電車の女神

立入禁止

電車の女神


 毎朝、同じ時間に乗るこの電車には、私の女神(目の保養)がいる。


 ガタンゴトン……ガタンゴトン……

 始発が最寄り駅で助かったと毎回思うのは、座れるからだ。毎朝、満員電車で立っている人はキツそうで。座っている人もだが、降りる時は戦場だった。

 満員電車になるまで、まだあと何駅かある。

 今日も緩やかに揺られながら、うとうとしているとアナウンスが電車内に鳴り響く。


 ~次は〇〇駅〇〇駅お降りの方は……~


 この駅は、私が密かに崇めている女神が乗ってくるところで。

 ゆっくりと電車が駅に止まっていく。

 プシュー、と扉が開くとまばらに人が乗ってきて座る場所を探して腰を下ろしていく。

 毎朝乗ってくるのは、大体決まった人達で。座る場所も大体同じような場所だった。

 私はと言うと、目だけで目当ての人物を探す。

 ……いた。

 今日も、女神はそこにいた。

 私が通勤で利用している電車。始発に近い時間で、かなりの高確率で遭遇する。

 電車の女神の名前もだが、どんな人なのか、どんな声なのか、なにも知らない。

 それでも、朝に見かけると憂鬱な通勤時間は幸せな時間に変わる。


 電車の女神を、初めて見かけたのはいつからだっただろうか。

 今ではもう思い出せないが、一年以内だった気がする。

 いつもは寝ていた通勤時間にたまたま起きていたのだ。そしてあの駅で電車が止まり、乗ってくる人をぼーっと見ていた。

 ただ見ていただけだったのに、視界に入ったのは私の目を惹く人で。そこで一気に目が覚めた。

 失礼だが、電車の女神は特に目立つ容姿では無い。けど、地味でもない。どちらかと言うと地味派手というか、なんというか。目を惹き付ける魅力があると思う。あと、可愛い。

 贔屓目に見ている自覚はあるが。

 そんな女神の知っていることと言えば、乗ってくる駅と降りる駅だけ。

 それを知っているだけでも気持ち悪いと自分でも思う。

 特にどうこうしたいというより、はなからするつもりもない。目の保養で癒しなだけ。本人に知られたら、それだけでも気持ち悪がられるだろうけど。

 あまり見るのはやめようと毎回思うのに、ちらり、と視界に収めてしまうのが癖になっていた。

 すみません、と心の中で謝りつつも、今日も仕事が頑張れるのでありがとうございますと感謝を述べるのだ。なんとも矛盾した自分の行動に、苦笑いしか出ない。

 それでも見かけるだけで心がほわほわしてしまう。

 今日だって……。


 バチリ。


「えっ……」

 小さい声が漏れ出てしまった。

 だって、今……。

 …………女神と視線が合ってしまったのだ。

 慌てて逸らそうとしたが、かえって不自然かなと思いそのままに。もしくは女神が逸らしてくれることを願ったが、女神も逸らしてくれず。


 〜次は○○駅○○駅お降りの方は……〜


 女神の降りる駅だ。

 アナウンスに掲示板へと視線が動いて、合っていた視線は自然と逸らすことが出来た。

 その間に女神は降りていき、背中を見送る。


 はぁぁぁぁ……。


 緊張した。

 内心の焦りようがやばかった。

 ああいう時は視線を逸らすべきなのか、そうでないのか。私には経験が少なすぎてわからない。

 それよりもだ。見ていたことに気付かれただろうか。

 明日から、より気を付けなければならないな。

 いや、でも……今日はたまたま目が合っただけかもしれない。女神からしたら、私を初めて認知したのかもしれないし。

 そうであってほしい。あってくれ。たのむ。

 悶々と考えていれば、職場の最寄り駅に。


「今日も頑張るかぁ」


 焦っていた割には、明日も女神に会えたらいいなぁ。そう能天気にそう思うのは、この後に起こる出来事を知らないからだった。



 次の日。いつもと同じ時間の電車に乗り揺られていく。


 ~次は〇〇駅〇〇駅お降りの方は……~


 そしてついに女神の最寄り駅に。いつも通り乗ってきたのは電車の女神。そのままいつのも席に座るのかと思いきや……。


「えっ……」


 座ったのは私の隣。

 予想外の展開に、尋常じゃないくらい動揺したし焦った。けど、そんな様子を一人でしてみたらどうなるか。確実に変な目で見られてしまうに決まっている。

 なんでもなかったかのように座っているしか出来ない。

 なんで、隣に座ったのか。

 やっぱり、見ていたことがバレたのか。

 もしかして、バレていてなにか言われるんじゃ……。

 そしたらどうしようか。

 警察に突き出されてしまうのか。

 今、謝ったら許してもらえるのか。

 こうなったら、明日から別の車両に変えるしかないのかもしれない。

 脳内に次々と出てくるのは、疑問符と焦りと今更ながらの後悔。

 そして、そんな中でも思ったのが、隣に座られると観察できないということだった。


 ~次は〇〇駅〇〇駅お降りの方は……~


 女神が降りる駅。何事もなく降りていく女神の背中を今日も見送った。

 特になにも言われることもなかったことに、ホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。


 それからは、女神の定位置は私の隣になった。

 なぜ、こうなったんだろうか。わからない。

 あと、気持ち悪い発言をするが、女神からはいい匂いがした。それに、時々触れる肩から温もりをもらうこともあり、ドギマギしたものだ。

 我ながら気持ち悪いなと何度思ったことか……。


 女神が隣に座ってから、数週間経ったある日。

 ……寝て、る?

 ちらり、と横目で見るに女神の頭が揺れている。たぶん、舟を漕いでいる状態だろう。

 とんっ。

 肩に女神の頭が触れた振動で、びくり、と驚いてしまう。

 あっ……。

 その振動は次第になりを潜めて、私の肩に女神がもたれてかかってきていた。

 寝ている。しかもすやすやと。

 今までの通勤時で、女神が寝ているのを見たことがなかったのだ。見かける姿はスマホをいじっているか、本を読んでいるかだけ。

 そんな女神が今、隣で、寝ているという事実にどうしたもんかと頭を抱えたくなってしまった。

 ハプニングだとしても嬉しい。けど、触れたいわけではない。目の保養。癒し。それだけだったのに。女神に触れるなんて禁忌の行いだ。

 というか、そもそも自分からは近寄りにはいっていない。

 隣に座り始めたのも女神からだった。

 ……どうしよっかなぁ。

 脳内に浮かぶのはそればかり。

 まぁ、逆側の男性にもたれかからなくて良かったなぁと思いつつ、掲示板を見るとあと一駅で女神の降りる駅だった。

 今から起こすか。いや、起こして降りる駅がバレてる時点でキモい。

 だからといって……。


 ~次は〇〇駅〇〇駅お降りの方は……~


 肩の重みは変わることなく。しかも動く様子もない。

 電車がホームに入り、徐々に減速していく。と同時に自分の心音が変に脈づき早くなっていった。

 電車が完全に止まるが、女神は起きない。

 トントン。

 左肩を軽く何度か揺らすと、女神の頭も揺れる。と同時に目を覚ましたのか、駅名を確認して急いで降りていく姿を見送ってホッと胸を撫で下ろした。

「はぁ……」

 変に気を使いすぎて、疲れた。自分では、仕事前からかなりいい仕事をしたと思ってしまったくらいだ。

 たぶん、女神にも不審に思われなかったはずだし。

 大丈夫だ。きっと大丈夫。


 翌日。大丈夫だと思っていた出来事は大丈夫ではなく。

「昨日はありがとうございました」

 起こしたのは見事にバレていた。それはそうだ。

 ……終わった。

 ふと、思い浮かんだ言葉はそれだけだった。

 女神の視線の先には私。逃げようもなかった。

「なんのことですか?」

 それでも抵抗はしてみる。秘技、知らないふりだ。何度でも言うが、女神と関わりたいわけではない。見ているだけでいいのだ。それもどうかと思うけど。

「昨日、私の降りる駅で起こしてくれましたよね」

「いや、気のせいかと」

 至近距離で見ないでほしい。声も綺麗とかさすが女神と思ったが、ここで思考のトリップはやめておきたいところだった。

変なことを口走ったらそれこそ捕まりそうで怖い。

「私のこと、見てますよね」

 ドッドッドッ…………。

 冷や汗が一気に吹き出てつぅーっと背中を流れた気がした。

「…………いいえ」

 かなり間が空いてしまった。

「私も見ていたので、大丈夫ですよ」

 …………は?

「綺麗な人がいるなと思っていたんです」

 いや、それは貴女だが?

「一度、目が合った時がありましたよね。私が見ているのがバレたかと思って、謝りたくて隣に座り始めたんですけど。勇気が出なくて」

 それはこっちの台詞ですが?

「すみませんでした」

 女神は軽く頭を下げて謝った。今日の車内はいつもより人が少なくて。私らのことを気にしている人はいなかった。

「こちらこそ、すみません」

 女神がこうして話して謝罪までしてくれたのに。私は嘘ばかりで。自分の不誠実さに、罪悪感で押し潰されそうになってしまった。

「私も、目を惹く人がいるなと見てました。目が合った時も同じことを考えていたと思います。私には謝る勇気もなかったので、こんな感じになってしまってますが。本当に気持ち悪くてすみません」

 私も頭を下げて謝ると、女神が「そんなこと」とワタワタしている様子に顔を上げる。

 近距離で見た女神は綺麗というよりも可愛くて、やはり目を惹く存在だと再認識した。

 大袈裟に言えば、私の目が潰れる。

「あの、急にこんなことを言うのもあれなんですが。その、これから、話しかけてもいいですか?」

「えっ?」

「嫌なら嫌でいいですので。それに、気持ち悪いのは私の方だと思いますし。嫌なら別の車両に変えます」

 女神にそんな顔をさせたい訳ではなく。私は、ただただ見てるだけでよかったのに。急な展開に現実なのか夢なのか。誰でもいいから、思いっきり頬を叩いてほしい気持ちになった。

「嫌ではないですけど」

「けど?」

「大丈夫ですか? 私のことなんて得体もしれない人物ですよ? それにさっきも言いましたが、私も貴方のことを見ていたんですよ。気持ち悪くありません?」

「私もですから。私も見てましたし、お互い様かと」

 なるほど。お互い様か……。

 いつもより少ない車内だが、確実に人は増えていき、いつも通り満員電車へと変わっていた。

 さっきより、人が見ている気配に落ち着かない。それに、もうすぐ、女神の降りる駅だ。

「この話はまた明日でもいいですか?」

 私が視線を掲示板に移すと、女神もそれに気がついて掲示板を見る。

「はい」

 言おうとしてくれることがわかったらしい。


 ~次は〇〇駅〇〇駅お降りの方は……~


「すみません。それでは、また明日」

 軽く会釈をして、手を振っていく女神を軽く手を振って見送った。

 昨日とは全然違う視点。

「明日かぁ……」

 まさか、こんな展開になるなんて、一体誰が思っただろうか。

 それでも、女神に会えた。それだけで今日も仕事が頑張れそうな気がした。

「まぁ、なるようになるかぁ」

 明日のことは、明日の自分に任せておくことにした。



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