、しばらく学校に来なくていい。それだけで幸福と言える。毎朝布団の上で「休みたいサボりたい行きたくない」と格闘せずに済むし、好きなだけ寝ていられる。そんな至福を噛み締めたくてしょうがない自分がいる。
あと少しで夏休みがやってくるならば、大嫌いな授業とも少しくらい向き合ってやっても構わない。それくらいハッピーなことなのだ。
……などと思いながらも、午前中の授業はすべて寝て過ごしてしまった。どうやら俺にはまともに授業を受けることができないらしい。開始三十分くらいまでは起きていた記憶があるんですけどね。
昼休憩を迎えた俺は、登校途中にコンビニで買っておいた菓子パンを取り出し、スマホ片手にむしゃむしゃと食らう。正直菓子パンには飽きているが、これも節約のためだ。
いつものように掲示板まとめを徘徊しているうちに、食べきってしまう。食べ盛りの男子高校生的にはやや物足りない。
「高瀬っ」
「ん……、浅沼?」
自分の名前に意識よりも先に体が反応し、顔を上げてしまう。
この環境で俺に声をかける奴なんていないせいで、いざその時がくると必要以上に驚いてしまうのだ。最近では石川陽菜が話しかけてきた前例があるけれど、今さっき名前を呼んだのは男の声だった。
誰が俺を? と探しているうちに声の正体は俺の前までやってくる。
その男はまるで友達に話しかけるようなテンションで、良い笑顔をしていた。俺コイツの友達だったっけ? と錯覚させられるほどに。
浅沼大史。石川陽菜に続く、クラスの中心人物だ。
と言っても、身なりは俺と同じであり、違うのは顔と鼻と目と口と身長と性格と学力と運動神経くらいのもので、実質高瀬統也と言っても差し支えない。なわけねえだろぶっ飛ばすぞ俺。
180近くある身長に、笑顔が似合う端正な顔立ち。顔のパーツはくっきりとしていて、やや彫りがある。まごうことなきイケメンだ。
そんなイケメン様が一体なんの御用だろうか?
大史は照れくさそうに右手を後頭部に回し、口を開く。
「急に声かけて悪いな。少し話が聞きたくてよ」
「話?」
「ここだと誰かに聞かれるかもしれないし、歩こうぜ」
親指で廊下を指し、行こうぜと示唆する。
まだ了承してないけど? と内心思いながらも、これと言って断る理由もないし、断るのも怖かったのでこくりと頷き、席を立った。
一緒に教室を出る時、珍しい組み合わせだと教室の視線を集めたが、それも一瞬のことだった。
廊下を歩き出すこと数秒、大史が話し始める。
「お前さ、陽菜と付き合ってんの?」
「え……?」
質問の意味を理解するのに少々時間を弄した。いわゆる愚問だ。故にそれを問われる意味が分からなかった。
「こないだの休みさ、お前らが一緒にいるところを見てさ」
「あ、あぁ……」
いつのことを言っているのか、正確にはわからないが、陽菜のアルバムづくりに付き合った二日間のうちのどちらかの話をしているのはわかる。陽菜が目立つと言うのは理解できるが、自分が見られているという発想はなかった。確かに、一緒にいるところを目の当たりにすれば、そのような疑問が出てくるのも頷ける。
というか、よく俺だってわかりましたね。普通わからなくない? 俺の顔なんて。自分で言ってて悲しくなってきたな。
石川陽菜は皆の人気者、それこそアイドルのようなもの。器量よし、愛嬌よし、性格よし、とどこを取っても非の打ち所がない。そんな彼女が熱愛発覚となれば、クラスの男子が騒然とするのも至極当然だ。場合によっては、他クラスも巻き込んだ大問題に発展するやもしれない。
俺の言い方一つで行く末が決まると思うと、下手なことは言えないな。
「陽菜は色んな奴と仲良くしてるけど、男子と二人きりで遊びに行ったって話は聞いたことねえんだ。だからもしかしてと思って」
廊下を進み、階段が近づくと俺たちは示し合わせるわけでもなく下る道を選んでいた。
「杞憂だ。俺たちはそういう仲じゃない」
「一緒にいたってのは認めるんだな」
「嘘ついてもしょうがないだろ。それに誤魔化す理由も必要もないし」
言い終えたあたりで、大史が階段の途中で足を止めたことに気づいた。わずかに先を進んだ俺は後ろに振り向き、異変を探す。
あえて言葉にするならば、大史はぽかんとしていた。
すぐに我に返った大史は、歩調を合わせるように俺と並ぶ。
「意外だ。高瀬って結構喋るんだな。……ごめん。悪気があったわけじゃない」
「必要がなければ喋ってないのは事実だ。それに、悪い印象を抱かせたとしたなら、そういう立ち振る舞いをしている俺に非がある。直すつもりはないけどな」
「俯瞰的だ。わかってるなら、改めればいいのに」
「総合的に考えると、自分を取り繕ってまで誰かと仲良くする必要がないだけだ」
「変わってるな。陽菜が気に入るのも少しわかる」
「あ?」
「陽菜が周りから好かれてるのはわかるだろ?」
「そりゃ見てればな」
「明るく振る舞い、みんなを楽しませてくれる。そんな陽菜のことがみんな好きだ。でも、陽菜は同じ分だけみんなを好きでいることはできない。だから周りの人間は人より好かれようと顔色を窺うんだ。陽菜はそれに気づいている。だから、高瀬といるのは気が楽なんだろうな」
淡々と語られた内容は、自分の住む世界と違った。想像もしたことがないけれど、何も理解できないわけではない。実際に聞かされて、腑に落ちることがあった。感覚としては講演を聞いて、「なるほどね」とわかった気分になるそれに近い。
本当のところは、アルバムづくりに協力してるだけなんだが。
「石川のことよく見てるんだな。好きなのか?」
「まぁな。正確には好き『だった』」
「なんじゃそりゃ」
思いのほか恋心を隠されることはなかった。しかし、肯定のあとに不自然な過去形が挿入される。
「去年陽菜にコクって、振られたんだわ」
「へ、へぇ……」
突然のカミングアウトに俺の方が動揺してしまう。
告白して振られる。俺なら、その事実は誰かに話すことなく墓まで持っていくが、この男は笑いながら語った。
「今も恋愛的に好きかと言われたら否定はできないけど、そういう気持ちを抱えてるのは彼女に悪いし、好き『だった』ってことにしてんだ」
「あー、そういう……」
失恋話を始めたかと思えば、ちゃんと彼女はいるらしい。いや、まぁこれだけのイケメンに彼女の一人もいない方がおかしいので、むしろ安心した。
「だから別に高瀬が陽菜と付き合っても、俺は祝福するぜ。ま、他の奴らがなんて言うかはわからないけどな」
「しつこいぞ」
「なんだよ、陽菜のこと好きじゃねえのか?」
その問いに、俺は足を止めた。
自分でもよくわからなかったからだ。自分自身が石川陽菜に対してどういった感情を抱いているのか。
可愛いとか、明るいとか、良い奴だとか。ありきたりな表面をなぞったくらいのものなら幾ばくかは出てくる。それだけだ。
「好きか嫌いかで答えるなら好きな方だ」
そう答えてまた歩き出す。大史は逃がさないぞとついてくる。
「ここにきて濁すじゃねえか」
「そういうつもりじゃない」
「だったらなんだよ。陽菜と付き合いたいとは思わないのか?」
「思わない」
「即答かよ」
「仮に俺が石川のことを恋愛的に好きだとしても、石川に俺と付き合うメリットがない。だから考えるまでもないってだけだ」
「は、なんだそれ?」
「石川の思う理想の彼氏にはなれないって話だ」
「はっはっはっ!!」
大史は俺の会話の途中で腹を抱えて大声で笑い出す。ツボったらしく、笑いが止まらず、苦しそうにしていた。
「おまえ、おもしれえな。ははっ」
涙目になりながらも言葉を発する。話し終えた後、俺の肩に手をおいて体勢を整え、笑いを止めようとしていた。
悪気はないのだろうが、少々腹立たしい。
「そんなに面白かったか?」
「悪い悪い。馬鹿にしたわけじゃないから」
笑いがおさまった大史は、誤解だと言葉を紡ぐ。
馬鹿にされてんだわ。
「恋人関係ってのはギブ&テイクの関係じゃねえよ。そんな難しく捉えんなって」
「そもそも考えてないから、難しいも簡単もないけどな」
「ま、お前がそういうならそれでいいか」
一人納得した大史は、満足げに俺を見てうんうんと頷く。
「それと、良かったら俺と友達になってくれよ。高瀬とは仲良くなれそうだ」
「え?」
高校生活が始まって約1年半、初めて友達ができた。
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