珈琲15杯目 猫と執事と誘拐犯

珈琲15杯目 (1)クラウの身代金

「ねえ叔母様。もし僕が誘拐されたら、身代金払ってくれる?」

 いつもと変わらぬ居間の光景には似つかわしくないご質問を、クラウ様は出し抜けに発されました。質問に答えるべきリュライア様は、ぴくりと眉を動かされただけで、そのままお口に運ばれた珈琲をお飲みになられておいででございます。


「誘拐とは、穏やかではございませんね」

 わたくしは、クラウ様の脇の小卓に珈琲をお載せつつ、やわらかにお尋ねいたしました。「最近の、誘拐騒ぎを気にされておいででしょうか?」

「うん。学院からも注意があってさ」

 クラウ様は、先にお出ししていた焼き菓子をひと口召し上がられてから、珈琲をお飲みになられました。


 先日、帝都で有力者の子弟を狙った誘拐未遂事件が発生し、警務隊が類似の事件への警戒を呼び掛けておられるそうでございます。

 ここリンカロット市では、誘拐という犯罪は流行していないようでございますが、プラトリッツ魔導女学院であれバドール魔術学院であれ、比較的裕福な家のお子様が多く通われていらっしゃいますので、警戒するに越したことはございますまい。


「クラウよ、身代金なら心配するな」

 珈琲を飲み終えたリュライア様が、目を閉じられたまま、先ほどの質問に答えられました。「お前に、銅貨二枚以上の価値を見出す誘拐犯はおらんだろうからな。銅貨一枚くらいなら、喜んで払おう」

「ちょ、叔母様、ひどーい!」

 クラウ様が脚をばたつかせ、いつものお言葉で抗議されました。そしてすぐにわたくしの顔を見上げられて、救いを求められます。


「ファル! ファルなら、僕が誘拐されても助けてくれるよね?」

「もちろんでございます、クラウ様」

 わたくしは、つつましく一礼いたしました。

「それにリュライア様も、口ではあのようにおっしゃられておいでですが、万一の際には必ず助けてくださいますよ」


「えー、そうかなあ」

 クラウ様は、露骨な不信のまなざしを叔母君に向けられました。リュライア様はその視線を冷静に受け止められると、ふんと肩を揺らされます。

「まあ条件によっては、一万ゼカーノ用立てて誘拐犯にくれてやってもいい」

「え!」クラウ様は、本当に驚かれたご様子です。「一万も!? ほんとに!?」

「ああ」

 リュライア様は、冷たく口の端をつり上げられました。

「もし誘拐犯が、こう要求してきたらな。『お前の姪は預かった。大金貨グローゼカーノで一万ゼカーノ払え。さもなければ、姪を無事に帰すぞ』」


 わたくしがリュライア様をおいさめしようとしたまさにそのとき、お屋敷の門の外から馬車の音が聞こえてまいりました。

 わたくしは窓に歩み寄って外の様子を確かめましたが、何やら容易ならざる事態が出来しゅったいした模様です。

「リュライア様」

 わたくしは、窓の外を見つめたまま、ご主人様に報告いたしました。

「どうやら誘拐されるのは、われわれのようでございます」


 リュライア様とクラウ様が、何事かと窓へ駆け寄られたちょうどその時、門外に止めた警務隊の馬車の中から、帝都警務隊第七隊隊長リリセット・ゼルベーラ隊長が出てこられるのが見えました。馬車の扉を開けるが早いか飛び降りられるその格好は、なかなかいきでございます。


「あ奴め、それほどまでに酒が欲しいか」

 屋敷の庭の道を全速力で駆けてこられる隊長を見下ろされつつ、リュライア様が呆れたようにつぶやかれます。


 一方、クラウ様のご感想は、もう少し考察に満ちたものでございました。

「でもおかしいよ? いつもなら、隊長はベオ・カシアト号に乗って来るじゃん」

 確かに、ゼルベーラ隊長が我々をどこかに拉致する場合は、愛馬ベオ・カシアト号にまたがった隊長が馬車を先導するのが常でございます。しかし本日は、隊長が馬車に乗って来られておいでです。と、言うことは……。


「ふん。『詳しい話は馬車の中で』という奴か」

 リュライア様は、お口許を緩めつつ、椅子に戻られました。それからふと、クラウ様に視線を転じ、目を細められました。

「まさかと思うが、お前何かやったのか?」

「ちょ……なんにもしてないよ!」

 来客用の椅子にふたたび腰を下ろされながら、クラウ様は抗議されました。「……少なくとも、警務隊に捕まるようなことは、何も」


 リュライア様は大きくため息をつかれますと、癒しを求めるように珈琲を口にされました。

「ファル、水筒に珈琲を入れておいてくれ」

「かしこまりました」


 わたくしが一礼して珈琲部屋に向かおうとしますと、クラウ様からもご要望を頂戴いたしました。

「ファル、お菓子も忘れないでね!」

「心得ております」

 わたくしが笑顔でお答えいたしますと、リュライア様は盛大に舌打ちされてから、クラウ様に向き直られました。


 しかしご主人様の口からお小言が飛び出すよりも先に、居間の扉が勢いよく開かれました。玄関の呼び鈴も鳴らさずに階段を駆け上がってこられたゼルベーラ隊長が部屋に飛び込み、挨拶もなく叫ばれます。

「すまん、リュラ。どうしても急ぎで魔導士が一匹必要なんだ」


「魔導師なら、魔術審議会に相談すればり取り見取りだぞ」

 にべもないリュライア様の答えも、隊長を諦めさせることはできませんでした。

「その魔術審議会に顔の利く魔導士が必要なんだ。それも、すぐに」

「……魔術審議会が絡むと聞いて、是非とも喜んで協力いたしますと言う物好きな魔導士が、この世に存在すると思うのか?」


「もし魔術審議会の連中がこちらの要請を拒んだときは、連中の建物を魔法で吹っ飛ばしても構わない」

「審議会のアホじじい共も?」

「警務隊が見ていないところでなら」

「よし行こう」

 リュライア様はすっくと立ち上がられました。当然のようにクラウ様も続かれましたが、隊長は何もおっしゃらず、ほっと肩から力を抜かれました。

「助かる。詳しい話は、馬車の中で」


 予想どおりの展開に、リュライア様は微笑を漏らされます。「よほど機微な話らしいな。要人の暗殺計画か何かか?」

「惜しいね。誘拐事件だ」

 つい先ほどまで話題にしていた犯罪に、わたくしとリュライア様、そしてクラウ様は、一様に顔を見合わせました。


 ふとクラウ様が、先刻のリュライア様のお言葉――身代金一万ゼカーノを払う条件――を思い出され、今になって反応を返されます。

「ちょ、叔母様、ひどーい!」

 居間を出ようとされていたゼルベーラ隊長が、びくっと振り返られました。

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