第2話 カメラ少年
いつから自分という存在が普通から乖離していったのか。そのきっかけを詳しく覚えているわけではない。
幼少の頃から中学生までは友達がいて、高校生から一人で過ごすことが多くなった。入学と同時に知り合ったクラスメイトと最初の方は仲良くしていた記憶はあるのだが、気づけば完全に一人だ。
それが普通ではないことを把握しているつもりだが、特別日常生活に支障をきたさない。となると改善する必要もなく現状維持が続く。
娯楽の進歩の弊害と呼ぶべきか、現代は一人でも楽しく暮らせる世界だ。それが昨今の少子化問題などに繋がっていると思えば、多少の危機感を覚える。しかし、すっかり腰抜けとしての自分に慣れてしまっているので、本能的に人間という種族がこの先も繁栄を続けられるかどうかに興味はない。
究極的な話、今の自分を作ったのは世界だ。俺個人が悪い、甘えている点も加味したとしても世界と俺、責任の割合は9:1と言ったところだろう。まずは差分の8を世界さんに補填してもらうところから話は始まる。だから補填されるまでは、今の自分を変えるつもりも変わるつもりもない。補填されることなんてありえないんだけど。
昼休憩中の教室、俺は一人で自分の席に座っている。
誰と話すわけでもない。登校途中にコンビニで買っておいた菓子パンをかじりつつ、スマホを触る。退屈を紛らわせようと掲示板まとめを覗き、面白いスレッドを求めて徘徊していた。
淡々と食事を進めていると、菓子パンはあっという間に最後の一欠片になる。いつもの一口より少し大きいその欠片を口に詰め込み、ある程度の咀嚼を終えて飲み込んだ。
スマホの画面を隠すよう机に置き、食べかすをティッシュで集める。あとでゴミ箱に捨てようと食べかすを包んだティッシュをポケットにしまう。
黒板の上に置かれている時計が言うには、まだ昼休憩は30分以上残っている。引き続きスマホで暇潰しをしてもよかったが、これと言って気になることもなかった。
机の横にさげている通学用の鞄からフィルムカメラを取り出す。
Yashica MF‐2 super。レトロ感はあるが、物自体は復刻販売されたもので新しい。高校の入学祝いに両親が買ってくれたフィルムカメラだ。
写真はスマホで撮るのが主流の今の時代に、俺は仕事でもなくフィルムカメラを持ち歩いている。仕事でなければ、プライベートでカメラや写真を撮ることに情熱を持っているわけでもない。だからカメラにこだわりはないし、写真の撮り方に特別工夫があるわけでもない。
なら何に拘っているのか。それに対する回答は持ち合わせている。
俺は自分の眼が見た世界を残したいのだ。選りすぐりの忘れたくない一瞬を、撮りたい。
本当はデジタルカメラでも、スマホのカメラでもいい。フィルムカメラを選んだのは、単なる気まぐれだ。デジタルでは勝手に修正してしまう細かなシミや汚れをありのまま映せる、などの違いは後付けの理由にしかならない。本当に意味はないのだ。
フィルムをチャージせず、ファインダーを覗く。
カメラを通して見える世界は小さい。いつも以上に細部が見えない。撮った後に現像し、プリントしたときに初めて気づくこともある。それも楽しみの一つだと思っている。単に俺が素人で、玄人にはそんな感覚ないのかもしれないけれど。
目立たない動きで、自分の周りをカメラで見回す。
前の席の椅子に記された製造番号や黒板消しが落とし切れなかったチョークの汚れ、掲示板に貼られたおしらせの数々。
席替えが行われれば、この位置からこの角度でそれらを見ることはなくなる。そういった意味では、二度とない景色なのでシャッターを切る価値があるのかもしれない。プリントしたその写真を見直したとき、「どうして撮った?」となることは明白なので決して撮りはしないが。フィルム代、現像、プリント代は高校生にとって決して安くない。スマホのカメラでパシャパシャ撮るのとでは1枚の重みがまるで違うのだ。
そろそろカメラを片付けてしまおうと考えていたその時、レンズが映す小さな四角の中に影が掛かった。
怪訝そうにこちらを覗いた顔が次の瞬間にニコリと笑う。シャッターチャンスだぞとでも言うかのように。
俺はカメラを下ろし、面と向かって対峙した。
「それ、フィルムカメラでしょ? 写真撮るの好きなの?」
端正な顔立ちに宿る紺色を含んだ瞳。色白の肌と毛先が腰回りに触れる茶髪。
体勢はレンズを覗いた時のまま、上体を横に倒していた。
石川陽菜。
このクラスで誰の顔と名前から覚えるかとアンケートが行われたら、十中八九彼女が1位に輝くであろう存在だ。それに比べて、俺は最下位争いレベル。なんなら競い合える相手を知りたいくらいだ。知ってしまったら競争相手になんないけどね。
故になぜ陽菜が俺に話しかけているのか、理解に苦しんだ。彼女は話し相手に困ることがないくらい注目を浴びている。少しでも悩んだ顔をしようものなら、誰かしら「大丈夫か?」と声をかけるに違いない。
顔がいいのは勿論だが、明るくユーモアのある人物でカリスマ性とリーダーシップも兼ね備えている。彼女を知っているものであれば、誰しもが一目置くに違いない。
彼女の周りには笑顔が絶えない。石川陽菜がいるだけでその場は明るく盛り上がりを見せる。
すべてを照らす太陽のような存在。太陽少女だ。
「写真を撮るのが特別好きってわけじゃないけど、嫌いではないかな」
「なにそれっ。変なの」
陽菜は眉をひそめて俺を見た。どうやら気に入らない回答だったらしい。思い返せば、俺の返しはどこかひねくれた天邪鬼のようだった。素直に好きと言っておけばよかったのだ。
陽菜は前の席から椅子を奪って背を向けたまま座る。
「ねぇ、普段はどんな写真を撮ってるの?」
「風景が多い……はず」
自分の返答に自信がなかった。これと言って決めたものを撮っているわけではなく、残したいと思うものに対してシャッターを切る。中でも風景を撮ることが多いと感じただけだ。実際のところはわからない。
その後、相手が正直な返事を求めているのではなく、会話を続けやすいものを要求していたのかもしれないと反省が続いた。
「へぇ……人は撮ったりしないの?」
「写り込んだことはあるかもしれないけど、被写体にしたことはない」
「そうなの!? あー……でもわかるかも。趣味で写真撮ってる人は趣のある風景が好きそう」
「失礼だな。俺はいいけど、全国の趣味で写真を撮ってる人に謝れ」
「あはははっ、ごめんごめん。でも、私だって写真めっちゃ撮るよ。スマホだけど」
そう言ってスカートのポケットからスマホを取り出し、背面のカメラ部を指さした。
「へぇ……女子なら普通では」
「むっ、あんまり興味なさそう! どんなの撮ってるか見せてあげよっか?」
「いい。人の写真に興味ないから」
「え……」
自信作を見せつけてやろうとフォルダを漁っていた指が止まる。
「ほんとに興味ないの?」
「ない」
「どないして!?」
「強いて言うなら、キミに興味がないから。キミの世界にも興味がない」
「……」
しばらく返事がなかったので、自然と逸らしてしまっていた視線を陽菜の顔に向ける。すると、口をぽかんと開けたまま石像のように固まった彼女の顔があった。
すぐに我に返ると水を払う子犬のようにぷるぷると首を左右に振る。
「酷くない?」
「そう?」
「自覚なしか~。こりゃ参った」
「傷ついたのなら謝る。ごめん」
謝った方が良さそうな空気を読み取り、ひとまず謝罪する。その瞬間、彼女の口角がにやりと上がったので、自分の選択が過ちだったことに気づくのだが、今更後悔したところでもう遅い。
「じゃあお詫びとして今度の休み、私に付き合ってよ。もちろん、カメラは持参してね」
「は?」
「決まりね、高瀬くん」
あ、俺の名前知ってたんですね。
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