第2話. 初級冒険者はつらいよ
「え、と、すみません。もうちょっとなんとかなりませんかね……?」
震える声でそう問いかけるも、返ってくる言葉は無常だった。
「申し訳ありません。買取価格の変更は出来ない決まりとなっておりますので……」
「そこを、そこを何とか……!」
困ったように笑う受付さんに私は必死に訴えた。
ローンで買った手斧が壊れたこととか、盛大に使った手榴弾二つの値段、これからの私の生活費など、ハラハラと涙を流しながら想いよ届けと願い、受付さんの慈悲に縋り付く。
しかし、受付さんは相変わらずニコニコと微笑みを浮かべるだけで、私の懇願をにべもなく切り捨てた。
「規則ですので」
「そ、そんなぁ……」
がくり、思わず膝をついてうなだれる。
ダンジョン前に建てられた三階建てのビル、その一階。
冒険者ギルド神奈川支部が運営する、ダンジョン攻略支援局。
ダンジョンへの入場許可、冒険者が持ち込んだ怪物の素材やダンジョン由来の物品などの買取や査定を行う、エントランスホール内。
今日も様々な人が行き交うその場所で、買取カウンター越しの受付さんに向けて、私は涙ながらに訴える。
「お、お願いします。せめて、せめて毛皮だけでももう少し高くなりませんか。じゃないと、私、当分食事がモヤシ炒めオンリーになっちゃうんですううううううう!」
来るべきモヤシ漬けの日々を避けるために、私は恥も外聞もなく泣き叫んだ。
結局、受付さんの鉄壁の微笑みは揺るぐことはなかった。
数多の冒険者を捌き続けてきただけはあり、完全に相手が上手だった。私の全力の泣き落としは受付さんの「規則ですから」の一言で哀れにも一刀両断されてしまった。
ギルドに納めるブラッドホーンの毛皮や爪などの収集物はその場で専門の職員が見分し、品質の状態や需要の状況などを考慮して値段が付けられる。
ブラッドホーンは低級の怪物だ。それが故に持ち込む冒険者は数多く、ギルドからすれば価値は低い。当然、買取価格は渋いものとなる。
私は受付さんから受け取った報酬の金額と今月のローンの支払いに思いを馳せると、はぁ、と深く溜め息を吐き出した。
「おやおや、不景気そうな顔をしているね。エハラ」
かつ、という靴の音が近づいてくる。
視線を向けると、そこには闇色の肌をした美しい女が立っていた。
夜が人の形をとったのならば、恐らくはこのような姿をしているのだろう。澄んだ紫紺の瞳と、腰まで流れる銀色の髪が眼を惹く端正な顔立ちの女性が、ニコニコと愉快そうに頬を緩めながらこちらを見つめていた。
私は若干目を眇めて、抗議の意を含めて睨みつける。
「……分かってるくせに聞かないでくださいよ。椿姫さん」
「くくっ、いや、すまない。君の表情があんまりに面白かったからつい、ね。揶揄いたくなってしまったのだよ」
悪びれもせずそう宣うこの人は、私の指導担当冒険者だ。
私のような未成年の冒険者は、中級以上の冒険者が指導担当者となり、その監督下でのみダンジョンへの挑戦が許されている。
当然、私がブラッドホーンと死闘を繰り広げているときも一緒にダンジョンに潜っていた。
しかし、ダンジョンにきてすぐに、試験と称して私を置き去りにし、何処かに姿を消してしまっていた。
それでも指導担当者か、とブラッドホーンを倒してから漸く姿を現した椿姫さんに物申したが、「ちゃんと影から見守っていたよ? 危なくなったら助けていたさ。怒らない怒らない」とケロリと言い返されてしまい、疲労も相まって口を開く気が失せてしまった私は、むぐむぐと不満を呑み込んだ。
椿姫さんはむすりと黙り込む私を放置し、手早くブラッドホーンの解体作業に取り掛かった。毛皮や爪、肉などを切り分けてバッグに詰め込むと、パンパンになったそれを私に差し出し、いけしゃあしゃあと「帰るよ」などと言い放つ。
『あ、あの、椿姫さんって【ポーチ】のスキルを持ってましたよね』
『うん、持ってるけど』
『じゃあ、そこに入れて持って帰って貰えませんか? 私、もう限界ギリギリで……』
『戦利品を持って帰るまでがダンジョン攻略だからね。これも試験だよ』
『……』
疲労困憊の私とは対照的に、椿姫さんは晴れやかな笑みを浮かべていた。
その後、ひぃひぃ言いながらバックを背負い、椿姫さんの引率の下ダンジョンから
帰投を果たした私は、支援局に隣接されている保管所に素材を預け、家に帰るなりシャワーで返り血を洗い流し泥のように眠りについた。
そして、翌日の朝に保管所から素材を受け取り、支援局に持ち込んだのだ。
……まあ、結果は御覧の通りではあったのだが。
蔵衣 椿姫。
国内に30人前後しかいない上級冒険者の一人で、 本来ならば私のような初級冒険者の指導なんて引き受けることはないはずだ。
しかし、椿姫さんの持つ性癖――『若者が苦労している姿を見るのが三度の飯より大好き』という見下げた人間性により、椿姫さんは私の指導担当者となってくれている。
椿姫さんがいなければ私はダンジョンに足を踏み入れることすら出来ないので、目的はともかく非常にありがたいお人なのだが、やはりその性癖は受け入れ難いものがある。
「くふふ、ダンジョンから帰る道中のヘロヘロになった君と、受付に泣きつくさっきまでの君を思い出すと、つい笑いが込み上げてきてしまってね。いや、本当に悪いと思っているんだよ?」
「…………」
ぶるぶると拳を震わせて椿姫さんを睨みつけたが、椿姫さんは何処吹く風とばかりに全く意に介そうとしない。
上級冒険者のこの人は、当然ながら位階を幾つも上げた超人だ。仮に私が全力で殴ったとしても傷一つ追わないし、そんなことをすれば逆に私の拳が潰れてしまうだろう。
位階を上げるとはそういうことだ。生物としての格が違う。蟻が像に勝てないように、私が椿姫さんを害することは不可能なのだ。
「……まあ、とはいえ」
椿姫さんの顔から不意に笑みが消える。
「驚きはしたかな。初めてのダンジョン攻略で、単独で怪物を殺したというのは、なかなかに珍しいものさ」
すっ、と椿姫さんの目が鋭さを増した。
「
紫紺の眼に冷たい光が宿る。射抜くような尖りきったその視線に、私は思わず目を逸らし、曖昧な笑みで誤魔化そうとした。
「……運が良かったんですよ。ちょっと何かが違えば、多分殺されていたのは私の方だったんじゃないですか? ビギナーズラックってやつでしょう」
「それはそうだろうね。あれは確かにスマートなやり方だとは到底言えない、泥臭く、血に塗れた末の勝利だった」
けれど、と椿姫さんは言葉を続ける。
「君は、
「――――」
「ヒトは死を厭うものだ。命というものは例外なく、生きるという意思を秘めている。それはヒトであろうと、獣であろうと、あるいは怪物ですら変わらない。だからこそ、命は須らく死から遠ざかろうとする」
淡々とした口調、淀みなく放たれる文言の数々に、私はなんだか追い詰められるような心地がした。
そして、次に椿姫さんが口にしたセリフは、私には思いも寄らないものだった。
「――私はね、エハラ。君が冒険者をやめると思っていたんだ」
突拍子もない椿姫さんのその告白に、私は目を丸くした。
私が、冒険者をやめる?
「いや、やめませんけど……どうしてそう思ったんですか?」
「……」
私の問いかけに椿姫さんは答えない。私の中にある何かを探るような目つきで、紫紺の瞳がこちらを見つめ続ける。
「君は確かにブラッドホーンを殺した。無残に、無慈悲に、容赦なくその命を奪った。だからこそ、君は痛感したはずだ。ダンジョンにおいて命がどれだけ軽く、呆気ないものなのか」
椿姫さんの声は静かだった。決して声を荒げたり、ましてや怒鳴りつけるような真似はしていなかった。
それなのに、何故だろう。
椿姫さんが語った言葉は、今まで私が聞いたどんな声よりも激しく、膨大な感情が込められているように思えた。
「普通はもうダンジョンに潜ろうだなんて考えないはずなんだよ。冒険者なんてやめて、真っ当に生きようと考え直すものなんだ。ダンジョンに夢を見て、そして現実を知った者は、私が知る限り皆そうなった」
――でも、君は違った。
「教えてくれ、エハラ。君はどうしてまたダンジョンに挑もうとするんだい?」
JK冒険者のダンジョン攻略~彼女は報酬を手にするようです~ 万年床 寝介 @shinsuke_mannendoko
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