JK冒険者のダンジョン攻略~彼女は報酬を手にするようです~
万年床 寝介
第1話. 冒険者と怪物
――それは、ダンジョンにとって有り触れた日常に過ぎない。
怪物と冒険者の殺し合い。
人類へ本能的に襲いかかる怪物と、経験点を得るために怪物を狩らんとする冒険者。
それらがダンジョン内において出会ったのだから、互いの命を奪い合うのは至極当然の出来事だった。
『――――グァァァァァアアアアアアアアアア!』
狼のような姿をした怪物――赤黒い毛並みと鋭利な爪、剥き出された牙の列に加えて、頭頂部から突き出た一本角が特徴的な怪物であり、その名をブラッドホーンといった。
ブラッドホーンは比較的小型の怪物であるが、それはあくまでもダンジョン内における基準であって、通常の狼がまるで赤子に見えるほどの大きさを持っている。例えるならば、ヒグマ並みのサイズをした狼を想像してみればいい。それは最早、生物ではなく怪物と呼ばれるに相応しい。
咆哮と共に、ブラッドホーンが冒険者へ飛び掛かる。体躯とは裏腹な俊敏さはブラッドホーンの特徴の一つだ。
ブラッドホーンの体重は、ギルドに記録された最低のものであっても100kgを優に超えている。まともに受ければ骨が砕け、内臓は潰されるだろう。
冒険者はそれを知っていた。故に次の行動は決まっている。
――回避!
転がるようにして、その身をブラッドホーンの着地点から遠ざける。
直後、轟音と共に土煙が舞い上がり、砕けた石の破片が周囲に飛び散った。
衝撃波に身体が吹き飛ばされる。ゴロゴロと地面の上を転がされながらも、冒険者は素早く身を起こし、視線をブラッドホーンへと向けた。
ぞわり
背筋を刺し貫く怖気に従い、半ば無意識に頭を下げた。
空気が断ち切られる音。
頭上を見えない何かが掠めていく感触。
視線の先、切り裂かれた土煙の奥で、ブラッドホーンがその角をこちらに向けているのを視認する。
『グルルルルルゥゥゥ』
唸り声に交じり、バチバチという弾けるような音が耳に響く。
ブラッドホーンの角の先端部で、スパークにも似た緋色の閃光が瞬いていた。
魔法。
怪物の中には、魔法という異能を操るものがいる。
物理の法則を踏みにじり、理屈も道理も無視して現象だけを引き起こす超常の業。
放たれたものが何だったのかを、冒険者に知る術はない。分かるのは単純な事実だけだ。
――距離を取るのは悪手だ。
魔法が使用可能な怪物に対し、距離を離して戦うのは自殺行為だ。こちらが一方的に不利を被る。
だからこそ、冒険者は決断した。
生きるためではなく、逃げるためでもなく。
――殺すための選択を。
ザシュ、踏み込んだ足が土を撒き上げる。
対怪物用携帯型手斧、通称はパニッシャー。
右手に握りこんだそれを振りかぶる。ギチギチと筋線維が軋みを上げる。まだだ、まだ、もっと、限界まで引き絞る。
イメージするのは、矢を番えた弓――否、それではまるで足りない。この怪物の命にまでは届かない。
必要なのは、バリスタだ。
想像する。バネ仕掛けの巨大な兵器がブラッドホーンに狙いを定めている光景を。長大な鋼鉄の鏃が番えられたそれが、発射の時を待ちわびるその瞬間を。
引き金に添えられた指先に、力が込められる。
「……ッァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
想像上のバリスタが放たれたのと同時に、パニッシャーを投擲。渾身の力が込められた手斧は鈍い音を上げながら回転し、グォングォンと空気を切り裂いてブラッドホーンへと一直線に向かっていく。
ブラッドホーンはそれを一瞥すると、避ける素振りすら見せずに角を指し向けた。
魔法の発動。摂理が歪み、あらゆる過程を省略して結果だけが現実に浮かび上がっていく。
紅い火花が弾けると、角の先端部に風の刃が生成された。
ボシュ、音を立てて大気が爆発する。
射出された風の刃は寸分違わず飛来する手斧に命中した。ダンジョンにて発掘される特殊な金属を加工し造られた手斧は、無残にも空中でバラバラに砕け散る。
ブラッドホーンの扱った魔法は、圧縮した大気を刃状にして飛ばすというものだった。
単純だが、不可視であるが故に避けにくく、威力も高い。
また、大気という何処にでもあるものを利用するため、一からものを生み出すようなタイプの魔法とは異なり、消費される魔力も比較的に少なくて済む。
ブラッドホーンは低く喉を鳴らした。冒険者が投げ放った稚拙な一撃は、己の魔法に容易く撃ち落とされてしまった。昏い高揚感が怪物の内側で沸き上がる。
この時点で、勝負は決した。
「――私の勝ちだ。駄犬」
冒険者の声がした。
ブラッドホーンの優れた聴覚がそれを拾う。
ブラッドホーンの前方に冒険者が立つ。距離は凡そ五メートルほど。ブラッドホーンならば一足飛びで届く距離である。しかし、冒険者の瞳に怯えの色はなく、乱れる息に胸を上下させつつも、視線に殺意を乗せて怪物を睨みつけていた。
その手には何もない。唯一の武器は先程、風の刃が微塵にしてしまった。
脅威はない。危険はない。――そのはずだ。
しかし、ブラッドホーンの怪物としての本能がそれを否定する。ブラッドホーンが警戒をあらわに、もう一度魔法を発動させようと角に魔力を集中させようとして。
ドッッッッッッッ!!!!
爆音が鳴り響き、白い閃光がブラッドホーンの網膜を焼いた。
『グルゥァアア!?』
突然の出来事に、ブラッドホーンは苦悶と混乱の声を上げる。視覚が潰された。聴覚が機能しない。
大きな瞳からぼろぼろと涙が溢れ出す。きぃん、と甲高い耳鳴りが響き続ける。
苦痛にのた打つブラッドホーンは、それでも状況の把握を試みた。目と耳がやられたとしても、彼には鼻が、嗅覚がある。何をされたかは分からないが、冒険者の匂いを辿ればそれで済むことだ。
一刻も早い報復を果たさんがために、ブラッドホーンは深く、深く息を吸った。
――冒険者は笑った。ああ、やりやがったなクソ犬が。
『……グァオ!?!!』
ブラッドホーンの鋭敏な嗅覚は、吸い込んだ空気の異常を直ぐに検知した。
鼻の奥を刺し貫かれるような感覚、神経へとダイレクトに伝わるその香りは、ブラッドホーンの鼻が優れていればいるほどに苦しみが増していく。
空気に毒が混じっている。ブラッドホーンは鼻から喉へと繋がる焼けるような痛みの中でその事実を認識した。
「……光と音、毒の煙、フラッシュバンとガスグレネード、高いだけあって効果は抜群だね。特に、お前みたいなのには」
手斧を投擲し、ブラッドホーンの注意を惹く。素早く距離を詰めると同時に、閃光弾と催涙弾をブラッドホーンの足元に転がす。やったことはただそれだけ。
炸裂する二つの手榴弾は、マグネシウムの燃焼反応が発する強烈な音と光が怪物から目と耳を奪い、拡散する白煙に含まれた化学物質は怪物の鼻から粘膜を刺激し、呼吸を阻害する。
冒険者が何より恐れたのは、ブラッドホーンが自身の身体能力を発揮してゴリ押しで襲い掛かってくることだった。そうなってしまっては武器を失った冒険者に最早打つ手はなく、今頃この場には赤黒いミンチが散らばっていたことだろう。
ブラッドホーンが投げつけられた手斧を回避するのではなく、風の刃による迎撃を選んだからこそ、冒険者は命を拾うことができた。
つまりは、賭けに勝ったということだ。
「……斧、まだローンが残ってるんだけど。クォーター社製の高いヤツ。使い始めて一か月も経ってないのにさ」
悶え苦しむブラッドホーンを余所に、冒険者は粉々となった手斧の破片を横目にしながら、足元をキョロキョロと見渡した。
目当てのものはすぐに見つかった。屈みこむと、一抱えほどの大きさの岩を抱えて立ち上がる。
「ムカつくなぁ、ほんと」
ゆっくりと、ブラッドホーンに一歩ずつ近づいていく。冒険者の接近にブラッドホーンは気づけない。目も耳も、鼻も効かない状態では、明確な命の危機にすら反応を返せない。
「にひッ」
笑い――胃の腑から湧き上がる痺れるような感覚が脳味噌を浸す。
仄暗い愉悦に身を任せ、ただ殺意のままに、手にした岩を高く高く振り上げる。
原始的な攻撃手段。太古の昔からヒトは殺し合い、その手段を磨き上げてきた。
石を砕き刃を作り、木を削り矢を番え、鉄を溶かして剣を鍛えた。ああ、ヒトの殺意に果てはない。人類は爪を捨て、牙を捨て、自在に動く五指を得た。
これはその起源、地球上で最も命を奪うことに特化した生命体、ホモサピエンスが最初に手にした原初の殺意。
冒険者はそれを、躊躇いなく振り下ろした。
「――死ね! 死ね! 死ね死ね死ね! 死ねぇぇぇぇぇえええええええ!!」
最初の一発がブラッドホーンの角を折り砕く。続く二発目が頭蓋を割り、三発目が脳味噌を叩き潰す。それでも冒険者は振り下ろすのをやめない。何度も、何度も、狂ったように振り上げては振り下ろす。その動作をひたすら繰り返す。
辺りに飛び散る鮮血が冒険者の顔を、服を、岩を染め上げる。
水気の混じった殴打音だけが響き続ける。赤い血溜まりが地面に広がっていく。
ブラッドホーンの頭部は今や原型を失い、赤黒い肉塊と成り果てていた。
依然としてブラッドホーンの頭部を殴打し続ける冒険者の頭に、不意に声が響いた。
【ブラッドホーン一体の討伐:50の経験点を得る】
無感動な声は静かに、淡々と冒険者にそう告げた。
「……あー、疲れた」
真っ赤に染まった岩を無造作に放り投げる。よろよろとその場に腰を降ろすと、思わず溜め息が漏れ出した。
殺戮の興奮が徐々に冷めていき、代わりに疲労感が冒険者の全身をドッと覆っていく。
「……これで、五十点か。先は長いなあ」
ブラッドホーンの死骸に目を向ける。恐らく毛皮と肉、爪は売れるだろう。しかし、角と牙は諦めるしかないようだ。ブラッドホーンの素材の中で一番高く値が付くのは頭部の角だったのだが、それは根元からものの見事に折れてしまっている。
冒険者の脳内では、見るも無残な残骸と化した手斧のことでいっぱいだった。先程まではブラッドホーンへの殺意に酔い痴れすっかり頭から抜けていたが、奮発して買った新品の武器が一月もしない内に壊れた、という事実が想像以上にメンタルにキている。
おまけに、今回は閃光弾と催涙弾まで使用している。収支はどう考えてもマイナスだ。
「……私の、武器ぃ、返せ。馬鹿やろー」
ブラッドホーンの死骸にそう呟くが、反応が返ってくるはずもない。
冒険者はごろんとその場に仰向けになり、力なく天を見上げた。
ごつごつとした岩肌の天井。所々に突き出た青色の水晶からは柔らかな光が溢れ出し、ダンジョン内を明るく照らしている。
辺りを見渡す。頭部を潰され横たわるブラッドホーンの死体と、戦闘の余波で荒れ果てた大地。点々と草木が生えるばかりで、後は何もない不毛の場所。
ここはダンジョン。
神奈川県に三つあるダンジョンの内の一つで、空間侵食範囲も小規模な、いわば初心者向けの低難易度ダンジョンだ。
階層も一つしかないし、構造もドーム状のシンプルな形であるため、迷う心配がない。
現れる怪物もブラッドホーンなどの低級モンスターばかりなので、初心者冒険者が経験点を稼ぐには持って来いのダンジョン――と、ギルドの受付さんが言っていた。
「……いや、割に合わないでしょ。これ」
生きるか死ぬかの瀬戸際を潜り抜け、得られた経験点はたったの50。
位階を上げるには最低でも1000の経験点が必要となる。単純計算で後二十回はこれを続けなければならない。
「その前に死ぬでしょ。常識的に考えて」
ブラッドホーンの俊敏な動きと、一発でも喰らえば即死の爪の一撃や、まぐれで避けれただけの風の刃が、冒険者の脳裏に呼び起こされる。
冒険者が生き残り、ブラッドホーンが死に絶えた。しかし、次もそうだとは限らない。
今度血だまりに倒れ伏すのは自分自身かもしれない。
「…………」
なら、やめようか?
冒険者だなんて危険極まりない仕事は諦めて、別の真っ当な何かを探す?
それもいいだろう。むしろそれが当たり前の判断というものだ。命は一度失ってしまえば取り戻せない。たった一度きりの人生で、こんな無謀を繰り返すのは馬鹿だけだ。
そう、そんなのは、とびっきりの、救いようもない、致命的な愚か者だけ――。
「……にひひ」
笑みが零れた。
「そう、馬鹿なんだよ私は。こんな死にそうな目に遭っても、そしてこれからそんな目に遭い続けるのだとしても、私はきっと冒険者をやめたりはしないんだ」
何故って? そんなのは決まってる。
――だって、怪物を殺すのはあんなにも楽しい。
「にひ。にひひひ、にひひひひひひひひ、ひひゃ、ひひゃひゃひゃひゃひゃっ」
笑い声がダンジョン内を木霊する。
楽しそうに楽しそうに、おもちゃを与えられた子供のように。
無邪気で残酷な冒険者の笑い声が、ダンジョンに高らかに響き渡った。
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