珈琲10杯目 (13)危機を逆手に、「夜明けのカラス」

 机上では完璧な策も、実行段階では必ず何かしらの予期せぬ事態に遭遇するものでございます。

 不測の事態に直面しても、落ち着いて対処し、事前の計画どおりに事態を収拾できれば及第点。しかしこのファルナミアン、及第点で満足するようなことはございません。想定外の危機に遭遇いたしましても、むしろその危機を利用し、事前の計画よりもさらに有利に事を運ぶことができないか? そう考えることこそ、わたくしの役目でございます。


 わたくしは、不審の表情を浮かべながらこちらに近づいてこられるゼルベーラ隊長を素早く観察いたしました。本日は、警務隊の制服ではなく私服――男物の白い麻のシャツ、すらりとした長い脚を包む濃紺のズボン――をお召しでございます。すなわち非番で競馬場に来られているということでございますが、幸いにも素面しらふのようでございます――もっとも酒豪で知られる隊長のこと、葡萄酒を瓶単位ではなく樽単位で聞し召さない限り、酔い潰れるなどということはありますまいが。

 わたくしは、瞬時に断を下しました。


「これはこれはゼルベーラ! 先生も医学研修会に?」

 わたくしは満面の笑みを作るや、大股で隊長に歩み寄りました。突然「先生」呼ばわりされた隊長は、困惑の表情もあらわに足を止められます。


「せ、先生? ファル、何を……」

 しかし皆まで言わせず、わたくしは学生の皆様と隊長を引き合わせました。

「先生、ご紹介しましょう。プラトリッツ魔導女学院のベイリス・ルノートル殿と、リアレット・クメルタイン殿でございます。クメルタイン殿は、あの薬草学の権威であらせられるクメルタイン家のご令嬢でございますよ」

「お、おう……」

 困惑されるゼルベーラ隊長は、不得要領のまま生返事を返されます。わたくしは隊長の反撃を封じるべく、矢継ぎ早に攻撃を繰り出しました。


「いや、まさか先生ほどのお方が研修会に参加されるとは。本日の研修会、先生の専門である外科の症例はございませんでしたが……」

「いや、待て。そちらのお嬢さんがた、学生と言ったな? ここはそもそも、学生がいていい場所では……」

「相変わらず先生は厳しいですね。しかし学生なればこそ、でございますよ」

 わたくしは笑みを絶やさず、一気にたたみかけました。

「若さあふれる学生時代でなければ学べないこともございましょう。本日は、リュライア様の姉君である、帝国医学大学校のカミュエランナ・スノート様の紹介症例もございまして、学生の皆様にもぜひ診断投票に参加いただきたいとお誘いいただいたのでございますよ。無論、リュライア様もご承知の上でございます」


 リュライア様もご存じとの言葉に、ゼルベーラ隊長の反応がわずかに遅れました。その隙を、クラウ様が巧みに突かれます。

「ゼルベーラ、こんにちは! ファル、僕たち薔薇庭園に行ってるね!」

 こういう場面での頓悟の速さと果断な行動ぶり、さすがはクラウ様でございます。他の皆様、特に絶対に事情を知られてはいけないクメルタイン殿をこの場から隔離し、その間にわたくしがゼルベーラ隊長に事情を説明するという対応策を、完全に理解されておられます。


 さらにクラウ様がルノートル殿に目配せされると、優等生ルノートル殿も事の次第に気付かれまして、すぐにクメルタイン殿の手を引いて正門左手の薔薇庭園に連れ込まれました。ゼルベーラ隊長が止める間もない、実に見事な連携でございます。


「……あいにくと、外科医になった記憶は無いんだが」

 クラウ様ご一行が薔薇庭園に姿を消すのを呆然と見送られていたゼルベーラ隊長でございますが、間もなく我を取り戻されました。「なあファル、事情を説明してもらえるんだろうな?」

 わたくしは、もちろん、と微笑で応えました。

「先ほども申し上げましたとおり、学生の皆様に、貴重な学びの場を提供するためでございますよ」

 わたくしは手短に、今回の「夜明けのカラス」についてご説明いたしました。



「……なあ、プラトリッツ魔導女学院というところは、いつから博徒ばくと養成学校になった?」

 わたくしのご主人様とまったく同じ感想を漏らされたゼルベーラ隊長は、大きくため息をつかれました。

「競馬ならリンカロットでやってくれ……ここ帝都競馬場は、学生の出入りには厳しいんだ。もちろん、馬券の購入なんぞ論外だぞ」

 本来はリンカロットでも学生の馬券購入は禁止されているはずですが、という突っ込みはわたくしの胸に秘めました。


「存じております。さればこそリンカロット市の学生たちは、帝都競馬の時期になると変装して帝都に繰り出すのでございます――そのおかげでリンカロットの衣装道具屋は、春と秋にカツラや付け髭がたくさん売れると喜んでおりますが」

「学生たちがもたらす経済効果は私も良く知っているよ。が、だからと言って帝都競馬場で学生が競馬に興じていい理由にはならんぞ」


 とはおっしゃられたものの、クラウ様たちを相手に本気で警務隊の職務を全うされるおつもりはなさそうでございます。隊長は本日非番でいらっしゃいますし、帝都は隊長の第七隊の管轄ではございません。何より、学生の馬券購入を禁じているのは帝国競馬会の規則であって、帝国法ではございません。

 つまり、警務隊は道徳的見地から指導や叱責をすることはできても、馬券を買った学生を逮捕したり鉾槍ハルベルティンで串刺しにすることはできないということでございます。


「ま、いいさ。リュラが許可しているなら、私からは何も言わんよ。ただ警務隊としては、競馬場の守衛に報――」

「今度当家にお越しいただく際は、以前お出しできなかった十一年産のファスコマートルンを蔵から出しておきましょう。セネリア産の青チーズと、ヘルドレンス産の肉厚ハムもご一緒にいかがでございますか?」

 わたくしは満面の笑顔をもって、法の番人たる警務隊隊長の買収――失礼、篭絡と申しましょう――にかかりました。美酒のみならず珍味佳肴をもチラつかされたゼルベーラ隊長は、ごくりと喉を鳴らされます。


「お、うむ、楽しみにしている。まあ、お嬢さんたちの無事を祈るよ。では、私はこれで……」

「お待ちください」

 わたくしは笑顔のまま、しかしわずかに語気に鋭さを込めて、ゼルベーラ隊長を呼び止めました。

「せっかくの機会でございます。学生の教育のため、わたくし共をお手伝いいただけないでしょうか? 名外科医のゼルベーラ


 予期せぬ事態も、それを利用してより有利な状況にもって行く。これがわたくし、ファルナミアンのやり方でございます。

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