氷の花を手向けるもの



 エドワードが昏睡状態から奇跡的に回復してから、3か月が経過した。シエント帝国よりエドワードとフラミニアが帰国してからは、目まぐるしい日が続いた。


 膨大な業務の引継ぎ、"災厄の日"の被害状況の確認、復興支援、その他諸々──


 目まぐるしさには慣れていたエドワードも、病み上がりということもあってか、一日の業務を全てこなせない日が何度かあった。特に、以前より激しい頭痛がするようになって、業務どころではなくなる。須藤から渡されたノートによれば、後遺症の一つだとされていた。


 業務をこなせばこなすほど、新しい問題にぶつかる。

 ぶつかっては解決して、またぶつかって、妥協案を見つけてなんとか治める。

 そうすることで、元どおりとはならなかったが、徐々にギルディア王国は平穏を取り戻していった。


 そして"災厄の日"から、8か月。

 エドワードは引継ぎ業務その他諸々を終えた。


 フラミニアほか王家職員達に見送られて──お互いに忙しさに負けて喧嘩ばかりしていた藤原とは最後までそりが合わず、見送りにはこなかった──、エドワードは王宮の門を潜って外へ出た。

 それから、亡王と共に王国を支えた仲間たちに対して感謝の意を伝えるべく、ゆっくりと王宮に向かって頭を下げていた。

 その様子だけは、藤原も王宮の中で見つめていた。


 およそ10秒間の礼を尽くした後、少し短く切りそろえた髪を耳に掛けながら、エドワードは顔を上げた。

 その際、顔の左目部分を覆う眼帯がずれてしまうと、しばらく直すのに苦戦した。まだ慣れていないこともあってか、どの位置に直しみてもしっくりこず、またしっくりきてもきちんと左目部分を覆い隠せているか不安で、何度も小さな手鏡で確認した。


 別に、誰かに会う約束をしているわけではないし、常にギルディアの民から視線を向けられることも……以前はあったが、今は特に無くなった。

 これから、エドワードがギルディアですることといえば最後の墓参り。ただ、これも特に身だしなみを気にするものではなくなった。

 以前は、墓標に向かうたびに身だしなみを整えていたが、"亡王は星に変わった"と聞いてからは、昼間の間に墓標に話しかけても見てくれていないような気がしていた。

 その代わりに、一日の終わりに、夜空を見上げることが多くなった。その方が星々の瞬きの甲斐もあって、寂しさが紛れた。


 そんな形式だけの墓参りのあとは、魔導書館に向かうだけ。

 すでに過去の給料の大半をはたいて、魔導書館から『移動』の魔導書を借りていた。これは、身の安全を考えてのこと──シエント帝国の動向が不気味であるから、安全かつ確実に、国を出る方法を金で買った。


 シエント帝国の動向については、エドワードが目を覚ました後、須藤の忠告を受けてエドワードとフラミニアは身の危険を感じて直ぐに帰国したが……その後まもなく、シエント帝国行政大臣からお叱りの手紙を受けた。


 内容はもちろん挨拶もなく帰国した無礼に対するもの。

 とはいえ、エドワードが世話になったのはシエント帝国軍であり、行政は特に関係がないはずであったが、どういうわけか、この一件が行政大臣の耳に入り、怒りの手紙へ発展したらしい。


 一方、軍部からはというと、何もなかった。須藤が上手く元帥に報告し、元帥もその器の大きさから咎めることをしないと判断されたのか……あるいは、手紙を送る価値すらないと判断されたか。

 どちらかといえば、"なにもない"方が、行政大臣の怒りの手紙よりも不気味で、恐ろしく感じた。


 ところで、この帰国時の対応についても、エドワードと藤原との軋轢を生んだ原因だった。一軍医の忠告を真に受けて礼儀を尽くさないまま帰国したと報告した時の藤原の顔はリンゴのように赤くなっていた。

 とはいえ、須藤の忠告はシエント帝国の化けの皮を剥がすようなもので、簡単に教えることができるものではないことも事実。もし忠告に従わず、シエント帝国の目論見が本当であった場合、ギルディア王国はエドワードとフラミニアを人質に取られていたかもしれず、今のような平穏を得ることはできなかったであろう。その点をフラミニアが進言すると、藤原の顔の色は夕焼け色まで戻った。

 しばらくは、藤原の機嫌の悪さに振り回されることとなったが、行政長官という重荷を背負うことになった時の緊張や不安はエドワードにはよく理解できたし、たとえ、機嫌の悪さを振りまかれても支えたいという気持ちが強く残った。



「……はあ、やっぱりしっくりこないな。あと、止まってると寒い。早く南の国に脱出だ……」



 しばらく眼帯と格闘した結果、エドワードはあきらめに至った。このあと世話になる魔導書館へ挨拶に行く前に、どこかの建物のガラス窓に自分を映して確認すればよいと思った。

 それに眼帯の違和感は、この寒さ──エドワードは極度の寒がりであり、一般的な感覚では少し暖かく感じる──の中では些事であった。じっとしていては、南国へ移住する前に凍え死んでしまいそうだと感じたエドワードは、積もることが予想される大粒の雪が舞うギルディアの町中を歩き始めた。


 ほどなくして、霊園へ到着した。相変わらず静かな場所であったが、教会の方から鐘の音が響いて聞こえる。

 美しい鐘の音に耳を傾けながら、エドワードは、昔の記憶に思いを馳せていた。


 それは、8か月もの間、姿を見せていない友人のこと。

 人々に忘れられかけていた王墓に、美しい氷の花を手向けたいと言ってくれた人たちのことだった。


 彼が作り出す氷の花は、それはそれは美しいものだった。

 彼の努力の集大成が、あの花にあるとわかっていたが──結局、その美しさは彼がここにあることの証明になってしまう。追われる身の彼らにとって、証拠を残してしまうのは身の危険につながる。

 そして、実際にそうなった。

 偶然とはいえ、彼が外してしまった『アザレア』の紋が刻まれた銃のエンブレムは、彼の師匠の命を奪い、彼の家族を不幸に貶めた。

 あれから、彼は──エドワードの友人で、後輩で、語ることを憚られるこの国の救世主は──その消息を絶っていた。


 彼には家族がいたが、その家族のことも聞かない。

 無事に逃げおおせているのであれば嬉しい限りだが、"災厄の日"と、そのあとのことを目の当たりにしては、その無事を信じることが日に日に難しくなっていた。


 "災厄の日"を象徴するのは、塔の魔物。

 そして、未だ"不定期に自然発火をし続ける"『アザレア』本部跡地。

 塔の魔物については結局確認作業が出来ていないままでわからないことが多いが、初めて塔の魔物の襲撃を受けた『アザレア』本部建物は目に見えて異様だった。自然に発生する火の勢いは凄まじく、まるで、呪いのようだった。


 教会の鐘の音に混ざって、また火事を知らせる警笛の音が聞こえる。


 エドワードの足はまた自然と動き出した。

 王の墓参りに向かう前に、友人に代わって、友人の父親の墓に花を手向けようと考えたのだった。エドワードにとって、友人の父親とはあまり良い印象がないが、墓標の前で祈りを捧げている友人の横顔が優しく、友人にとっては、真に大切な父親だったのだろうとわかったから。


 友人父親の墓標がある小道へ入ったとき、エドワードは足を止めた。

 目的の場所に、みすぼらしい身なりの人が座っていた。

 髪も髭も伸び放題で浮浪者のような姿のその人は、墓標に向かって何かを話していた。


 友人父親の墓標があるこの通路は、『アザレア』の職員が眠る場所でもあった。今ではすっかりさびれてしまっている。

 そんな忘れられた場所に人がいるだなんて、エドワードは考えもしなかった。



 その人は、左手を墓標へと伸ばした。

 恐ろしい異形の左手──身なりも相まって、人間には見えなかった。


 しかし、その指先が青白く光ると、息を飲むほど美しい氷の花が、彼の異形の左手を彩ったのだった。


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番外編【災厄の日】 京野 参 @K_mairi2102

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