第9話 間接キス
「ねぇ、どれにする?」
暖簾の代わりに吊るされているキッチンカーのメニュー表を横目に問いかける。
海浜公園を離れたあと、俺たちはかき氷等を取り扱っているキッチンカーのちょっとした行列に並んでいた。
陽菜が指をさしたメニュー表には色鮮やかな商品と応じた値段が載せられている。フルーツごろごろのかき氷とか、カラフルなソフトクリームとか、清涼感漂う夏にぴったりなものが稼ぎ時だと言わんばかりに高額で。
一般的に1000円弱程度を高額と呼ぶかどうかはさておき、俺基準で言うと高い。かなり高い。じゃあその金で何を買うんだと言われたら、これと言った何かを提示できるわけじゃないが高い。日常的にそんな高くないものを小分けして買い、消費していく。今ここで1000円を消費すると、それができなくなる。自分の日常を失う、という意味で高いと言っているのだろう。
「た、高くないか……?」
衝撃の値段に動揺を隠せない。
一番安くても500円はする。いわゆるお祭り価格。ここでしかない体験だとばかりにお金を要求する。勿論、彼らも慈善事業でやっているわけじゃないし、良い感じに儲けを出さなければならないのはわかる。高いからと言って安くしろとは言わない。それで屋台がなくなってしまっては元も子もないのだから。単にお金を持たない者が「あ、じゃあ僕はそこの自販機で……」と逃げてしまうだけだ。俺のように逃げない客だけを相手にすればいい。実際それでビジネスは成功しているんだから。
「金額は気にしないで、私の奢りだから」
陽菜はさぁさぁ遠慮なさるな、と両手をひらひら踊らせて俺の視線をメニューへ誘導する。見た目は良いし、美味しそうなのは事実だけどね。無料で食べられると言うのなら、ぜひ食べたい。
「奢ってもらわなくてもいいんだけど。というか奢るって何? もしかしてお金ないと思われてます?」
「そうじゃないって。アルバム作るの付き合ってもらってるわけだし、これくらいのお礼はしてもらわないと高瀬くんだって割に合わないでしょ」
「なるほど、そういうことか。……でも、俺は対価を求めてやってるわけじゃないし」
要求に対して陽菜から何かしらの見返りを期待して協力しているわけではない。こうして出かけることはそれなりに楽しいし、そのきっかけをもらったと思えば、十分な対価を得ているとも言える。だからお礼される理由なんて俺にはないのだ。そんなこと恥ずかしくて言えないけど。
しかし、俺の中では納得できていることも、陽菜が同じように解釈できるとは限らない。その証拠に、彼女は俺の言葉に難色を示していた。
「じゃあ、何もいらないってこと?」
「まぁ……」
「っ、すぅぅ……」
陽菜はたまらず何かを言いあぐねて小さく息を吐いた。
互いに見合い、沈黙の時間が続く。
俺には石川陽菜が何を考えているのかわからなかったし、彼女もまた高瀬統也が何を考えていたかわからなかったと思う。
陽菜は額に手を当て、難しい顔で言いたくなさげにゆっくり言葉を紡ぐ。
「こんなことを言うのもなんだけどさ、お礼を期待されないって困るんだよね」
「と言いますと?」
「頼み事をする身としては、してもらったことに対してそれ相応のお返しがしたくてさ。こっちだって上手いこと利用してやる、って思ってるわけじゃないからね。いや、利用はしてるんだけど」
「つまり、扱き使ってやるためにも対価は受け取れと?」
「曲解しないで!」
「じゃあなんと」
「要はさ、ある程度の報酬を期待してほしいわけ。下心を見せてほしいの。そうじゃないと引き受けてくれた相手の気持ちがわからないんだよ。何考えてるかわからない人に頼るのって怖いでしょ? 捕らぬ狸のなんとやらじゃないけどさ、自分に返ってくる利益を概算してほしいの」
「でもそれ、返ってこなかったとき悲しくないか? ……ああ、だから世の中は、人に協力を頼むとき、最初に条件を提示してから物事を進めるんだろうな。勉強になるわ」
陽菜の主張が理解できないわけではない。むしろ言われて、腑に落ちることがあった。よくわかったのは、対人関係が如何に面倒くさいかということだ。道理で日ごろから無意識に人とのコミュニケーションを避けてしまっていると思った。
「なら私が最初に条件を決めるべきだったってこと?」
「……と問われるとそうでもない。多分、条件を提示されたら断ってたと思う」
「どうして?」
「してほしいことがないから」
「そんなことある? ……あるかも」
一人疑問に思い、すぐに自分の中で答えを出していた。
それを見ていると、俺も俺で無駄に意地を張っているだけのように思えてきた。
「悪かった。素直にお礼される。じゃあ一番高い奴で」
「急に一体どういう風の吹き回しっ!?」
「それで石川の気が済むなら、と思いまして」
「ええっ!? それ私の器量が図られてないっ? 『俺は別にこれでいいけど、お前はこれで済ませるつもり?』って言いたいの?」
「曲解すんな。勝手な思い込みだ。あの容器いっぱいにマンゴーが敷き詰められているかき氷で頼む」
「うそっ、それ私も食べたい。でも高い! 一口分けて!」
「いいけど……」
奢る奢ると簡単に言う割に、ちゃんと高いという認識は持ち合わせていたらしい。そんな中、一番高い品を購入させるのは少し気が引けるな。
「やった! じゃあ私はソフトクリームで……」
陽菜はちゃっかり一番安い品をチョイスする。
などと商品を選んでいるうちに順番が回ってきて、注文からものの数分も経たずして提供された。
このまま立って食べるわけにもいかず、座れる木陰に陣を取る。近くには、同じようにキッチンカーで商品を購入した人たちが見える。飲食用のテーブルやベンチも存在してはいるが、そんなものはとっくにオーバーフローを起こしていた。
段差に腰を掛けて落ち着くと手に持っているかき氷の重量感に意識が向く。容器から溢れんばかりのかき氷とマンゴー。てんこ盛りもてんこ盛り。大ボリュームにこれで1000円はぼったくりだろ、とは言えない。納得のスケールである。
対してついてきたスプーンはあまりに心許ない。これでちまちま食べていたら、完食するのに一体どれだけの時間が掛かるのだろうか。そんな心配さえしてきた。
「美味しいっ~~!」
ソフトクリームをパクリと口にし、甘美だと唸る陽菜。どこから食べてやろうかとスプーンの矛先に悩んでいた俺は、その勢いの良さに倣って最初の一口を口に運んだ。
ひんやりとしたマンゴーにサクサクと味のついた氷。無粋なことを言うと、味の予想はできていたのでこれと言った驚きはなかった。
俺の舌が味覚で脳に訴え、脳が「これ美味いよ」と言ってくる。味の予想ができているのと、美味い不味いは関係なかった。
「うまいな……」
口の中から消えていく氷を補充するように次の一口を食らう。かき氷部分は冷たすぎるくらいで、かき込めばキーンと頭痛が走る。やらない方がいいと頭ではわかっているけれど、やらずにはいられない。やったあとにやっぱりやらなければよかった、と思うことは思うが、後悔しない。二郎系も同じだ。行くたびに「もう行かない!」と強く誓うが、気づいたら足を運んでいる。でも後悔はしない。自分で決めたことだから。カラオケオールも同じ。1時回ったあたりで終電ないから帰れないんだよな~~と猛烈に帰りたくなるけど、次もまた来てる。後悔はしてない。どう見ても後悔してますけど!?
くだらない想像をしていると、俺の視界に陽菜の顔が割り込む。
「美味しいっ? 私にもちょっと頂戴っ」
「構わないけど……スプーン二つ貰えばよかったな」
俺は一つしかないスプーンを見てぼやいた。
事前に一口欲しいという話をしておきながら、その対策をしていなかった。今からキッチンカーに戻って店員にその旨を伝えれば、快く承諾してもらえそうだが、店の前には変わらず長蛇の列ができている。割って要求するのは気が引けてしまう。
「私、気にしないよ」
こちらの意図を汲み取ったか、陽菜は全然平気だとあっけらかんと答える。そう言われると俺が気にしすぎているだけか、という気持ちになる。気にしすぎじゃないと思うんだけどな。まぁ、ええか。
スプーンごとかき氷の容器を陽菜に差し出す。
「ボナペティ(召し上がれ)」
「なぜに突然のフランス語?」
陽菜は怪訝そうにしながらもかき氷を受け取る。
「代わりにこれ持ってて」
「ほい」
両手が塞がってしまうと入れ替わりでソフトクリームを渡される。
ミルク色をしたうずまきは頭部からがぶりと噛みつかれ、顔を分けてあげたアソパソマソのようになっている。なんならそれよりも被害は甚大だ。なんてことのない傾斜だが、これがどのようにしてできたかを想像する行為は不謹慎に思えてくる。
「食べてもいいからね」
「食べるかっ!」
じっとソフトクリームを見ていた俺を気遣ってのことか、陽菜が許可を出す。食べ物を食べる。その行為にやましいことは何もないというのに、俺は反射的にありえないと否定していた。
「え~美味しいのに~」
ソフトクリームを断ったことに対し、食べないなんて勿体ないな~と言いたげにしながら、俺が使用したスプーンで平然とかき氷を食べていた。なんなら一口どころではなく、パクパクと食べ進める始末。
氷ごとマンゴーを掬ったスプーンを運び、ぱくりと閉じた口からスプーンだけをぬるりと抜き取る。なんてことのない食事シーンだというのに、何故だか唇が艶やかに、全体を通して色っぽく見える。
間接キスとか気にならない感じですか?
「あ、もしかして、間接キス気にしてるとか?」
「べ、べべべ別にっ!? 気にしてないけど??」
ソフトクリームを口にしようとしない俺に、陽菜は予測を立てる。んなわけないやろ、と一蹴してやろうと内心思っていたが、表層の俺は道化を演じてしまった。ほんとだよ? この程度で動揺しませんからね?
「あはははっ、気にしてんじゃん。うける~」
「あんだゴラ? このソフトクリーム、端から端までべろべろ舐め回してやろうか?」
「できないくせによく言うよ」
俺の精一杯の強がりを陽菜は軽く受け止め、はははと笑った。こぉれ、舐められているのは私だったようですね。
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