悪魔の行方⑷
手紙の内容は、端的に言えば"王家職員解雇通知"だった。
日付はフラミニアの言うとおり先々月のもの。
エドワードが昏睡状態から回復し手紙を確認した段階で、解雇通知に記載されている日付けまで遡って行政長官の地位を剥奪するものだった。つまり、エドワードはこの手紙を確認したことで、"ギルディアの代表者"ではなくなったのだった。行政長官という肩書がなくなってしまえば、エドワードは誰よりも立場が弱い。もともと亡王の後ろ盾とエドワード自身の努力があったことで、『アザレア』職員殺しという黒い過去を乗り越え、王家職員から国王付き執事、そして王亡き後はギルディアを束ねる役割──ギルディア行政長官の役割を担った。これまで様々な要人と対等な関係を築き上げてきたが、それは行政長官であったからできたこと。その地位が無くなれば、須藤にすらも頭を上げることができない。
片や勲章持ちの軍医、片や親にさえ見捨てられ過去に殺人を犯した罪人。須藤の話しぶりからしてエドワードに解雇通知が出ていることを知っていたと考えると、先程までエドワードと背を合わせて会話をしていた須藤が最大限譲歩していることが伺える。一方、只今このタイミングで譲歩をやめたということは、立場を利用するという圧倒的な方法でもってエドワードを止めようとしていることが伝わった。
須藤の言った「全力で君を止める」とは、何も暴力だけで圧倒するのではなかった──暴力で止められたほうが反抗の余地があった。
これ以上、エドワードに物申す権利もなく、その立場でもない。むしろ、これまで話した須藤に対する無礼について、床に額を付けて謝罪するべき状況だ。相手が須藤であるからまだ優しいものの、それ以上の地位の者が相手であったら、最悪今日中に物理的に首が飛んでいたことだろう。
先程は、フラミニアが「吐きたくなるから」と前置いてエドワードに静粛を求めたが、なるほど確かに、昏睡から覚めたばかりで何もないはずの胃の中から、さまざまな後悔を吐きだしそうになった。
「……藤原様は、"エドさん"が回復されたら業務の引継ぎ、書類手続き、その他諸々をしてほしいと仰っていました。須藤様の言葉によれば、シエント帝国に居ると今後の業務に障るというか、最悪命の危険もあるようですし……エドさん、ギルディアに帰りましょう」
俯き、口から吐き出しそうな後悔を噛みしめた。
くしゃりと手紙を握り、最終的にエドワードがフラミニアの提案に対し言葉を返すことはなかったが、否定もしなかった。
「……藤原様と連絡を取ってきます。引き続き、魔導書館の協力があれば魔物の森の道を抜けなくて済みます。私が戻ったらすぐに出発しますから、それまでに用意をしていただけると助かります」
「準備はおじさんがしておくよ。いってらっしゃい」
フラミニアは「お願いします」と話してからぺこりと礼をすると、病室を出て行った。
病室に残った須藤は部屋の隅に置いてあったトランクをエドワードが座っているベッドの近くまで持ってきて開いた。それから、病室の戸棚を全て開いて回って、病室の備品以外のものをトランクに詰めていった。
「そうだ、エドワード君。このノートも入れておくね。すぐに出て行けって言ったあとに言うことじゃないかもだけど、まだ安静にするべき時期だし、リハビリの方法とか、包帯の巻き方とか色々書いてある」
「──左目が無いことで、いろいろ不自由だったり、他人からの目も気になることがあるかもしれないけれど……どうか、悲観しないでね。エドワード君は強いから、この先も大丈夫だよ。君の強さは、君の苦境を見て見ぬふりをするしかなかった"先生"が、保障する。あんまり……嬉しくないかもしれないけど、ね」
須藤は、エドワードやフラミニアの私物を全て詰め込むと、最後に一冊のノートを入れて、まもなくトランクを閉じた。
「さて、着替えはどうする?手伝おうか?」
「……いえ、自分でできます」
「そうか」
「あの……須藤、先生……」
「ん?どうした?」
「……グルワールさんは、無事でしょうか?すごい怪我をしてたんだ。服も赤く染まってて、たぶん血だったと思う。オレの目を潰したあの魔物に、酷いことされてないかな……」
震える手で、失くした左目を押さえながらエドワードは問うた。しばしの沈黙とため息のあと、須藤は応えた。
「グルは、生きているよ」
「……知ってるんですか?」
「いいや、知らないよ。……ただ、"わかる"だけ。多分、エドワード君もそうじゃないかな?」
「生きていると……"信じる"ってことか」
「うん、そうだね」
エドワードに衣服を渡しながら、須藤は言った。
衣服を受け取り、エドワードは立ち上がった。須藤がそれを補助しようとしたところを「大丈夫です」と手で制し、自らの歩みでクローゼット横の姿見の前へ移動した。
それから衣服──ワイシャツに腕を通し、ズボンを履き替え、手早く着替えを済ませる。最後にバラバラになっている髪の毛をまとめようと、亡王からもらった髪飾りを探したところで、あの"災厄の日"とやらに、自分の人生の中で一番嫌なやつに壊されたことを思い出した。
肩に掛かる髪の毛を指にくるくると巻いてみると、やはり髪留め無しでは少し鬱陶しく感じる。新しい髪留めが必要だと思ったが、毎日髪をまとめる時に嫌な思い出が記憶にも鏡にも映るのだと思うと、うんざりした。
「……暴行に放火──いや、放火は違うのか。それらにくわえて陛下との思い出にも顔を焦げ付かせてくるとは、本当、罪だな。……あの騒ぎの中で死んでくれているといいが、魔物に食われても生き返ったくらいだ。また、出てくるんじゃねえか。くそが……」
「──あの須藤先生、ハサミとか持ってませんか?」
「何に使うの?」
「見りゃわかんだろ。鬱陶しいから髪の毛切るんすよ」
「あ、ああ……そうか。そうだね。待ってて、すぐ持ってくるよ」
妙に歯切れ悪い返答をして部屋を出て行った須藤のことを、エドワードは少し不審に思ったが、よく考えてみればわかることだった。
誰だって、寝覚めに悪い話ばかり聞かされたら、この先のことを悩むのは当たり前。須藤は、エドワードが鏡の前で悪態をついたあと、ハサミを要求すると、まずはその用途を聞いていた。患者が自死することを恐れていた。
エドワードの考えが正しければ、須藤はハサミを持ってくると、"手伝うよ"と、たとえエドワードが断っても、何かしらそれらしい理由をつけて、エドワードがハサミを手にすることがないようにするだろう。
髪を切らせないという、先ほどの須藤の"譲歩"に対する仕返しを思いついたが、すでに冷静になったエドワードの頭はそんな気持ちを宥めた。曰く、魔物に左目を傷つけられたとき脳にまで届いていたらしいが、そういう理性は壊れていなかった。
「……あんまり、迷惑かけんのも悪いか」
エドワードは須藤が困る様子を想像して、ため息を吐いた。
それから、先までフラミニアが座っていた椅子を姿見の前に置いた。椅子の背もたれに手をついて、鏡の中にある空の椅子を見て、一度瞬きをして目を開くと、空の椅子だったところに亡王の姿があった。
「あ、ああ、陛下……」
すがるように声をかけると、鏡の中の王は、エドワードの記憶の中にあるままの笑みを携えた。それから椅子を立ち、エドワードに座るように促した。
エドワード、本当におつかれさま。
ありがとうね──
人が人を忘れる順番は、声からだという。
すでにエドワードの記憶からは、亡王の声は失われてしまっていた。そのため、鏡の中の王が本当にそう話したのかは、エドワードにもわからない。
「ありがとう、ございます。陛下……」
エドワードは一礼してから、王に譲られた椅子に腰を掛けた。
椅子に腰掛けたエドワードの姿が映ると、亡王の姿は、失くした左目の影に隠れて、見えなくなった。
「エドワードくん、お待たせ!髪の毛切るならさ、先生が……」
そこへ、散髪セットを持った須藤が戻ってきた。
エドワードが考えたとおり、精神的に弱った患者にハサミを使わせないために自らエドワードの散髪を申し出た須藤だったが、姿見の前に置かれた椅子に座ってさめざめ泣いているエドワードと、その後ろで心配そうに彼を見つめているをギルディアの王を見た。
ギルディアの王は病室に戻ってきた須藤に気がついた。パッと目を見開いて驚いたような仕草を見せてから、須藤との間を隔てていたベッドをすり抜けて、須藤の目の前まで移動して、須藤の前に膝をつき、祈るように指を組み合わせた。
そんな王を見下ろしている須藤は、かなり居心地悪く感じた。
なにせ、"ヒトに頭を下げられるのは好きではない"と、フラミニアにも注意したばかりだった。
今まで、須藤はこの病室でギルディアの王の姿を見ることは無かった。しかし、居るはずのない彼が実際にここに居るということ、そして、エドワードの回復が医学的な想定よりもずっと早かったということからして、どうやら、ギルディアの王はエドワードが負傷した時からそこに居たのだ。
ただ、ギルディアの王は早いうちから須藤に姿を見せてしまうと"都合が悪い"から避けていた。先のフラミニアと須藤のやり取りについても隠れながら、しっかり聞いていた。
だから、"願いを叶える黒竜"が礼を嫌うことを理解していた。
ヒトと引き換えに、ヒトの願いを聞くことにうんざりしていることも何となく感じていた。
それでも、本当の本当の最後に、力を使い果たした自分の代わりに大切な人を守ってほしいという願いを聞き届けてほしいと
──そう、星に願った。
「……わかりました。貴方の"魂がけ"のお力添えがなければ、彼は目を覚まさなかったかもしれない。その点で借りがある。星となって返せなくなってしまう前に、貴方の眼前で、その借りを返させてください」
「──願いのための贄は、十分にいただきました」
跪き、祈りを捧げているヒトの王の頭上へ、言葉を下した。
須藤は姿見の前で泣いているエドワードに近付いた。震える背中をゆっくりと撫でて、静かに語る。
「エドワード君。王様が、来てたんだね。さっき俺も会ったよ。エドワード君が早く回復するように、ずっと力を与えてくれていたみたいだ」
「──もう王様は力を使えなくなって星になってしまうけれど、エドワード君のことをずっと見ていてくれると思う。だからこれからは、昼間の宙だけではなく、夜の宙にも、星々にも、願いをかけてほしい」
「──どうか君のこれからの人生に、満天の星の加護があらんことを」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます