第18話 初対面じゃない
民家からさらに奥へ進むと、湖へと続く山道に入る。
どこにでも陽の光が差し込むマヌスにおいて、この山道だけは生い茂る木の葉に遮られて光が届かず、どこか鬱蒼としていて、ひんやりとした静けさを帯びた場所だった。
とは言え死の森ほどの陰惨さはなく、視界は良好で、まっすぐにそびえ立つ樹木や草木からは青々とした自然の香りが漂ってくる。
そしてやってくる人間たちを歓迎している。フィオリアにはそう感じる。
山道を少し歩くとすぐに小さな湖が見えた。
そのほとりに佇んでいるのが、ヴェリデだ。
澄んだ空気と鳥のさえずりが混じって溶けて、ヴェリデに吸収される。
そのままヴェリデの中を駆け巡って、新しい生命となり再び放出される。
ヴェリデはいつでもこの森の、いや、この国の中心にいるのだ。
フィオリアがヴェリデに近づくと、木々の微かな震えを感じた。
先客がいたのだ。
「バステラの騎士様がどういったご用事でしょうか」
あからさまに警戒したような物言いに、ハイタイは目じりを下げて俯いた。
「これは失礼しました巫女様。相変わらずお元気な様子で」
騎士という割には敵意一つ感じない。腰元に携えている剣の存在感を感じさせる気迫は全くなく、ただ身に纏っている甲冑を寂しく軋ませるばかりだった。
「巫女様なんて言い方はやめてください。それにあなた、どうして私を知っているのです」
「なぜって、僕は昔この国に住んでいましたから」
え、と思わず声が出た。
図体は大きく姿こそ勇ましいが、言葉の端々からはどことなくあどけなさを感じる。
歳は、自分と同じくらいだろうか。
「懐かしいですねこの樹も。いつ見ても荘厳で偉大だ。しかし思ってもみませんでした。まさかあなたがこの樹に宿る神と対話ができるなんてね」
穏やかに目を細めると、ハイタイはフィオリアに向き直り歩き出した。
ゆっくりと、光る湖や芝生を眺めながら、その一つ一つを慈しむように。
警戒などせずとも、彼もまたこの国を愛しているのだとすぐに分かった。
フィオリアの正面までやってくると、穏やかな瞳は彼女を捉えた。
同じ黒の瞳でもラントとは違う。少し灰色の混じった乾いた瞳は、いつかの本で見たバステラ人のそれと全く同じであった。
「本当に僕を覚えていないんだね、フィオリア」
呟いた低い声が湖にこだまして、ポシャリと落ちる。
ごめんさい。思わず口に出して謝った。森全体が悲しんでいる気がした。
「謝らないで。僕がこの地にいたのはほんの少しの間だったから、覚えていないのは当然だよ」
「あなたの名は確か、ハイタイと言いましたね」
「ああ。君には昔、ここで何度か泣かされたよ」
大きな黄金虫を持って追いかけまわされてね。と言って、鼻先でふふと笑った。
なんのことはない。喋り方も笑い方も自分やマグダと変わらない。
紛れもなく同じ歳の、屈託のない人間だった。
「君はいつも元気で鉄砲玉みたいに走り回って転んだら泣いて、ただの無邪気な子供だったけれど、それでも誰よりも特別だった」
「それはヴェリデと会話ができたから」
「いや、僕がいた頃まだ君は能力に目覚めていなかった」
だけど、と言ってハイタイは目を伏せた。
柔らかな前髪が悩まし気に瞳に落ちる。
「誰よりも輝いていた」
ヴェリデに止まっていた二羽の鳥が羽音を立てて飛び立った。
湖はいつまでもしとしとと輪を描き、葉をすり抜けて降り注ぐ微かな光は敵国の騎士すら優しく包み込む。
「それは……何と言って良いか」
フィオリアが手を後ろに組んで右へ左へとウロウロすると、ハイタイは慌てた様子で饒舌になる。
「いやすまない。おかしなことを言ったね。忘れてくれ」
姿こそ現さないが、ヴェリデが自分たちを見ている。
そう思うとたまらなく恥ずかしくて走り出したい気分になった。
だけどそれがどうしてなのかは、フィオリアにも分からない。
「すまない。こんなことを言いにこの国へ来たわけではないのだが……」
「国王様とのお話は終わったのですか」
「ああ。用件は伝えた。僕は早く帰らなければ」
「バステラ軍の騎士様がたった一人でマヌスへ来られるなんて妙ですね」
穏やかな表情を浮かべていたハイタイが、一瞬強張った。
「……と言うと」
「国王からの言付けであれば普通、騎士団が書状を持ってやってきます。あなた一人で来るなんておかしいもの」
空気がしんと静まり返る。ヴェリデはまだ姿を現さない。
ハイタイは乾いた笑みを浮かべ、沈痛な面持ちで溜息をついた。
「君に嘘は通用しなさそうだな」
ぽそりと呟くと、まっすぐにフィオリアを見る。
そこには同世代のあどけなさも面影もない。大国の騎士としての重厚さと、厳しさを携えていた。
「次月、バステラ軍がマヌス国を襲撃する。予告なしにだ。先週議会で決まったことだ。僕はそれを伝えに来た。このことがバレては僕の首が飛ぶ。僕は命がけで来たんだ」
頭がガツンと殴られたように熱くなって、下半身から血の気が引いた。
少しでも動けば倒れてしまいそうなほど視界が揺れた。
遂にこの時が来たのだ。恐れていたことが現実になってしまった。
「もう時間がない。どうにかして手を打ってほしい」
ハイタイはそう言うと兜を被り、無責任なことを言ってすまない、と謝った。
「ひとつ教えてください」
朧げな声色でフィオリアは呟いた。
「どうしてそのような危険を犯してまでマヌスを訪れたのですか」
「そんなの簡単さ。僕の人生で一番幸せな時間を過ごした国で、母が眠っているから」
被った兜で見えないが、笑っているのが分かった。声が優しく穏やかだった。
敵国の騎士であるハイタイもまた、マヌスへ来る決断をするまでに想像もつかぬ苦悩を強いられたのだろう。
「忠告はした。後は頼む。最後に……」
君に会えてよかった。
そう言ってハイタイは去っていった。
甲冑のきしむ音が街の方向に消え、生い茂る木々の呼吸する音だけが聞こえる。
「ヴェリデ」
そう何度が読んでみたが、返事はなかった。
異国の旅人がこの国に災いをもたらず。
ひたひたと誰かの足音が近づいている気がして慌てて振り向く。
しかしそこには誰の姿もなく、フィオリアは溜息をつくとヴェリデの下に転がった。
自分にも穏やかに降り注ぐ陽の光の愛を、初めて怖いと感じた。
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チートを捨てたい青年は死神少女と旅をする 雪山冬子 @huyu_yukiyama
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