女神のこどもたち

紫陽_凛

懺悔室のふたり

 彼がまぶたを伏せると長い睫毛がつやつやと光る。銀色の髪と同じ色をしたそれを、直視する。

 私は、彼を見つめるとき、不安になる。ちょうど光を見るときに影や闇や、そこに潜むものの心配をするのと似ている。けれど、見つめずには居られない。なぜなら彼は何よりも誰よりも美しいからだ。

 


☆――☆――☆



「懺悔いたします」

 女神の懺悔室は誰にでも開かれている。ここで告白された罪は秘匿され、告白を受けたものと告白をしたものの間にのみ共有される。懺悔室の中にいる司祭の顔は見えない。彼は何度目になるだろう、罪の告白を始める。


「懺悔いたします、私は信心深い家に生まれながら、罪を犯し続けています。今も、この瞬間も。それは兄とのことです、兄のことです、ええ、あの人のことを考えると心臓が燃え立つようです。これ以上のことを控えたいのに、あたまよりもさきにからだが走ってしまうのです。もう二度とこんな過ちはしますまい、そう思いながら、何度も何度も兄のことを思い出してしまいます。夜ごと苦しみ、朝になって後悔します。ああ、同じ腹から生まれたきょうだいでさえなければ、何度も自分の生を呪います」


 このラグナ大国の大半が、天を司る女神ウルラーレを信仰している。その教義は広く知れ渡る通りだが、同時にその禁忌も広範囲に根を下ろしている。それは――血縁関係者を愛すること。近親相姦の禁止。神話をひもとけば、その理由は明らかである。女神ウルラーレは兄妹神の奸計により、神々のとこしえの都、「光の園」から追放され、堕ちてきたからだ。そして兄と妹との間に生まれた甥が闇神カダル――そのカダルにウルラーレは純潔を散らされる。それ以後、ウルラーレとカダルは憎み殺し合う仲になった。




「兄が兄でなく、私が弟でなければどれほど良かったでしょう。この胸を焼き焦がす炎を、ありのまま彼に打ち明けたでしょう。ですが私と彼とは血が繋がっています、も!」


 懺悔人ロマーレはそばかすだらけの顔を涙にぬらして小窓を見つめた。まだ十八の少年だった。銀色の髪に鮮やかな緑の瞳をして、顔立ちの美しい少年だった。司祭は彼をじっと見て、答えることをせず、彼の告白の続きを待った。


「兄は今、郷里におりません。長い旅に出ております。私の中には、無事に帰ってきてほしい気持ちと、二度と帰ってきてほしくない気持ちがせめぎ合っております。こんな気持ちを抱く自分に嫌悪すら覚えます。兄は兄として私を愛してくれたのに、私は、僕は、こんなよこしまで淫らなことを考えている。だから、だから、兄は――いえ、違う、消え入るべきは私だ、滅されるべきは私の抱くこの邪心であって、決して清廉で美しい兄ではない!」


 司祭は沈黙で以て答えを返した。ロマーレは涙を流しながら胸元をかきむしった。


「女神様。ウルラーレ様。私は、ぼくは、おかしいのです。何もかも間違ってしまっているのです、どうか罰をお与えください、どうか、どうか

 兄を愛した僕に罰をお与えください!」


 ロマーレの口調は乱れ始めた。額に脂汗を掻き、胸元を掻きむしる爪には皮脂と血が入り交じり、口の端には泡が浮かび始めた。何度も罰を、と口にする瞳からは、じょじょに生気が失われていった。それを注意深く観察していた若い司祭は、少し考えてから彼の告白に答えた。


「女神様はこうおっしゃっています。貴方の罪を認めましょう」

 

 ロマーレが聞いたのは知らない、低い男の声だった。


「女神様……」

 ほうとため息をついたロマーレの様子を見、司祭は続ける。

「ただし、貴方の罪を、貴方自身で罰することを禁じます」

「……そんな」

「手も足も傷だらけ、そんな貴方に、これ以上の罰を女神は望まない」


 ロマーレはシャツの袖から覗く自傷のあとをそっとかくして、それから爪の間に挟まっている皮膚や血に気づいた。


「ですが、じゃあ、罪を犯し続ける私を罰してくれるのは誰なのですか。兄は私を罰さない。あんなことがあったあとでも罰さない。私が汚らしい欲を浴びせてしまったあの日のことも、私が、どうしようもなくなって、兄を犯そうとしたあの日のあとも、兄は――!」

 ロマーレはたまらなくなって、小窓に向かって叫んだ。

「どうして罰してくれないんだ、リーグル兄さん!」

 司祭は沈黙した。ロマーレは続けざまに謝罪を司祭に浴びせた。

「失礼しました、ごめんなさい、すみませんでした、気が高ぶってしまったみたいです、ごめんなさい、ごめんなさい……」


が思うところをお話しすると」

 司祭は穏やかな声音で、ゆっくりと窓の外へ向かって語りかけた。

「君の兄さんは、弟のことを愛しているんだろう。それは君の兄さんなりの、君への愛なのだと思う」

「……司祭様」

「僕が君の兄ならこう言うだろう。……悪かったね。辛い思いをさせてごめん」

 ロマーレは言葉を詰まらせた。司祭はなおも続けた。

「君の思いには応えられない。君の思いは、女神の意思に背く。だから、君の愛を受け取ることはできない。

「司祭様、もしかして……兄さ」

 

「――告白は以上ですか」


「兄さん!」


 小窓にすがりつくロマーレは他の司祭によって外に出された。

 内側で聞いていたリーグルは、ようやくおおきな息を吐き出した。

「……帰還して最初の懺悔がロマーレだったとはね」

 そして神から祝福されたもうた美貌の司祭――否、司教は、その目を細めて、開いた両手のひらを見つめた。そこに重ねたことのある、弟の両手を思い出しながら。


「家には、帰れないな――」


☆――☆――☆


 僕は、彼を見つめるとき、不安になる。ちょうど光を見るときに影や闇や、そこに潜むものの心配をするのと似ている。けれど、見つめずには居られない。なぜなら彼は何よりも誰よりも、純朴で、素直で、愛しいからだ。

 たった一人の腹違いの弟。


「愛しているよ、弟として」

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