第7話 ただそれだけだ

 講義が終わって私はランナと学生ラウンジでレポートを進めた。

 傷心中の私は作業効率が大幅に落ちてしまっているし、急に震えがして進まなくなるけど、隣にランナがいるだけで楽になる。

 夜になると大学の最寄り駅に行って電車で二駅行く。降りて十分ほど線路に沿って歩くと既に焼き肉の香りがしてきた。


「ここよ、今日は肉を味わうわよ。しかも個室。私とムラモがあんなことやこんなことをしてもばれないってことよ」

「何を言っているの?」

「何も。注文はこれ二つ!」


 個室に案内されるやいなや、ランナが注文を済ませてしまった。

 私がヘッドホンをしようとすると、ランナはメニュー表を見せてくる。

 一人六千円か、……高くない?


「奢るから大丈夫」

「私のためにプラスで六千円も出すなんて正気か?」

「正気、ね。ムラモっち今日は私の言葉を聞いて、そして信じて。だからヘッドホンはしないでほしい。奢るから話をしたいってこと」

「うん。話?」

「元気ないし、目が真っ赤だし、ムラモが初めて講義を休むし。何があったの?」

「何がって?」

「私とムラモの仲でしょ。テンマと何があった?」


 ……ばれている。

 どうして? テンマがランナに話した? ショッピングモールの件が誰かに見られた?


「私の大事なムラモにテンマのやつは何をしたの? 教えて」


 ランナは私の目をじっと見てくる。


「どうしてそう思うの?」

「今日になって急に二人は目を合わさなくなったから。私って信用ない?」

「そうじゃないよ。でも恥ずかしいし言えないし」

「私は今まで勉強とかいろいろでムラモに助けてもらったから頼ってほしい。友達だよ、大切な」


 ランナを信じる。それは悪くないなと思った。

 話そうとすると言葉が出てこない。

 ランナは待ってくれている。

 長い文章で話せるだけの頭は回らないし精神的にももたないと思うから。


「テンマに振られた。友達でいたいって言われたけど絶縁した。私、付き合い悪い方でしょ?」

「そうね、私はもっとムラモとデートしたいって思っているから」

「趣味で、って言っても本気で小説を書いてネットに上げていて。対してテンマはボカロってやつで曲を作っていて。創作仲間で、それから仲良くなって、向こうから好きって言われて。付き合わなかったけど私もちょっとずつテンマが好きになって」


 順序がぐちゃぐちゃだ。

 言いたいことばかり言って理解しにくいようになってしまっている。

 それでも今出し切らないと勢いを失えば澱みに引っ掛かって何も出てこなくなる気がした。

 胸が詰まりそうだけど続ける。


「高校のときから好きな人がいるらしくて、会うことができたからもう好きじゃない二人きりで会うのはやめようと言われて」

「テンマ、最悪。ごめん、ちょっと思ってしまって呟いちゃった」

「いいよ、別に。好きだったけど最低だって思っているから。だって、振られて傷つく私を見て、その痛みは創作に役立つって死体蹴りしてきたんだよ?」

「話してくれてありがとう。ムラモ、大丈夫?」

「うん。ていうか」


 ランナは調子者で創作時間を大幅に減らす原因である勉強会を提案した張本人で、からかってきて、大食いメニューに誘ってくるくせに私が苦しんでいると煽ってくる。

 そんなやつなのに。


「ランナが私の最高の友人なんて。私のこと助けてくれるって思っていなかった。からかってくると思った」

「え、そんな印象悪い? 次から気を付ける。私はね大好きだよ、ムラモのこと」


 扉が開く。

 赤い肉たちがやって来た。

 店員が火を点けると少しずつ炭の香りがする。


「響きがもう美味しい上カルビよ。さあ、焼きましょう」

「ランナ、もう楽しいかも」

「でしょ?」

「ありがとう」

「えっへん。私はムラモにとってもいいやつだからね」

「そっか、なら私の小説。たまには読んで感想聞かせてくれる?」

「あ、あおん」

「なにその曖昧な返事、ひどくない?」


 ランナは困った顔をする。


「ごめんね、いやムラモのために頑張れないわけじゃないんだけど、私って活字ちょっと苦手で」

「別にそれなら怒らないよ」

「でも拗ねてない?」

「そんなわけない」

「それ私の上カルビ、……ムラモさん? ムラモさん? 拗ねてないの?」

「うん」

「だからそれ私のランプだって」


 ランナは笑う。


「でもムラモが元気ならいいわ。ランプの一枚、上カルビの一枚くらいね。って、私の上タンの塩よッ!」


 騒がしい夕食を終える。

 私は今日から書くのは難しい気がするが、いつかまた再び書けるようになる気がした。

 心が壊れてしまって笑えないと思っていたが、今日一日で十分楽しかったのだ。


 それと、創作をしないにしても、もちろん創作するとしても私はこの友人を大切にしたいと思った。創作命で生きてきた私の数少ない創作よりも大事で、創作を続けるためにも大切な存在なのだ。



 焼き肉から帰ると心が軽いうちにレポートを進めた。

 創作に回す時間はなかったけど土曜日から挑戦しようと思った。


 振られてから最初の土曜日、私は五百文字ほど書いた。

 日曜日、投稿前の作品の遂行をし、初稿として千字書いた。

 まだまだ本調子ではないし進み具合も遅いけど希望が見えてきた。

 月曜日、勉強会は縮小して行った。野郎がいなくなってギャルだけになった。ギャルは私に理由を聞こうとしていたが、ランナが圧倒的な気迫で黙らせた。

 野郎は勉強会自体をやめてしまったらしい。


 家に帰るとカズハからメッセージが来ていた。

 SNS上にイラスト描きの一環として一ページ漫画を載せることにしたという報告である。

 そのメッセージで、私はカズハにテンマと絶縁したことを言っていないことに気づく。

 私とカズハ、テンマで合作していたこともあるし伝えるべきだと思った。


『そういえば私はテンマに振られて絶縁した』


 メッセージを送ると、「創作人間なのに恋愛するんだ!」とか「ムラモ、何かした? 謝ったかい?」とか「そういえばテンマが作る曲はその先輩のためのラブソングばかりだと思うし?」とか「テンマは一途すぎるよな」とか言われた。


 テンマが一途か。だったら私に「好き」とか死んでも言うなよ。

 本気にしてしまったし、本当に踊らされてしまった。

 カズハには言えない、でもテンマは嫌なやつだと思う。

 そういってもカズハは負け惜しみとしか思わないだろうけど。


『精神的にきつい。本当に』

『慰めようか?』

『どうやって?』

『来たらいいでしょ? 私のところまで』


 私はどうにかしていたんだと思う。


『行く』


 この悔しさや痛みを分かってもらいたかったんだ。

 と、いうことで。

 ランナには傷心旅行へ行くことを伝えた。


「来週、友人に会いに行きます」

「ほう? 何曜日よ」

「金曜日は講義を休んで、金曜土曜日曜かな。お土産も買ってくる」

「もちろんもらうわ。ほら、焼き肉代の一部は返してもらわないと」

「なんかその言い方嫌かも」


 ランナも背中を押してくれた。

 初めての地に行って友人に慰めてもらうことが今回の目的である。

 なお、友人が二泊させてくれることになった。

 スーツケースに着替えやら携帯用の日用品を詰めて電車に乗る。


 カズハは温かく迎えてくれた。

 大学から今まで何があったのか教えてくれた。

 イラストに対する熱い思いも。


 公園でペットボトルジュースとフライドチキンやポテト、フランクフルトなどのホットスナックを抱える。ベンチに腰掛けてカズハはしゅわっとペットボトルの蓋を取り、ごくごくと喉を鳴らして飲む。


「ヒサメはどうする? いつまで小説家を目指すの?」

「それは特に考えていない」

「創作っていつか卒業すべきものだと思う。ほら、就職したら時間がなくなって雑なイラストしか描けなくなる。それくらいならやめるから。まあ、大学生のうちだけだよ、イラストを描くのは大好きだけどね」


 期限、設けた方がいいのだろうか?

 計画を立てた方がだらだらと書き続けるよりもましかもしれない。

 でも創作をやめたらどうなってしまうのか?

 今は書けなくなってしまっているけど。


 それにSNS上でいいねを集めているカズハがイラストをやめるなんて嫌だ。

 覚悟を固めているなら今の私が説得しても意味がないと思うけど。


「せっかくだし創作合宿みたいなのする? 昼間は観光するとして」

「うん」


 振られてから心が落ち着かなくて創作できていない。

 カズハとなら書けるかもしれないのだ。

 

 今日の夕食はカズハの手料理を食べた。

 チャーハンと豚の生姜焼きと鶏がらスープの素を使った中華風卵スープだ。


「美味しい」

「一人で生きるには必須スキルだよ」

「なにそれ?」

「結婚するなら夫が料理できて何とかなるけど結婚できない私みたいなのは自分で何事も一通りできないとだよね」

「私はカズハほど料理できないし」

「まあ一人暮らしだからね。それに結婚するつもりでしょ?」

「今は考えていないよ」

「そりゃそうか。そうだよね」


 シャワーを浴びるとカズハは液晶タブを、私はパソコンを準備する。

 三時間ほどかかって千字しか書けなかったがこれでも最近のなかではましだった。

 カズハのおかげだ。


 翌日、昼は観光で知見を深める。

 夜は散歩をして、帰ったら夕食を食べてシャワーを済ませ、二人で創作をする。

 普段は実家に自分の部屋があるため一人で寝ているが、カズハに泊めてもらうと一緒に寝ることになるため心強いと思った。

 そして最終日、昼食を食べ終えた私たちは近くの喫茶店でパフェでも食べることにした。


 パフェの容器に長いスプーンを差しながら会話を続ける。


「順調? 創作とか」

「カズハのおかげで。今日でお別れなんて寂しいって思うよ」

「また辛くなったら電話でもビデオ通話でもしよう」

「ありがと。カズハってこれからテンマとどうするの?」

「絶縁はしないからただの友人的な感じだと思う」

「それでいいと思うよ」


 私の都合で縁を切るのは罪悪感がある。


「で、ムラモは一生創作をする覚悟をしているの?」

「やめるタイミングはないから」

「そっか。私は目の前に創作をする才能がありません。どうしたらいいですか? みたいな人がいたらチャンスだから創作をやめた方がいいって言う。私が大切に思う人であるなら強めにやめた方がいいって言うよ」

「どうして?」

「承認欲求を満たすものとしては向いていないし、時間もたくさん必要だし、仕事や勉強のようなするしかない事柄と相性が悪い。どちらも疲れてしまう。それに、」


 カズハはパフェの上部にあるソフトクリームを崩して混ぜる。


「人付き合いが悪くなるし、恋愛する時間も減ってしまうから。創作者は普通じゃない、普通の完成じゃいられない」

「私は恋なんてしない。だからこのまま続けるつもり」

「ヒサメ。私は就職したらイラストを描かなくなると思うけど、ヒサメの創作が上手くいくことを願っている」


 互いにパフェを食べ進める。

 社会人で創作している人は多くない。

 創作の時間が短くなって妥協することができないからやめたいということだろう。

 でもそれってイラストへの強い愛からだと思うから。

 カズハはきっと創作を続けるだろう。


 パフェを食べたらカズハの部屋に行って荷物をまとめる。

 カズハと別れて電車に乗った。

 今日は書きたい、意欲が溢れてくる。

 カズハがイラストを続けないと言ったことが悔しかったからだろうか?

 創作者は普通じゃないと言われたことが忘れられないからか?


 私は恋なんて要らない。でもカズハやランナが失恋した私を助けてくれたのは嬉しかった。もし創作より重要なものがあるとすれば、それだけだ。


 家に戻る。

 お土産話を母に話す。

 カズハのところに泊まったときはシャワーだったから、久しぶりに風呂に入った。

 食卓につくとマグロの刺身がある。


「おかえり、ムラモ」

「ただいま」


 ご飯を食べて部屋に籠る。

 二千字を二話書いて投稿した。

 もう二十三時だ。疲れたしもう寝るかと思ったときだった。


「これって」


 投稿サイトに通知が来ている。

 慌てて作品の詳細ページに飛んだ。


『面白かった! お気に入り登録しました』


 それだけだ、それだけなのだ。

 カズハの部屋で書いて投稿した話に感想が来ていた。

 どこが面白かった? 分からない。

 分からない、分からない。


 でも、『面白かった』という言葉だ。

 それだけだとしても、私は嬉しくて堪らない。


「もう一話書こう!」


 失恋した、創作品がなかなか評価されない、自分が何も持っていない気がした、友人と一緒にいても時間の無駄な気がしてそんな自分が嫌いになる、勉強会よりもあってもなくても変わらないような作品に時間を割いてしまう。


 それでも『面白かった』と感想をもらえるだけで。

 まだまだ頑張りたいって思ったんだ。


 まだ何もなしていない自分を嫌いにならない。

 私の物語は、小説家になるまでの物語はきっと辛いことだけではない。

 もちろん苦しいこともある。また書けなくなるかもしれない、友人に助けを求めるかもしれない。それでも。


「創作は楽しい」


 私の天秤の片方の皿には『創作』と『小説家になる』という夢がある。それは生きていくために重要なことで、『面白かった』と言われた日には舞い上がってしまうほど人生の大部分を占める。もう一方に大抵のもの、例えば友情のような綺麗ごとを除いたものが乗ったところで私の天秤は傾くことがない。


 その生き方はいろいろ犠牲にしてしまうかもしれない。恋の優先順位が下がるとか、友人との時間が確保しにくいとか、創作という時間の使い方が常にある以上は仕方ないのだ。でも手にしたもののなかで手放してはならないものだってある。


 何を得て、何を犠牲にすれば小説家になれるか?


 その難問に答えられるのはいつか分からない。

 でも私はそこまで悲観していない。


「って一話四千字のつもりなのに六千字に迫っている?」


 私は書く生き方を選んだ。

 この人生を楽しく生きていくと決めたんだ。

 じゃあそろそろ寝るか。


 ……通知音が鳴った。

 スマホを手にすると電話がかかってくる。


『ムラモっち、助けて。全然分からなくてレポート進まなかったの。もう戻ってきたよね』


 ランナだ。


「帰ってきた」

『ムラモ、……』


 泣きそうな声だ。

 表情を見てないから実際は分からないけど。


「仕方ないな、全く」


 この生き方を選んだのだ。







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朝月夜に天秤は傾くか? アメノヒセカイ @WorldONRainyDay

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