第3話 二刀流


 半ば強引な形で予定を組まれることになった。

 慣れた手つきで連絡先を交換し、それ以降学校では会話をすることなく過ごし、前日になって集合場所と時間を伝えられた。


 場所は片瀬江ノ島駅。まさかの現地集合だった。とは言え、電車の中で上手に会話できる自信もなかったし、個人的には助かった。陽菜は傍から見ていても気遣いができる人間であるため、もしかしたらそこまで見抜いた結果の現地集合なのかもしれない。


 長いこと電車に揺られて移動し、終点である片瀬江ノ島駅に到着する。土日かつ夏ということで、観光客や海水浴目当ての人がたくさんいた。他に何もないと言うと語弊があるけれど、終点まで乗ってくる人のほとんどは江ノ島周辺に目的がある。電車に乗っている時点で、どれだけ混雑なのか予想はできていた。


 竜宮城を想起させる駅舎から出るまでの間に、連絡用のアプリで陽菜に『着いた』とだけ送る。既読は俺が陽の下に晒されるまでの間についていた。


「おっはよ~! こっちこっち!」


 人の目をまるで気にしない元気に呼ぶ声がする。

 自分の名前を呼ばれていないのに、それが誰のものなのか、誰を呼んでいるのものなのか、すぐにわかってしまう。これは特段変なことではない。きっと俺のクラスメイトは簡単に陽菜の声を聞き分けることができる。それくらいクラスは陽菜を中心に回っている。


 声の持ち主は黒いキャップを被り、この位置からでは顔がよく見えなかった。見知ったシルエット、それとなく感じる雰囲気から石川陽菜であることを判断する。


「時間ピッタリだね!」


 こちらから向かうつもりで歩いていたが、小走りでやってくる陽菜の方が距離を詰めるのが早く、気づけば目の前にいた。この距離ならばキャップに隠れていた顔も良く見える。間違いない、石川陽菜だ。


「偶然ちょうどいい時間の電車があったから。むしろ石川は同じ電車に乗ってなかったんだな」


 数刻前、『着いちゃったから周辺ぶらぶらしてるね~』というメッセージが送られてきた。10分ほど前だった気がする。


「言い出しっぺの私が遅れたら嫌じゃん」

「電車にアクシデントは付き物だし、少しくらい遅れても文句はないけど」

「だーめっ! それに高瀬くんなら帰っちゃうか心配だし」


 両手をクロスさせ、大きなバツを作った自分のポリシーに反すると主張する。


「連絡があるならある程度は待つって。……でも、そう見えるのは仕方がないかもしれないけど」

「ち、違うよ! 高瀬くんを冷酷な人だなんて考えてないから! ちょっと効率重視? というか、コスパよく動くタイプかな、って思っただけだから」

「残念。採算は度外視。コストパフォーマンスを気にして生きていたら、友達もたくさん作るし、次々に予定を入れて、きっと今日だって断っていたよ。……いや、石川さんからの誘いを断るのはむしろコスパが悪いな」

「え? えっ? えっっ? なんか難しいこと言ってるね」


 あっちゃ~ついうっかり早口で語ってしまった。はずいはずい。

 陽菜は眉間を寄せて首を傾げている。それ以上何かを考えるのは嫌だと、思考を放棄しているみたいだ。


「ごめん。石川さんが思っているのとは逆、無駄ばかりの人生を送っているってこと」

「あ~……でも、その高瀬くんが言う無駄って奴は高瀬くんにとって無駄じゃないんでしょ?」


 しばし考えると行間を読み取ってやったと言わんばかりに、ふふんと鼻を鳴らした。まったく以って正解だが、素直に認めるのはなんだか癪だった。


「正解……」

「やった!」


 勝手に問題を作り、勝手に正解して喜ぶ。本来なくてもいいコミュニケーションの一つだ。しかし、そのおかげか場が温まっている。これを自然にやっているのかどうか、見極める術はないが、大したものだ。彼女の周りに人がたくさんいるのも頷ける。


「それじゃ、こんなところで立ち話もなんだし、早速江ノ島行こうよ!」



 と、こんな感じで海岸を眺めながら、江ノ島大橋を渡る。厳密には歩道の方を江ノ島弁天橋と言うらしいが、総じて江ノ島大橋と呼ぶらしい。

 江ノ島に踏み込んでからは人口密度が一気に高まり、牛歩のような速度に落ち着く。それから階段ゾーンに突入し、人と人との距離が開き出した。


 安くも高くも見える江ノ島エスカレーター、通称エスカーをスルーし、自力で階段を上る。一か所目の参拝コーナーを通過したあたり、そこで俺はその日カメラを始めて構えた。撮ることはなかったけれど。


 しばらく階段を上り、標識の指示通りに進むと露店が見えてくる。シーキャンドル、そしてその周辺の小さな庭園があったはずだ。


 すぐ近くで曲芸の類を披露している大道芸人がいたりとまた人が増えている。大道芸人のパフォーマンスに目を奪われていると、陽菜の背中を見失ったことに気づく。一緒に来ているというだけで、はぐれたからなんだという話ではあるが、いなくなったらそれはそれで不安になる。


 彼女の今日の恰好を思い出しながら、周囲を見回す。意外にもすぐに見つかった。どうやらたこせんべいの列に並んでいるようだ。会計後すぐに合流できるように近くまで向かうと、待機中の陽菜が俺に向かって「こっちだよ~」と手を振ってきた。


 なんじゃそりゃ。まるでデートみたいじゃないか。


 物の数秒で会計を終えた陽菜は彼女の顔よりも二倍以上あるたこせんべいを持ってこちらへやってくる。


「じゃじゃーん! 大きいでしょっ!」


 そう言って自分の顔の隣にたこせんべいを並べ、大きさを強調する。彼女が小顔であることを考慮してもたこせんべいは大迫力だ。

 お腹が空いていたのか、たこせんべいの大きさの共有を終えると陽菜は「はむっ」と齧り付いた。パリッと砕け、散ったカスは風に乗ってどこかへ運ばれてしまう。「美味しい~」と感動するのも束の間、唐突に顔色を変える。


「はっ!? 写真撮るの忘れてた! 高瀬くん撮って撮って!」

「撮るって、たこせんべいを?」

「食べてる私をだよ!!」

「わかりました」


 了承すると陽菜は撮影しやすいようにワンシーンを演出し、シャッターが切られるのをじっと待つ。馴染みはないが、イマドキの若いもんはみんなこんな感じらしい。

 そういえば、なぜ石川さんと江ノ島に来ているのか。その理由が明白ではなかった。あれよあれよと話を進められ、当日に至る。俺に要求してきたのは、カメラを持ってきてほしいとのことだけ。

 思うにカメラマンが欲しかったのだろう。そんなの友達に頼めばいいのに。


 俺はポケットからスマホを取り出し、簡単操作でカメラ機能を立ち上げる。ワンプッシュで撮影完了。これ以上に楽なカメラはない。


「あとで送っておきます」

「ちょっ、ちょっ、ちょっ!!」


 撮影を終えてスマホをポケットにしまっていると、血相を変えた陽菜が俺との距離を詰めてくる。


「なんですか?」

「カメラ!」

「撮りましたけど」

「ちがーうっ! なんでスマホのカメラ!? そっちは使わないの!?」


 ややオーバー気味に俺の首から下がっているカメラを指し、その存在を強調する。


「いや、スマホのカメラの方がキレイに映るし。美白効果だってあるはずですけど」

「なんか思ってたのと違う~!」


 想定外の事態らしく、陽菜は初めて見る狼狽っぷりだった。美人である彼女の化けの皮が剥がれる瞬間を見せられているみたいだ。慌てていても可愛いものは可愛いのだけど。


「せっかくだしフィルムカメラで撮ってよ!」

「嫌です」

「どうして!?」

「これは俺が撮りたいものを撮るものなので」

「どゆこと? フィルム代がかかるから? お金なら出すよ?」

「お金の問題じゃないです」

「ならどうして?」


 互いが一切のジョークなしで話していると察したのか、陽菜は落ち着きを取り戻して再度問い直した。


「なんていうか、俺は自分が見た世界の中で残したいと感じたものだけを撮りたいんです。人間が生きる時間って限られているけど、実際には無限に近い一瞬が存在していて、写真はその一瞬を切り取ることができる。だから俺はこのカメラで残したい一瞬を選んでるんです」

「なにそれ、かっこよ。中二病じゃん」

「馬鹿にしてくれてもかまわない」

「何言ってんの。馬鹿になんてしないよ。言ったじゃん、『かっこよ』って」


 陽菜は俺に面と向かって微笑みながら答えた。それは嘘まじりけのないものであると深読みせずともわかる彼女の本心だ。それが俺の心に触れた気がして、胸がきゅっとする。ただ、それはいけないことだと平生であることを自分に強いた。


「そうか」

「わかった。じゃあ、私が高瀬くんに撮らせたいって思える被写体になればいいってことだね!」


 ふんすと鼻から息を吐いて気合を入れている。本当にわかっているのか、甚だ疑問だ。


「とりあえずたこせんべい一緒に食べよう!」


 そういってたこせんべいを真っ二つに割るとやや大きいサイズの方を渡してきた。


「お金はいいから受け取って」

「半分出すけど」


 受け取る前にお金を用意するため財布を取り出そうとしていると、陽菜は本気でいらないと首を振った。


「もう飽きてきたんだよね」


 残飯処理かい! いや、その量を一人で食べるのは大変だと思うけどね。

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