第5話  屋上の密会


 あの日以来、石川陽菜と言葉を交わしていない。

 実際に何日経っているのか、指を折ればすぐにわかることだが、そうするとなんだか負けた気がして深く考えないようにしていた。


 いつも通りの日常、学校生活を送る。

 誰と過ごすわけでもない一人の時間。傍から見れば、きっと俺はガリ勉だ。授業中、一切の悪ふざけはなく物静かにしている。勘違いしてほしくないが、授業はほとんど聞いていないので学業の方はイマイチだ。


 以前よりも石川陽菜のことを見ることが増えた気がする。これまでは俺にとって彼女はクラスの中心人物で、目立つ相手だった。それが少し出かけたくらいで気にかけてしまう。恋をしているとか、そんな馬鹿げた話とは違う。単に、俺が他に知り合いと呼べる相手がいないだけだ。

 その点、陽菜は友達が多く、いつ何時でも彼女は誰かに囲まれている。もしかしたら学校でまた話すことがあるのかもしれないと勝手に想像したこともあった。どうやらその線はないらしい。いや、特別話したいわけじゃない。今後も写真を撮ると協力した都合、この先の予定を決められたら俺のスケジューリングが楽になるなぁ~と考えているだけだ。俺に予定が入ることなんてないので、基本的には常識を逸したタイミングでなければ応えられてしまうのだが。


 これと言ってすることがない俺は、次の授業に対する準備として男子トイレへ向かうことにした。

 席を立ち、教室内を横目に前の扉から廊下へ出る。左右どちらの方向にもトイレは備え付けられている。慣れた足取りで近い方のトイレを選ぶ。さすると自然に体は右に流れていき、後方の扉から今一度教室内を流し見してしまう。その方向で、陽菜を含んだグループが楽しげに話していることを知っていたからだ。


「……っ」


 通り過ぎる刹那、ふと陽菜の視線がこちらに向けられる。目が合ったような気がした。まさかそんなはずはないと自分に言い聞かせ、自分の姿が死角に隠れると同時に水浴びを終えた子犬のようにぶるぶると首を振る。そして逃げ込むように男子トイレへ向かった。


 軽く用を足し、トイレ前の水面台で手を洗う。

 授業が始まるまで時間はあまり残されていない。教師が時間ちょうどに授業を始める保証はないけれど、悠長にしている理由もなかった。


「ん?」


 さっさと戻ってしまおうと踵を返したところで、誰かを待っている様子の石川陽菜が目についた。人の目につきづらい柱の裏にその身を預けている。さっきまで教室にいたような? なぜそんな人の目につかないところに? など様々な疑問は生まれたけれど、それを解消するつもりにはなれなかった。

 勝手に連れション相手を待っているのだろうと決めつけ、教室へ向かう。


「ちょっ、ちょっ、ちょっ!!」


 彼女の正面を通り過ぎると同時に、知っているテンションで引き留められる。どーも、と会釈をしている感じではなく、明らかに用がありそうに見える。とは言え、授業前だし手短な用事か?


「なにか用? もうすぐ授業始まるけど」

「それもそうだね。じゃっ、授業サボっちゃおっか」

「はい?」




       ×××




「ん~、風が気持ちいいね」


 両腕を上げて、柔軟するように体を伸ばす。

 吹き付ける風はややうるさく、涼しかった。代わりに太陽がいつもより近くにあり、直射日光が痛い。

 陽菜に言われるがまま連れていかれた先は屋上だった。

 よくある話だが、本校も屋上は開放されていない。ガッチガッチにフェンスで囲まれて事故の危険性は限りなくゼロだ。理由としては教師の目が行き届きづらいからなのだろう。

 にも拘わらず、屋上の扉を施錠する南京錠の鍵が陽菜の手に握られている。


「本当に授業をサボってしまった」


 すでに授業開始の鐘は鳴っている。保健室へ行ったことにしてあるらしく、不在であることは気にしなくていいらしい。ちなみにこれは陽菜の話で、俺についてはただサボタージュしているだけだ。上手いこと誤魔化してくれる友達も俺にはいない。


「別にいいじゃん。高瀬くん、どうせ授業真面目に聞いてないし」

「え?」

「後ろから見えてるよ。アホ面してたり、眠気と戦ってるの」

「そうなの?」


 言及されたことに関しては自覚があるので、陽菜のそれはあてずっぽうでなく見たことあるものの話をしていることになる。まさか、見られていたとは。


「私の席はクラス中を見通せるからね」


 ふふんと自慢げに胸を張る。ただでさえ豊かな胸が強調され、目の行き場に困る。謎の引力が発生し、吸い寄せる力に抗うも視線だけは逆らうことができなかった。

 それはさておき、陽菜の席は教室の真後ろであり、その気になればすべて見渡せるのは事実だ。だからと言って俺のことは見なくてもええじゃろうがい。


「高瀬くん、たまに私のこと見てるでしょ?」

「え、あ、そ、それは……」


 バレてたか……。

 俺の慌てぶりを受けてか、したり顔から意地悪気な表情に変遷していく。


「ごめんね~。本当は声掛けたかったんだけど、油断するとすぐに捕まるから中々話に行けなくてね。ぶったぎるわけにもいかないし」


 失態を追求するのではなく、両手を合わせた陽菜は申し訳なさそうに謝り出した。「この通りっ」と合わせた手を上下にすりすりされている。一瞬見せた意地悪な顔はなんだったんだ。


「っと言うわけで、授業中ならいけるかなと思って!」


 屋上へ連れてこられたのはそういうことだったのか。


「そこまでしなくても……」

「そんなことないよ! ていうか、高瀬くんの方から話しかけてくれてもいいじゃん!」

「それは流石に。俺が急に話しかけたら教室中が騒然とするし」

「確かにっ。でも、それはそれで面白そう」

「そりゃ面白いだろうな。俺以外は」


 突然クラスの人気者に話しかける偏屈者。これから教室で過ごしづらくなるのが容易に想像できてしまう。よし、教室で話しかけるのは絶対やめておこう。


「実際、連絡ならスマホですればいいだろ。わざわざ学校で話す必要はないんじゃないか?」

「思ったよりドライだね~。てっきり高瀬くんが私と話したいのかな、って思ってたよ」

「なわけ」


 一応、万が一のときのために話す内容、トークデッキを用意していなかったわけではないですけどね?


「うそうそ。話したかったのは私の方だって」

「え?」


 急な発言にドキリとしてしまう。そこに深い意味なんてないはずなのに、それがわからない俺ではないはずなのに。


「ほら、まだ面と向かってお礼言ってなかったし。ありがとね」

「礼を言われるほど大したことをしたつもりはないんだけどな」

「いやいや、休みの日を丸一日使ってくれたんだし、大したことだよ」

「別に、他に何かするわけでもないし」

「そっか。それじゃあ、今度も気兼ねなく誘ってもいいってこと?」

「冠婚葬祭の予定と被らなければ、概ね問題ない」

「それ、自分で言ってて悲しくならない?」

「ならないな。それが俺にとってのノーマルだ」

「高瀬くんのタフネス、侮れないね」


 そこらへんの価値観に多少のずれがあるらしく、俺にとっての普通に陽菜は感心していた。

 うんうんと小難しい顔をしている彼女を眺めていたところ、とあることを思い出す。


「忘れてた。これを渡そうと思ってたんだ」


 シャツの胸ポケットにしまっていた封筒を取り出して差し出した。

 真っ白な手紙封筒。陽菜は「?」マークを頭上に浮かべながらそれを受け取る。どうやらピンと来ていないようだった。


「ラブレター?」

「そう思うなら開けて確かめればいい」

「いいねぇ。高瀬くんの会話にやり取りを混ぜてくるところ、私好きだよ」


 陽菜が封筒の中身に辿り着くまで時間はそうかからない。閉じられておらず、難なく中を確かめることができる。

 たった1枚。

 その端を摘まんだときは眉間にしわを寄せていた。

 やがて見覚えのある景色にハッとする。


「これって……あの時、撮ってたんだ。撮ってってお願いしたっけ?」


 完全に中身を取り出した陽菜は、自身が写された1枚の写真を見てはにかむ。

 江ノ島の帰り、夕暮れの江ノ島大橋で撮った1枚だ。ちょうどフィルムが切れたので、昨日現像とプリントをしてもらった。


「されてない。俺が撮りたかったんだ」

「ふぅん。良い写真だね。流石私のカメラマンだ」


 写真を矯めつ眇めつ、品定めするように眺めては満足げに言う。


「被写体がいいんだろ。太陽みたいに眩しいからな」

「なにそれ、高瀬くんには私がそう見えてるってこと?」

「聞き直すな」

「そっか。それで、これは私にくれるってこと? それとも単に自分の技量を見せびらかしたかっただけ?」

「アルバムの1枚に加えてもらえれば幸いだ。それに、俺が女子の写真なんて持ってたら誤解されるし」

「うれしいっ。せっかくだし表紙にしちゃおうかな」


 欲しかった玩具をもらった子どものように、写真をあちこちにかざし、その出来栄えを楽しんでいる。


「それは気が早すぎるだろ」

「そうだよね。まだまだ撮るつもりだし」


 そう言って笑った直後、陽菜は何か引っかかると顔をしかめる。


「あれ? なんでこれ持ってたの?」

「いつでも渡せるように……?」


 タイミングを見計らっていたかと言われるとそうではない。もし、その時が来たら差し支えなく渡せるように携帯していたと言うのが正しい。冷静に考えると女子の写真を持ち歩く気持ち悪い奴だった。


「もし私が話しかけなかったらどうするつもりだったの?」

「帰り際に下駄箱に入れてたかと思う」

「直接渡してよ! 中身を見ればわかるけど、何も書いてない封筒が下駄箱に入ってたら怖いじゃん!」

「これからは一目でわかるな」

「そういう話かな!?」

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