珈琲15杯目 (2)隊長とクラウ、ファルと意見を異にする
「事の起こりは、三日前だ」
帝都に向かう警務隊の馬車の中で、ゼルベーラ隊長は切迫した口調で切り出されました。
「誘拐されたのは、帝都の商人ファビロ・ロットラン氏。大陸各地の珍品を仕入れて帝国の要人に納品する、帝都では名を知られた貿易商だ」
「ロットラン商会の会長か」
隊長の隣で馬車に揺られながら、リュライア様が珈琲入りの水筒を口に運ばれました。「今どき珍しい、『利益より信頼』を地で行く商人だ。グレヴィア大叔母様も、魔導具を買う必要が生じたときは、まずここに声を掛けておられる」
「そんなにすごいの?」
お向かいに座られるクラウ様は、軽い音を立てて焼き菓子を召し上がっておられます。菓子の細かな食べかすが、揺れる馬車の座席にぽろぽろとこぼれ落ちる様子を視線で咎めつつ、リュライア様がご説明されました。
「すごいどころではない。創業以来、ニセ物まがい物の類は一度たりとも納品したことがないというのを誇りにしていて、しかも判明している限りそれは事実だ。ニセ物が横行する美術品や魔導具業界では、奇跡のような存在だな」
「で、その真面目な貿易商殿だが」ゼルベーラ隊長は、話を戻されました。
「三日前の昼に、取引先との商談のため外出した。商会の従業員たちには、夕方までには戻ると言ってな。しかし……」
「夕方になっても戻らなかった、という展開だな」
リュライア様が先回りされますと、隊長は、無言で首肯されました。
「その日の商談相手は馴染みの運送業者で、特段変わったことはなかった。ロットラン氏は商会の馬車で相手先を訪れ、来月の商品輸送について話し合い、三時前には商談を終えたそうだ。氏は商会の馬車で帰途についたが、途中寄るところがある、あとは歩いて帰宅するからと御者に告げて馬車を帰した――そうしたことは珍しくないそうだが、それが誘拐前に目撃されたロットラン氏の最後の姿だった」
ゼルベーラ隊長は、馬車の外に視線を転じられました。
「夕食の時間になっても夫は戻らず、奥方は不安になり始めた。家人に何も告げずに帰宅が遅れることはままあることだそうだが、そうした場合でも、遅くなるかもしれないと必ず告げていた――今回は、帰宅が遅れる可能性について、まったく言及していない」
「で、結局夜になっても帰ってこなかったんだね」
いつになく神妙な面持ちで、クラウ様が言葉を継がれました。詐欺や窃盗とは異なり、今回は人の命がかかった誘拐事件でございますゆえ、さすがにクラウ様も真剣でいらっしゃいます。いえ、いつもが真剣でないなどとと申し上げるつもりは毛頭ございませんが。
「お嬢さん、いつもと違ってやけに真剣じゃないか」
思ったことを口に出すか否かについて、ゼルベーラ隊長は、わたくしと意見を異にされるようでございます。
「そのとおり、結局朝まで戻らなかった。これはもう警務隊に相談するしかないと奥方が決断したとき、ロットラン家の執事が血相を変えて一枚の紙片を奥方に見せた――そう、誘拐犯からの要求をしたためた手紙だ。朝、屋敷の玄関の扉の下に置かれていたそうだよ」
要求の内容は? とクラウ様が尋ねられる前に、隊長は答えを口にされました。
「残念ながら、この種の要求として目新しい内容ではなかったよ。ロットラン家の当主は預かった。明日までに
「それが二日前か」
リュライア様は水筒を口に運ばれましたが、疾駆する馬車の揺れの中で珈琲をこぼさずに飲むことの困難さに絶望され、ため息とともに水筒の蓋を戻されました。
「五千は大金だが、ロットラン商会ほどの
「それがそうでもない」ゼルベーラ隊長は、巡り合わせの悪さというものを嘆くかのように、大袈裟にため息をつかれました。
「間の悪いことに、ロットラン商会はつい最近、北方で大金を投じて貴重な魔導具やら工芸品を仕入れて、先日ようやく納品した直後だったのだ。そして、支払いは今月末。取引自体は商会に巨利をもたらすものだったが、現時点においては、商会の手元の金はかなり減っている状態だった」
「では、取引先に支払いを前倒ししてもらうのか?」
リュライア様が口にされた手段について、隊長は即座に否定されました。
「金額が大き過ぎる。何よりその取引相手というのは、親愛なる帝国魔術審議会本部なのだ。奴らが、支払いの前倒しなんぞに応じると思うか?」
「奴ら、許さん」リュライア様の目に、怒りの炎が宿りました。
「我々善良な魔導士から年会費と称して巻き上げた金で、魔導具収集にうつつを抜かすとはな」
そして、はっと眉を上げられました。「おいリリー、まさか私を拉致した理由は、それか? 奴らを説得して、金の支払いを前倒ししろと……」
「いや、それとは別だ」ゼルベーラ隊長は、苦笑してかぶりを振られました。
「君にお願いすることは、後で話す。ともかく、要求を受けた奥方は、ただちに執事を従えて帝都銀行に直行した。しかしここで問題が生じる」
「帝国の大銀行は、顧客が
わたくしが帝国金融法の規定を申し上げますと、隣のクラウ様が賞賛のまなざしをわたくしに向けられました。「さすがファル! 法律にも詳しいんだ!」
「そのとおり」
ゼルベーラ隊長も、唇の端を上げて賞賛の意をお示しくださいました。「そして、客の説明に少しでも疑義を感じた場合は、警務隊に報告することになっている。これは法律ではなく、警務隊から銀行への『行政指導』だがね」
「なるほど、それで警務隊の出番か」
リュライア様がにやりと微笑むと、隊長も同じ笑顔で応じられました。
「そう。奥方は銀行に、急な取引で必要になったとか下手な嘘をついたそうだ。当然、銀行は使いを帝都警務隊第三隊本部に走らせた――犯罪の予兆あり、とね。それから半時間もしないうちに、駆け付けた第三隊隊長の説得に応じて、奥方は事の次第を告白した、というわけさ」
隊長が「説得」と称された行為は、実態はいささか異なるのではないかと愚考いたしました。いえ、決して警務隊の方が「恫喝」なさったなどと申し上げるつもりは毛頭ございませんが。
そのとき、水筒の珈琲を飲まれたクラウ様が、首を傾げられました。
「でもさ、その『説得』って、実際は『脅迫』だよね?」
……思ったことを口に出すか否かについて、クラウ様も、わたくしと意見を異にされるようでございます。
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