第4話 きっかけ
それから普通の江ノ島観光が続いた。
変わらず撮影することは頼まれたが、フィルムカメラを使うことは強要されなかった。俺は自分のために写真を一枚も撮らなかった。それはフィルムカメラだけでなく、スマホも含めての話だ。
無料開放されている庭園を歩き、シーキャンドルは予算の都合で断念。実はたこせんべいと展望台に上るための料金に大差はなかったが、高校生にそのどちらも払うのは難しい。その分、庭園内でたくさん写真を撮った。庭園は江ノ島観が一気に薄れてしまうが、モーマンタイとのことだそうだ。
その後、飲食店が多く並ぶエリアを通過して海近くの岩場にて撮影を重ねた。すぐ近くに観光スポットである江ノ島岩屋があるのだが、シーキャンドルの倍額に直前でひよって通路を切り返した。
そしてケチりにケチり続けた果て、しらす丼を食べようと少し早い晩飯を取ることにした。陽菜曰く、ここにきて値段で食べるものを決めてしまわないために我慢してきたとのこと。
料金はいとも容易く千円を超える。観光地価格であるため、仕方がないとはいえ、一食五百円しない世界、学食で日々生きている我々からすればとんでもない値段だ。もっと言えば、菓子パンで済ませている俺にとっては大打撃と言える。こういう時のために日々身を削って、食費として渡されている五百円をちょろまかしているのだが。
釜揚げと生で悩んだ末、お互いに生しらす丼を選んだ。
料理が来るまでの時間、通された座敷の席でくつろぐ。
「楽しかったね~」
「ああ。前に家族と来たのを思い出した。思ったより覚えているもんだ」
「私も一年前に友達と来たよ。でも、あの時は一緒に回ることが目的で、あんまり見れてなかったかも。初めての発見が多かった」
「俺と一緒ならそうなるわな」
「ちょっとっ、何勝手に落ち込んでるの!? そういう意味で言ったんじゃないから。前は気遣うのに一生懸命だったってだけ。今回は二回目だったから余裕あったし」
「あ、そういうこと」
実際、俺のことなんて空気みたいに思われてもいいんですけどね。フィルムカメラ目的で呼ばれたのに、その役目すら果たさないし。
不意にそのことで聞きたかったことが甦る。
「そういえば、どうして俺を誘ったんだ? フィルムカメラで撮ってもらうって言っても別に俺じゃなくてよかっただろ」
「ん~っとね。それを説明すると長くなるんだけど。高瀬くんじゃなくてもよかったし、高瀬くんじゃないとダメだったんだよね」
なんともハッキリしない。
「と言いますと?」
「その話はあとに繋がってくるからさておき。ちょうど一カ月くらい前にね、リビングにおいてあったアルバムを見たの。そのアルバムは何冊かあって、私が生まれてから大きくなるまでの写真が入れられてたの。大体、小学校高学年くらいまでかな。でもさ、その先は何も残ってないんだ。段々両親に写真を撮られるのが恥ずかしくなって、やめてってお願いしたのを覚えてる。それからパパもママも写真を撮らなくなった。最初の頃は実感してたんだけど、気づいたらそうなっていることもそうなったキッカケも忘れてた。最近になって家でアルバムを見つけるまでは」
それは少しわかる。俺も小さい頃の写真がアルバムの中に残されている。今となっては両親が俺のことをほとんど撮らなくなったが、歳が近い妹のことは変わらず写真に残している。俺が写真を撮るようになったのも、その影響を受けている。
写真を見返すと、たくさんの記憶が甦ってくる。その時の嬉しかったことや苦しかったこと、鮮明に刻まれていたけど忘れていた記憶を思い出せるのだ。中には物心つく前のことでまったく身に覚えがないのに情けない姿を晒している写真もあるけど。
「だからさ、今の自分でアルバムを作ってプレゼントしたいんだ。最近はフォトショとかあるけど、せっかくならプリントして一冊の本にしたい。当然、友達と撮った写真も入れるよ。でも、自分だけの写真も入れたいの。友達に頼んだら、友達といるときの顔になっちゃうから。だから、高瀬くんにお願いしたんだよ」
「そういうこと。それなら納得」
「無理にとは言わないけど、もう少し付き合ってよ。カメラは何でもいいから。ごめんね、せっかくと思って気軽にフィルムカメラ使ってよ、なんて言って」
お願いすると同時に気を悪くさせたかもしれないと謝る。
なんというか、断りづらい空気を作り出してくる。元々自分の行動に対して他人に甘えている節があるので、誘われたりお願いされると断りづらい質だが、陽菜の技量も相まって断ろうとは思えなかった。
言い方は悪いが、都合よく利用されていることもわかっている。そんな俺に利益をもたらさない自分本位な願いに付き合ってやる義理はない。
ただその願いはとても美しいものだった。できることなら、胸元にぶらさがるカメラで収めたいくらいだ。実体がないから撮れないけど。
「わかった。手伝う」
「やったっ! ありがと」
「それと撮りたいと思う瞬間があったら、コイツも使う。別にこれを使ってもすごい写真が撮れるわけじゃないんだけど」
「そうだよね。なんか勝手に作品めいたものが撮れると私も思っちゃってた」
へへへっ、と照れくさそうに笑う。
わかる。俺もこのカメラを貰った時はプロカメラマンになろうと思った。一瞬で諦めたけどな!
「お待たせしました。生しらす丼になります」
そうこうしているうちにウェイトレスが注文の品を運んでくる。ささっと配膳を終えてしまい、伝票を残すと「ごゆっくり~」と足早に立ち去っていく。
陽菜が俺を見て「食べちゃってもいい」と目で訴えてきた。
「じゃあ食べるか。いただきます、と」
「いただきまーす」
お腹が空いていたのか、二人で丼にがっつく。そして直後に「あっ」と声を上げ、俺に写真を撮ってと頼むのであった。
さっきから女子力が食欲に負けてらっしゃられる。陽菜曰く、友達といる時は友達がスマホを構えるから忘れないのだそうが、俺はそう言うのを一切しないので自然に忘れてしまうとのこと。
×××
江ノ島を離脱する頃には日が暮れ始めていた。
夕日が空を橙色に染め上げ、夕暮れを作り出している。空に浮かぶ白い雲はやや陰り、青空といる時よりも気持ち元気がない。それと比べ、陽菜の元気は底がなかった。いつも俺の先を歩き、早く来てよと手招きする。橋を渡り切ろうとするこの瞬間も、彼女は海に寄っていきたいからと俺を急かすように前を歩いた。
日中被っていた帽子は、疲れたとリュックに引っかけられている。
「こっちこっち! 海こっちだよ~!」
夕日に照らされる彼女は風景に溶け込んでいて、一つの作品のようにも見えた。
この場にいるのは彼女だけじゃない。一般の観光客だってチラホラいる。それなのに、石川陽菜は輝きを失わず、俺の世界で誰よりも光って見えた。
この瞬間を、今日という日を忘れるのはあまりに惜しい。
そう思ったときにはカメラを手にしていた。
すでにフィルムチャージは済んでいる。フラッシュの用意をしてシャッターを押すだけだ。
ファインダーを覗き、撮りたい光景に照準を定める。緊張も何もない。被写体は撮られるとさえ思っていない。ただその瞬間を切り取りたい。その思いでシャッターボタンを押した。
フィルムカメラは撮った写真をすぐに確認することはできない。それでいい。現像し、プリントアウトした写真を見た時にこんなこともあったなぁ、と思い出すことができれば。
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